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や・め・て(ホラー・嫌悪感を催す描写有)

・この小説は「arcadia」にも掲載させていただいております。


「ちょっとお弁当忘れてるよ」

 玄関から飛び出そうとしていた私は、その言葉に引きとめられて蹴躓いた。ドアを開け損ねて体を強かに打ち付けた。その痛みを喉の奥へと飲み下していると、どたどたという喧しい母の足音が聞こえてきた。

「あんた、馬鹿じゃないの」

 痛みに耐えながら、うるさいなぁと私が答えると、母は呆れた表情でお弁当を突き出してきた。お弁当包みは鳥の絵が描かれた真新しい桃色の布で、今迄使っていた緑色に渦巻の如何にも年寄り臭い風呂敷包みとはまるで違っていた。

 お弁当を持って帰る度に文句を言っていたのが功を奏したのだろうか。

「変えてくれたんだ」

 私が尋ねると、

「何言ってんの?」

と母が答えた。

 恥ずかしがっているのだろうか。恍けた母の真意が分からずに不思議がっていると、母が億劫そうに手を振って、私を追い払い始めた。

「時間」

 母の短い言葉を聞いて、私はお弁当を奪い取って、学校へと駆けた。

 新しいお弁当包みは友人に好評だった。好評というよりは今迄のあんまりな代物に対する同情から来る励ましの様にも思えたが、とにかく褒めてもらえた。それが素直に嬉しくて、帰ったらお礼の一つでも言ってやるかと思いながら、私は午後の授業に浮ついた状態で参加し、帰りには友人の誘いを断って、逸早く帰途についた。

 若干の早足で歩いていると、駅前の商店街で母親に会った。買い物袋を載せた自転車に乗って、今帰るといった様子である。母は私を見ると、何故か如何にも慌てた様子で自転車から降りて寄って来た。

「あんた、友達と遊んで来なかったの?」

 お弁当包みのお礼を言う為に早く帰ろうとしていた、等とは恥ずかしくて言えず、私は努めて無表情を装って答えた。

「別に偶には良いじゃん」

「まあ、そうなんだけど」

 母は何故か視線を逸らし、かと思うと私を見つめて、外し、窺い、落ち着きのない様子だ。

 何だろう。私が家に帰るとまずい事でもあるのだろうか。まさか不倫をしていて相手が家に居るんじゃ。

 そんな嫌な想像を私は必死で抑えつけた。そんな訳が無い。そもそも私の家はマンションでお世辞にも防音性が高いとは言えない。そんな事をすれば、隣近所に筒抜けになる。流石にそこまで馬鹿な事はしないだろう。

 母の不審な態度も最初だけで、後は平生通りの母だった。一緒に帰る途中、私は言おうと思っていたお弁当包みのお礼を、出来るだけさり気無く伝えてみた。

「何言ってんの?」

 朝と同じ対応が返って来た。

「別に恥ずかしがらなくたって良いじゃん」

「だって、あんた、あの包みは前から同じでしょ?」

 何だか話が噛み合わない。あくまで空恍けるつもりなのか。それならそれで良い。別にお礼の反応が欲しかった訳ではないのだから。

 帰る途中に、突然母が家とは違う方向に曲がった。どうしたのと聞くと、こっちが家でしょと返ってくる。訳が分からずに付いていくと、大きな一軒家の前に着き、母はそのまま門を開けて、自転車を転がしながら庭先へ入って行った。

「どうしたの、お母さん。誰の家?」

「何言ってんの?」

 またこの反応だ。

「あんたの家でしょうが」

 そっちこそ何を言っている。安月給の父が立派な一軒家を帰る訳が無い。どう見ても、目の前の家は私達よりも遥かに上級の家庭が住む物だった。

 私が困惑している間にも、母は自転車を止めて、玄関へと進み、そして鍵を取り出した。

「もしかしてこの家の鍵?」

 気になって母の背に追い縋り、尋ねると、母はこちらに顔を向ける事も無く、平静な声音を返してきた。

「当たり前でしょ」

 鍵は鍵穴に差しこまれ、捻られ、玄関が開いた。

「何で開くの?」

「あんた、ホントに何言ってんの?」

 中もまた外観に違わず豪勢だった。フローリングはワックスを掛けたばかりの様な艶を放っている。玄関の先に敷かれた絨毯は踏むのを躊躇する位に高そうだ。まるで見た事の無い屋内だった。私には勝手の分からない家の中を、母は迷う事無く進んでいく。母の後に着いて台所に入ると、調理をした痕跡が見当たらない位に磨き抜かれた台所だった。

「ねえ、私の部屋何処だっけ?」

「階段上がってすぐの部屋でしょ。熱でもあるの?」

 私は何となく現状を理解し始めていた。世界が突然ずれたのだ。

 階段を上ってすぐの部屋に私の部屋である事を示すプレートが掛かっていた。ようやく見慣れた物に出会えた。プレートは前の家で掛けていた物だ。汚れてくすんでいた。光り輝く廊下の中で、そのプレートだけが酷く浮いていた。

 扉を開けると、綺麗に片づいた私の部屋があった。片づいているとはいえ、今迄見てきた綺麗な内観と比べると汚い。何故なら部屋に置いてある物は全て私の元の持ち物だったから。机もベッドも箪笥も前の家ではそれなりに綺麗に見えたのに、今の家の中にあると汚れが目立つ。小物も前の部屋では可愛らしいと思っていたが、今の部屋では何処か歪で、やはり汚く見える。

 世界がずれたんだ。私はもう一度そう思った。理由は分からない。ただずれたのだ。朝はお弁当の包みがずれた。今は家がずれた。次は何がずれる?

