僕の知らないなよ竹のかぐや 後編(恋愛)
僕は少しの間、気を失っていたみたいだ。気が付くと、愛斗と僕の友人二人は意気投合して話し合っていた。
「ほんと久しぶり」
「マジかよ。こんなに綺麗になるんだったら、友美じゃなくて愛斗ちゃんにすればよかった」
異性の方の幼馴染である友美が同性の方の幼馴染である良太を物凄い眼で睨みつけた。良太の方は全く気付いていない様で笑っているけれど、先の未来、恐らく今日の夕方位に悲惨な結末が待っているはずだ。とりあえずご愁傷様と言っておく。ついでにこちらに火の粉を振りまかないで欲しいけど、無理だろう。間違いなく、明日の朝には仲直りするにはどうしたら良いかと良太が泣き付いて来るはずだ。
「しかしあんたも幸せもんねぇ」
「どうだろうな」
僕が気の無い振りをして答えると、友美が睨んできた。
「あんた絶対ばちが当たるわよ」
何だよばちって。
「愛斗もこんな馬鹿止めてもっと良い人探しなさいよ」
もっと良い人が居るだろう事は否定しない。
「優斗の他に私の夫は居ないよ。優斗が一番!」
断定的な口調で愛斗が言った。本当に止めて。そろそろ顔が熱で溶け崩れそうだから。
「友美は? 友美は俺が一番?」
「死ね」
「恥ずかしがりやがって」
違う。良く見ろ。どう見ても睨みつけてるから。明らかにさっきのやり取りが尾を引いてるから。
良太はあっけらかんと笑いながら、友美の肩を何度か叩いた。後が怖い。明日苦労するのは僕だろうから、出来ればその辺で止めといてもらいたい。
「さて、じゃあ、そろそろ行くか」
一頻り笑った良太がそう言って、背を向けた。意外だ。ほとんど僕の事をいじる事無く、会話を切り上げた。普段の良太では考えられない。ここぞとばかりに僕の事をからかいそうなのに。
友美も意外だったようで、少し驚いた表情になって、
「お二人の邪魔しちゃ悪いしね」
という定型文でもってその場を切り上げた。良太の後を追って小走りに去って行った。
「それじゃあ、私達も行こう」
愛斗に手を引かれて僕は歩き出した。考えてみれば、僕は愛斗の事を知らないけれど、二人は愛斗の事を知っていて、何年ぶりかの再会なはずだ。それがこんなにあっさりと別れて良かったのだろうか。僕に気を使ったのか。それとも僕が気絶している時間が想像以上に長かったのだろうか。何だかしこりが残った。
さて、それはそれとして、ここから愛斗の生み出す怒涛の奔流に僕は流されていくのだろう。やや駆け足になった愛斗に手を引かれて、絶叫という拷問機械に連れ去られていく事からもそれは分かる。絶叫マシンが苦手な訳ではないけれど、何だか意味が分からない位に回転と急直下を繰り返すコースターを見て、少しだけ寒気がした。が、愛斗はまるで平気らしい。楽しそうに目を輝かせている。
案の定、並んだ。遠目に見ても行列があったので待つだろうなとは思っていたけど。定番のアトラクションなので仕方が無いと言えば仕方が無い。三十分の待ち時間と聞いて、それ短くない? と仰る方も居るかも知れないが、田舎の遊園地なんてそんなものだと言っておく。三十分は夢の国なら二時間半相当だ。それに途中、乗る前に怖気づいた臆病者達が列を離れていったので、順番は多少早くなった。周りの人達は囁く様な笑いで彼等を嘲笑ったけど、僕も愛斗が許してくれるなら、今すぐ列を飛び出したい気分だった。始まりが近付くにつれてどんどんと恐怖が高まっていった。
列に並んでいる間は、僕の事を話した。特に今通っている高校の話、そこで僕がどんな生活をしているか。愛斗のいう月の世界についても聞いて見たかったけれど、まあ周りに沢山の人が居る中で、そんな話出来る訳が無い。そんな訳で、三十分間、愛斗の好奇心は尽きる事無く質問が続き、僕は延々と高校について語り続けた。はっきり言って自分の生活なんて地味でつまらない物だと思っていたけど、目の前の愛斗がとてもおもしろそうだと目を輝かせていたので、もしかして面白かったのかなと少しだけ勘違いしてしまった。まあ、よくよく考えれば、やっぱり地味で普通の生活なんだけどさ。
