王様と蜘蛛(ファンタジー・童話)
高い塔の上に一人の男が捕らえられていた。
口にするのは夜露だけ。
助けなんて望めない。
彼を捕らえたのは父親で、国中が彼の事を恨んでいた。
ただ哀れな子供を助けたかっただけなのに。
男は虚しく月を眺めて、死にゆく自分を笑っていた。
窓から見える月は真ん丸で、明るく本当に美しい。
四角く切り取られた窓は絵画の様で、男の心を慰めた。
その絵の中に蜘蛛が一匹。
指先位の小さな蜘蛛。
八本足を器用に動かし、くるりくるりと回っていた。
優雅なダンスを踊った蜘蛛は、それからするすると窓の外に、細く煌めく糸を垂らした。
しばらく男は蜘蛛と見つめ合い、その意図を知って立ち上がった。
男は体をよろめかせ、蜘蛛の糸に捕まって、高い塔の外に出た。
外は雲一つない星空で、塔は星の明かりに照らされて、真珠の白さを浮かべていた。
白く輝く塔の外を、男は蜘蛛の糸に捕まって、するりするりと降りていった。
彼方を見れば城があり、皆から尊敬される自分の姿が、夜空に浮かんで笑っていた。
それは怒りを浮かべる父に変わり、男は悲しくなって背を向けた。
塔から降りると辺りは森。
深い深い迷いの森。
男は蜘蛛を肩に載せ、先の見えない旅に出た。
露に果実に木の実に茸、森には沢山の御馳走があった。
露に羽虫に蝶に蛍、森には沢山の御馳走があった。
蜘蛛の糸を目印に、男は森を彷徨って、蜘蛛の励ましを活力に、男は森を踏破した。
森を抜けると今度は砂漠。
何処へ向かっているかも分からない。
辺り一面砂に覆われ、さらさらと波が立っている。
焼け付く光に汗を垂らし、男は蜘蛛と一緒に砂漠を歩く。
遠く陽炎が辺りを歪め、砂の流れる砂漠の上は、まるで海の中の様だった。
喉が渇けばサボテンを折って、中に流れる水を飲んだ。
腕に針が刺さったが、男は笑って引き抜いた。
男の体は熱さも痛みも感じない。
男は誰にも負けない強さを誇った。
けれど心だけは人並みで、寂しさにだけは勝てなかった。
塔の孤独は男を苛み、心と体を削っていたが、この砂漠では傍に蜘蛛が、くるりくるりと踊りを踊って男の事を励ました。
塔に孤独を忘れた男は、灼熱の道を軽々と、疲れを知らずに歩いていった。
夜には蜘蛛が糸を張って、夜露を集めて男に捧げた。
男はそれを半分貰い、二人で月夜の宴を開く。
月の光を砂が返して、昼の様に輝いている。
何一つ無い砂漠の上は、地平線まで見渡せて、砂漠と夜空の境界が、割れそうな程はっきり見えた。
きっと境界の向こうに男の求める世界がある。
砂漠の夜は凍える様に寂しいが、男の肩には蜘蛛が居る。
二人で仲良く眠りに落ちて、朝日が来るまで同じ夢を見た。
朝日が昇って更に歩くと彼方に白い街が見えた。
期待と不安と歓喜と恐れ。二人の求める世界はここか。
男と蜘蛛が二人一緒に街に入ると、奥から暗く淀んだ人々が助けを求めて集ってきた。
男は王様になっていた。
苦労を重ね幾年重ね、男の髪には白さが混じった。
けれど男の強さと肩の蜘蛛は、何時まで経って変わらない。
家来の誰かが蜘蛛を馬鹿にすれば、男は怒ってそれを止めた。
皆は男を尊敬し、蜘蛛はそれを喜んだ。
穂は豊かに、果実ははち切れ、町は広がり、人々の笑顔。
蜘蛛はそれを喜んだ。
男は張り切って国を作った。
国は豊かに広がって、人々は男に憧憬した。
男それが嬉しかった。蜘蛛が喜んでくれるから。
蜘蛛が喜ぶと男が嬉しい。
男が喜ぶと蜘蛛が嬉しい。
そんな素敵な生活に一つだけ影があった。
笑顔の民を見る度に、男は故郷を思い出す。
父は既に居ないだろうが、今なら許してくれぬだろうか。
肩の蜘蛛は見透かす様に、ぴょこりぴょこりと飛び跳ねて、悩む男を慰めた。
悩んだ末に手紙を送った。
自分の国と故郷の国、これから仲良くしていこう。
そんな手紙の返事が来た。
許せぬ、今から戦争だ。
平和を愛する人々は、戦い方も分からずに、迫る軍隊に押しつぶされて、無残に命を散らしていった。
町が炎に呑みこまれ、火勢が城に迫って来ると、男は最後を予感した。
果たして城も炎に呑まれ、男の幸せを全て燃やし、最後は蜘蛛と二人だけ。
やがて蜘蛛にも火の手が及び、男だけでも助かる様にと、飛び跳ね飛び跳ね訴えたが、男は首を振って蜘蛛に触れた。
それから百年、男の国も故郷の国も、既に滅んで無くなったが、戦は減らず、今日も軍靴が聞こえてくる。
城の跡には石碑が経ち、荒々しい文字が男を称える。
『身一つで国を作った勇士』
石碑の前では人々が、あやかれる様に祈っている。
それから更に二百年、幾多の国が興って滅び、やがて一つの国に纏まって、今日も笑いが聞こえてくる。
古びた石碑は取り壊され、新しい記念碑がそこに立った。
『苦労を重ねた愛国の王と彼を支えた蜘蛛御前』
記念碑の前で人々は、自分もこの話を知っていると、胸を張って笑っている。
男と蜘蛛が幸せである様にと、祈りを捧げて笑っている。
蜘蛛が喜ぶと男が嬉しい。
男が喜ぶと蜘蛛が嬉しい。