僕の知らないなよ竹のかぐや エピローグ(恋愛)
少女は泣きながら追い縋る少年を見て、心が苦しくなった。自分が愛する少年を苦しめてる事に耐えられなかった。だから言った。
「私の事は忘れて」
言ってから、それはそれで認められなかった。二人の思い出を無くしてしまうなんて嫌だった。だから付け加えた。
「絶対戻って来るから。優斗のお嫁さんに相応しくなって、絶対に帰って来るから。だからそれまで私の事は忘れて」
少年が少女からそっと離れる。その表情に悲しみはもはや無い。加えて、今迄向けていてくれた親しさも無くなっていた。少女の胸が痛んだ。
だから思わずこう言った。
「でもね、その間絶対に浮気しちゃだめだよ? 私以外の女の子と一緒に遊んじゃ駄目」
その言葉は呪いとなって少年を縛り付けた。
愛斗が居なくなってから一日目の朝を迎えた。酷く重かった。昨日、夜の学校で放心していたから体を壊したというのもあるのだろうけど。それ以上に心がとても憂鬱だった。世界はどんよりと灰色がかっていて、先の事を考えてもまるで希望が持てない。
僕は這いずりながら窓の傍へと寄って、外を見上げた。太陽が燦々と輝いている。月は見えない。あの月に行くにはどうしたら良いだろう。真剣にそう考えた。
結局、方法は見つからなくて、更に憂鬱な気分で下に降りると、母親が居た。
「あんた! まだ準備してなかったの?」
いきなり大声を出されたけれど、体が震えただけで心にはさざ波も立たない。
「さっき呼んだのに!」
聞こえなかったんだから仕方が無い。色だけでなく音まで褪せたみたいだ。
早く準備しなさいと言って母親が僕を追いたて始めた。僕の体を引っ張って朝食を摂らせ、顔を洗わせ、荷物を持たせて、玄関まで引っ張っていく。朝の用意をする気力も無かっただけに、助かった。でもどうでも良かった。
「もうあんたは本当に抜けてるわね」
多分これからはずっとこんな感じだと思う。
「女の子を待たせるなんて」
え? 僕が聞き返す前に、母親が玄関を開いた。
愛斗がぼんやりと空を見上げて立っていた。
僕が出てきた事に気が付くと、嬉しそうに走り寄ってきた。
「おはよう優斗!」
「うん、おはよ……う?」
「しゃっきりしなさい、あんたは。ごめんね愛斗ちゃん。この子何だか寝起きが悪いみたいで」
「優斗に会えただけて幸せです」
愛斗の言葉に骨抜きにされた母親は、馬鹿息子をよろしくお願いしますと言って、鼻歌を歌いながら家の中へ帰っていった。
愛斗が僕の手を引く。
「行こう」
僕は素直に従えない。
「どうして?」
「え? 何が?」
「どうしてここに?」
「だって恋人同士は一緒に学校に通うものなんでしょ?」
真っ直ぐな瞳でそう言われた。愛斗はうちの学校の制服を着ていた。良く似合っていた。
そうじゃなくて、昨日今生の別れみたいな雰囲気で別れた気がするんだけど。そう口に出し掛けて、一旦考えた。昨日の事をようく思い出してみる。考えてみると、確かに愛斗はまた明日と言っていた。もう会えないともしばらく会えないとも言っていなかった。
つまり全部が全部僕の早とちりだった訳か。思わず笑っていた。何故か愛斗も笑い始めた。
悲しみを返せというフレーズが浮かんだ。
「優斗、何が嬉しいの?」
でも、そんな事言う訳が無い。悲しみなんて返して欲しくないから。
「いや、愛斗にまた会えて嬉しくて」
今が最高に嬉しい。それだけで僕は十分だし、一杯だ。今の僕に悲しみを持っている余裕は無い。嬉しさだけでもう満杯だ。
愛斗が顔を赤らめて、私もと言って笑った。愛斗の笑顔を見るだけで幸せだった。多分これからどんな時でもこの笑顔を見るだけで幸せになれるだろう。
「そう言えば、月から通うの?」
「ううん、昨日隣町に引っ越してきたの」
「何だか昨日帰る時やけに派手な演出で帰ってたけど」
「そう? 普通だと思うけど。夜道は危ないから転送してもらったの」
ああ、本当に月の人なんだ。
「うちの学校に通うんだね」
「そう。だから昨日のうちに見ておこうと思って」
「そっか」
僕と愛斗は玄関を離れ、二人で並んで道へと出た。恋人との登下校。思わず顔がにやけていた。でも仕方が無い。これからずっとこんな日が続くのかと思うと、更に顔がにやけるが、それだって仕方が無い。でも本当に仕方が無いよ。この状況じゃさ。
僕と愛斗の日常はこれから続いていくんだ。空を見上げると、白昼の月がぼんやりと、でも美しく輝いていた。
と締めようとしたところで、声を掛けられた。
「あ、優斗さんですか?」
僕の家に一台の自動車が止められていた。何となく高級そうな雰囲気を纏う車だった。その車に寄りかかる若い男性、と言っても僕より年上で、二十の中盤位に見える。服装や顔立ちがどことなく軽そうな感じだが、姿勢には芯が通っていて機敏な動きだった。
「鈴木、もう待ってなくて良かったのに」
「いや、お嬢さん、俺だって優斗さん見ておきたかったんですよ」
どうやら愛斗の知り合いらしい。鈴木と呼ばれた男は僕に目をくれてにやりと笑った。何となく馬鹿にされた気がして僕はむっとした。
「あの、確かに僕は優斗ですけど、何ですか? 愛斗の知り合いみたいですけど」
「まあお嬢さんの付き人ってやつです」
「鈴木にはここまで送ってもらったの。昨日も優斗の居場所を探してもらって連れてってもらったりしたし」
鈴木の言葉に愛斗が付け足した。
それは良いんだけど、さっきの笑いが何だか気になる上に腹が立つんだけど。まさか僕が愛斗にふさわしくないって思われたんじゃないだろうな。
「いやいや、お似合いだと思いますよ」
まるで僕の心を読んだかの様に鈴木が言った。
「さっき笑ったのは、すげえなぁと思って」
笑いを不快に思った事まで見抜かれた。かなり鋭い男らしい。で、凄いって何が?
「いやだって、日曜に旦那様に挨拶しに行く訳でしょ? 昔婚約したとはいえ、初対面みたいなもんだし。出会った初日にそんな決意するなんて。俺にはそんな勇気無いわって思って。あれですよ、感激の笑み」
ちょっと待って、何の事?
やっぱり鈴木は鋭くて、僕の困惑する内心に気付いてくれたみたいだ。
「あれ? お嬢さん、昨日、優斗さんが旦那様に挨拶しに行くって言ってませんでした?」
「言ったよ。だって婚約者って挨拶に行くものなんでしょ? 私も昨日挨拶したし」
「え? 挨拶って……え?」
僕の背中に冷や汗が流れた。
「あー、優斗さん」
途端に鈴木の声音が気付かう響きを持ち始めた。その優しさが、事態の深刻さを暗示していて怖い。
「マジ頑張ってください。あの、旦那様、気に入らん奴だったら追い出すとか、竹刀振って意気込んでるんで」
僕がぎりぎりと錆びついた首を何とか動かして、愛斗を見ると、晴れやかな笑顔を見せてくれた。
「大丈夫。だって優斗だもん。お父様だって、認めてくれるって!」
さっきまでは愛斗の笑顔を見るだけで幸せな気持ちだったのに、今は何故だか湯鬱な気持ちだった。
肩にそっと置かれた鈴木の手が心に沁みた。