そんなこんなで、適当な時間つぶしの後に、僕と愛斗は絶叫マシンに乗った。多分僕は青ざめていたと思う。隣ではしゃぐ愛斗が羨ましくて仕方が無かった。コースターに乗っている間は考える余裕も無かったのでカット。結論から言わせてもらえば、何とか気を失う事無く、係員の人に迷惑をかける事も無く、売店のパンツを買う破目にもならなかった。乗ってみれば案外楽しめた。
愛斗はというと、腰が抜けていた。僕がおぶる破目になった。苦手なら苦手と言っといてくれれば良かったのに。
「だって初めて乗るんだもん」
まあそれなら仕方ないけど。
さて、次は何に乗るという段になって、僕はとりあえず目についたウォータースプラッシュのアトラクションを進めてみた。夏だから涼しくなれるし、そんなに激しいアトラクションじゃない。ちょっと混んでるけど、さっきのジェットコースターに比べれば少ない。丁度休憩に適して良そうだった。
でも愛斗は初めから回りたいアトラクションがあったみたいで、お化け屋敷に行きたいと言った。いや、良いと思うよ。お化け屋敷。女の子と来るなら特にね。でも嫌な予感しかしないんだ。お化け屋敷は苦手じゃない。逆に怖がらな過ぎて苦手な位で、複数人で行ってはしゃげばとても面白いアトラクションだと思う。今回は今回で、横にかなり感受性豊かそう、というか素直そうな愛斗が居る訳だし、女の子な訳だし、かなり楽しみになった。一瞬だけ。すぐに酷い不安が襲ってきた。
愛斗は快活にはしゃぎながら如何に自分がお化け屋敷に入りたかったかを力説している。それによるとどうやら月の世界に幽霊は居ないらしい。重力が関係してるのかも何て言ってるけど、多分あまり関係ないと思う。
「お化け屋敷のお化けは作り物だから」
この僕の発言が如何に空気を壊す酷い発言かというのは分かっている。それでも言わなければならない事があるのだ。多分、これを言っておかないとお化け屋敷の中で大惨事になる予感がした。
思った通り、愛斗は幽霊が間違いなく実在し、お化け屋敷にはその本物がうようよいると思っていたみたいだ。多少ショックを受けたみたいだけど、すぐに持ち直して、またはしゃいでいる。良かったと思う反面、やっぱり怖い。
お化け屋敷も多少は並んだけど、幸いクーラーの効いた屋内で、涼しく順番を待った。
順番が来て、いざと気合を入れて、中に入ると、待合の場所よりも更に冷たい寒気が僕の肌を撫でた。横を見れば、愛斗も肌寒そうに腕を擦っていた。僕は何とかしてあげたかったけど、どうして上げる事も出来ずに、しばらく手を繋ごうかどうかと悩み続けていると、愛斗はずんずんと先に進み、そうして最初の驚かしポイントに入ってしまった。
棺桶からゾンビの人形が出てくる。とても単純でありきたりな驚かせ方だった。僕はそのゾンビが人形であった事に感謝しなければならない。洋館なのに何でゾンビ? と僕が思った時には、愛斗は悲鳴を上げてゾンビの人形を蹴り飛ばしていたから。
連鎖して遠くの方から悲鳴が聞こえ、ざわめきが聞こえた。それに反応して愛斗がまた悲鳴を上げ、
「優斗! 逃げよう!」
そう言って、僕の手を握りしめた。
やっぱり愛斗にお化け屋敷は無理だったらしい。幸いこれだけの騒ぎで済んでよかった。僕はその時不用意に安堵してしまっていた。もしかしたら暴れ出して幽霊役の人に襲い掛かるかもと思っていただけに。
確かお化け屋敷は途中で抜けられた気がするなぁなんて考えていた。あるいはどうせ入り口近くだし、入り口に戻っても良いかもしれない。並んでいる人達に自分達の気の弱さを晒す事になってとても恥ずかしいけれど。
とまで考えた瞬間、手を物凄い勢いでひかれた。予想外に強い力で引っ張られて、入り口とは逆方向、つまり順路通りに突っ走り始めた。
「おい、愛斗」
僕が呼び掛けても、愛斗は逃げなきゃ逃げなきゃと混乱した様子で、聞く耳を持たない。周りでお化け屋敷のギミックが発動してもまるで気付かない様子で走り続けている。とうとう前の組を追い越し、更に進み、目の前にお化けが躍り出た。
愛斗の高らかな悲鳴が木霊し、大声に驚いた幽霊役は愛斗にタックルをされて転倒した。
やっちゃったと僕が呻いている内にも事態は進み、倒れた幽霊役が何か言うのも構わず、愛斗とそれに引っ張られる僕は更に進み、幾人かのお化けと客を吹き飛ばして、出口を駆け抜けた。
眩しい陽光に照らされる屋外に出て、荒い息を吐きながら愛斗が言った。
「危なかったね。何とか逃げ切れたよ」
いやいやいや、そんな笑顔を浮かべられても。けれど僕も肺が焼ける様に熱くてつっこむ事も出来ずに、ふと後ろが騒がしい事に気が付いた。振り返ると、沢山の人が集まってこちらを指差している。
まあ、あれだけ騒いだんだから当然だ。このままここで立ち止まっていると、捕まってどうなるか分からない。少なくとも学校に連絡が行くだろう。
僕は愛斗の手を取って、その場から逃げ出した。
走って走って、もう走れなくなった所で止まった。何だか走ってばかりだなぁと思って、振り返ると愛斗が死にそうな顔をして僕の顔を見上げていた。
「もう無理。走れない」
僕の体力も限界だ。こっちとしてももう走れない。僕がそう言うと、愛斗は安堵した様子で笑った。そうして遠くのまたも絶叫系マシンを指差して、あれに乗ろうと言って僕の手を引っ張り始めた。
何で突然元気になったんだ。そんな疑問を思い浮かべている間にも僕は愛斗に手を引っ張られ、絶叫マシンへと近付いていった。ところが進行方向から遊園地のスタッフ走って来るのが見えた。こんな事をしている場合じゃない事に気が付いた。
「おい、ストップ。逃げよう」
「どうして?」
「どうしてって、前からスタッフが来てるだろ。さっきのお化け屋敷の事で捕まえに来たんだ」
「大丈夫大丈夫」
「大丈夫じゃないって。もう遊園地から出よう」
「絶対嫌。まだ来たばっかりだもん」
「そんな事言ったってな」
僕と愛斗が会話を交わしている間にもスタッフが走り寄ってくる。顔は厳しく歪んでいる。これは本当にやばい。そう思って愛斗の手を掴み、逃げようとした。けれど愛斗に手を引かれて止められた。少しいらっとして愛斗を見ると、愛斗が目を下まぶたを下に引っ張って、舌を突き出していた。あっかんべーをしていた。
僕はそこで固まった。愛斗は僕の手を擦り抜けて、まだまだ遊び足りないよと呟いて、スタッフの元へと向かう。その光景が昔の記憶と重なった。
幼稚園の時に同じ様な事があった。女の子と一緒に冒険をした記憶。その子はどんな時でもどんな場所にでも長い黒髪をたなびかせて駆けて行き、僕が危ないから止めようと言っても、その子は決まってあっかんべーをして僕を尻目に駆けて行く。僕はそれに必死で追い縋って、結局危ない場所へ二人で突入して、先を行くその子は決まって危ない目に遭って、二人で一緒に逃げて、どうにかこうにか脱出する。毎度の様に散々な目に遭っているから、明日はもう危ない場所じゃない所で遊ぼうよって言うと、女の子は僕の言葉なんか無視して、バイバイ、また明日と言って、あっかんべーをして、そのまま駆け去っていく。駆け去っていく女の子を見ながら、僕はまた明日も楽しみだと思う。勿論危ない場所に行きたい訳ではないけれど、でもヒーローになった様な気がして、それはとても嬉しくて。
どうして忘れていたんだろう。愛斗との大切な記憶。周りのみんなが持っていたのに、僕だけが持っていなかった愛斗との記憶は、持っていないなんてやっぱり僕の勘違いで、確かに僕の中にあった。
毎日危険な場所に行っては小さな危険とヒーロー気分を味わい、将来の約束と共に子供らしい些細な結婚の約束を交わし、それから……僕が何故愛斗の事を思い出せなかったのかも思い出した。
愛斗と出会ってから二週間、愛斗と婚約をした次の日、愛斗は遂に帰る事になって、僕と愛斗は泣きながら別れの言葉を言い合って、それでも僕は離れたくなくて愛斗に追い縋ろうとして、その時に愛斗が僕に言った言葉。
「絶対戻って来るから。優斗のお嫁さんに相応しくなって、絶対に帰って来るから。だからそれまで私の事は忘れて」
たったそれだけ。それだけを言われて、僕はまるで魔法が掛かったみたいに、愛斗から離れ、そして今まで思い出す事も無かった。
なんて単純な奴なんだと自分でも思う。でも、言われた言葉を素直に受け取って、十年以上の間守り続ける位に、僕は愛斗の事が好きだったんだ。
僕が過去を思い出している間に、愛斗はスタッフと向かい合っていた。僕が我に返ってどうなるのか緊張していると、しばらくしてスタッフが一礼して何処かへと去って行った。愛斗が戻ってくる。どうだと言わんばかりの表情を浮かべている。その表情も昔のままだ。僕が危険だ危険だと忠告する場所から無事に戻って来た時に必ず浮かべたその表情。何だか懐かしくて、
「久しぶり、愛斗」
意味が繋がらない事を承知の上であえてそう言った。案の定、愛斗は疑問符を浮かべて僕を見つめてきた。
「ようやく思い出した。愛斗の事、二人で遊んだ時の事」
「本当?」
愛斗が震えながら僕に手を伸ばしてきた。僕はそれを握って、言った。
「本当」
「森の中の洞窟に探検に行った時の事は?」
「蛇の巣があって二人で逃げ出して」
「じゃあ、みっちょさんの庭に入った時は?」
「ドーベルマンが吠えかかって来たから二人で逃げた」
「じゃあ……じゃあ、結婚の約束は?」
「勿論、憶えてるよ。あの時に書いた婚姻届だって残ってる」
記憶を無くしていた時は婚姻届を見ても何の事か分からなかったけれど、今ならその意味が、それがどれだけ大事な物か分かる。
愛斗がぐうと鳴いて俯いた。僕も何だか上を向けなくなって、愛斗の手を握ったまま、愛斗の見つめる地面を見つめた。二人で俯き合ってしばらくして愛斗が言った。
「じゃあ、じゃあ、じゃあ、私、優斗のお嫁さんに相応しくなれてる?」
僕は言葉に詰まった。勿論否定の気持ちなんてまるで無い。ただあまりにも嬉しくて、自分が幸福で。僕は頷いた。
「勿体無い位」
愛斗の体が僕に倒れ込んで来て、僕は少しだけよろめいた。愛斗の温もりが僕の体の力を抜いて長くは支えていられそうにない。ふと顔を上げると、不躾な視線が僕と愛斗へ注がれていた。何だか恥ずかしい。
僕が離れようとする前に、愛斗が先に離れて、僕の手を引いた。
「それじゃあ、デートの続き」
僕は頷いて、楽しそうに走る愛斗に引かれて目指す絶叫マシンへ向かった。
それから閉園時間まで遊び倒した。途中何度かスタッフに呼び止められたが、愛斗がじっとそのスタッフを見つめると、スタッフは失礼しましたと礼をして去っていった。
「さっきから何で見逃してくれるんだ?」
と僕が聞いてみると、
「暗示をかけてるだけだよ。見逃す様に」
と返された。何だそれは。
「月の人はみんな出来るよ」
そう言って、愛斗は薄らと現れ始めた月を指差して笑った。全力で否定したいところだが、現に目の前でその効力を見てしまっている。寸前まで怒髪天を衝く勢いのスタッフが次の瞬間には穏やかな表情になって帰っていくのを。
そういえば、竹取物語のかぐや姫もまるで魔法の様に人を魅了していた。もしかしたら本当に月の人は魔法を使えるのかもしれない。
とそこまで考えて、昔の記憶の中に愛斗がそんな事をした記憶が無い事に気が付いた。
「でも、昔はそんな事してなかっただろ」
「しなかっただけ」
「どうして? 怒られた時とかにそれを使えば簡単に逃げれただろ」
「月の人だってばれちゃいけないから。だから地球の人が持ってない力はなるべく使わない様にしてるの。あの時だって優斗に月の人だってばれない様にしてたんだから」
「ならどうして」
今は使ってるんだ。僕がその言葉を発する前に、愛斗が言った。
「だって優斗は私の夫だから、月の人だってばれても良いの」
「それは嬉しいけどさ。でも、そういう能力を白昼堂々使ってて良いのか?」
「良いの」
愛斗がやけにきっぱりと言い切った。もしかしたらばれない様な能力も持ってたりして。それにしても、
「さっきの場面が危険を冒してまで力を使う場面じゃなかった気がするけど」
愛斗がむっとした表情を作った。
「私にとっては、月の出身だってばれる事なんかより、優斗と遊べない事の方がずっと嫌なの」
そう言われては何も言い返せない。僕はそれからずっと夢見心地で遊園地を過ごし、電車に乗って自分の町へ戻るまでその調子だった。
地元の駅についた僕は隣に居る愛斗と一緒に家へ帰ろうとしてちょっと悩んだ。タクシーで帰ろうか、歩きで帰ろうか。愛斗は疲れている様だし、夜道は危ない。一応財布の中にはまだ家に帰るタクシー代位は残っている。でも、タクシーだと徒歩なんかよりもずっと早く家に帰ってしまう。
ふとそこで何だか嫌な予感がした。でもそれが何なのかは掴みかねた。
すると愛斗が僕に向かってこう言った。
「ねえ、折角だから最後に優斗の通う学校を見てみたい」
「じゃあ、近くだし行ってみるか」
最後?
僕の通う学校は駅からすぐ近くにある。別の駅から電車を乗り換えて通う生徒も居る。交通立地の良い場所だ。
だから僕と愛斗はすぐに学校に着いた。最後ってどういう意味だろ。そんな余りにも明白な問いが分からない位に。
黒い塗装をされた鉄の校門を乗り越えて、二人で校庭に不法侵入した。桜でも咲いていれば見事だったんだろうけど、生憎そんな季節は終わっている。それでも愛斗は感嘆の吐息を漏らして、何の変哲も無い夜の学校に魅入ってくれた。
「ここに優斗が通ってるんだ」
「ああ」
「楽しい?」
「まあ、それなりに」
「そっかぁ」
愛斗が心底羨ましそうな声音でそう言った。そこで僕の亀よりも遅い脳味噌はようやく気が付いた。愛斗が帰ってしまうという事に。
「でも」
折角今日、再会出来たのに。折角好きな事を思い出せたのに。
「多分つまらない」
「何で?」
それなのにまた離れ離れになってしまうのか?
「愛斗が居ないんじゃ、つまらないよ」
会いに行こうにも月になんてどうやって行けば良い? 良く物語であるよね。会えなくなった恋人に会う為に、未知の技術を生み出したりして出会う話が。でも僕はそんなの嫌だ。いつか一緒になるなんて嫌なんだ。今一緒に居て、これからもずっと一緒に居たいんだ。
愛斗が嬉しそうに笑っている。僕はその笑顔を手放したくない。
「だから、帰らないでほしい。僕は愛斗とずっと一緒に居たい」
愛斗が一瞬驚いてから、更に嬉しそうに笑った。
「私も」
「じゃあ」
「でも今日は帰らなくちゃ」
気が付くと、光が生まれていた。愛斗の周りを光の粒子が漂っていた。光の出所は愛斗の足だった。愛斗の足が段々と光の粒になって消えていく。あまりにも唐突な別れだった。
「また会おうね」
お別れの時が来たんだ。
そんなの嫌だった。認められない。またなんていつの事だか分からない。
「愛斗、待って」
僕が追い縋ろうとすると、愛斗は寂しそうな顔で
「バイバイ、また明日」
と言って、あっかんべーをした。
それはあの小さい頃の思い出の焼き直しで、今も昔も変わらない長い黒髪がはためいて、美しさに見惚れている内に、愛斗は帰っていく。ただ一つ違うのは、愛斗が駆け去っていくのではなく、光の粒になって消えてしまった事。
僕が愛斗を捕まえようと、抱きしめた時には、愛斗は完全な光の粒となって僕を擦り抜け、辺りの空気に混ざって消えてしまった。
後に残された僕は立っている事も出来なくて校庭の土の上に崩れ落ちた。涙を流す事すら出来なかった。明日を楽しみに思う事なんて出来る訳が無かった。