 不安を抱きながら部屋でぼーっとしていると、父が帰って来た。いつもは夜遅くに帰って来るのに、今日はやけに早い。もしかしたらまた何かずれているのかもしれない。

 恐る恐る階下に降りると、丁度靴を脱いで廊下に足を踏み出した父と顔が合った。

「おお、ただいま」

「お帰り」

 ある程度の予想はしていたとはいえ、やはりショックだった。

 父は何だか身なりが豪華になっていた。いつものくたびれたスーツとはまるで違う上等そうなスーツ、脱ぎ終えた靴も光沢を放っている。手に巻かれた腕時計は何と金色をしていた。

「お帰り、あなた。今日は早かったのね」

「ああ、重役会議があったんだが、社長に急用が入って中止になってね」

 重役会議。今迄そんな話題が出た事があっただろうか。

 これで分かった。つまり、今度は父親の地位がずれたのだ。

 落ち着かない夜だった。料理はおいしい。食卓の会話も明るい。話に依れば生活は順調だそうである。試しに欲しい物をねだってみると、二つ返事で了承が出た。

 だが喜べない。今迄の生活とのずれが素直に喜ぶ気持ちを抑えていた。居心地の悪い落ち着かなさが胸の辺りから広がっていた。

 何よりも気味が悪いのは、ずれがどう進むか分からない事だ。とりあえず今の所は良い方向へ進んでいる。だが明日になったら絶望的な状況がやって来るかもしれない。あるいは、考えたくないが、両親や私がずれてしまうかもしれない。そうしたらそれがどんなに良い状況であっても、嫌だ、私はそれを喜べない。それが不安だった。

 朝になってまず初めにした事は、自分の体を隈なく調べる事だった。何処もおかしな所は無い。部屋の中も変な所は無い。階段を降りて台所に行くと、昨日と同じ母が居た。母に促されてダイニングに行くと、夜に見たそのままの父が居て、食事をとっていた。少なくとも新しいずれは見当たらない。私の頭がずれていないのであれば。

 学校に登校すると、そこもまた普段通りの学校だった。もしかしたら学校まで変わってしまうのでは思っていたが、それは杞憂に終わった様だ。一つ違う事があるとすれば、それは私の心に残る不安だけ。また何かずれが現れるのではないか。そんな不安だけがいつもの日常と違っていた。家に帰るのが怖かった。

 憂鬱な気持ちで、私は家路についた。友人の誘いはまた断った。ふと気になって前に住んでいたはずのマンションに寄ってみた。だが部屋の鍵が合わず、中には入れなかった。決まりだ。ここは私の家ではなくなった。

 新しい方の家に帰る。目の前には彫刻の彫られた玄関がある。鍵を入れるとすんなりと通り、捻ると開いた。ここが私の家なのだ。

 もうこれ以上ずれていて欲しくはない。そう願いながら玄関を開いて入った。すると奥から足音が響いて来た。

 いつものどすどすという重たい音ではない。とてとてとまるで子供が走る様な軽い足音だった。嫌な予感がした。

 まさか今度は母親がずれたのではないか。子供にでもなってしまったのではないか。

 緊張して、唾を呑んだ。その間にもとてとてという音が近付いてくる。怖かった。この場から逃げ出してしまいたい。

 足音は近付いて、近付いて、遂に曲がり角から足が覗いた。何だかやけに短い脚だ。続いて手。手の見える位置はとても低い。やはり。そして、顔。何で。腕から直接顔に繋がっている。頭部の耳のあるはずの部分から短い腕が生えていた。

 分からなかった。

 目の前の生き物が何なのか。人と言って良いのだろうか。

 曲がり角から現れたのは、見紛う事無き化け物だった。

 短い脚の上に人の頭が載っている。頭の耳の部分から短い腕が生えている。頭から直接四肢の生えた化け物。何かで見た妖怪の絵が頭に浮かんだ。気味が悪い。吐き気がした。小さな子供がふざけて作った粘土細工の様だった。

 何となく鳥を思わせた。辛うじて人間の顔らしくは見えるのだが、口が突き出ていて、嘴の様である、眼は爛々と瞬き一つせず、意志を感じさせない。人間の顔の様で在りながら、それは人間の顔ではなかった。

 まさかこれが母親だろうか。女性然とした顔であるが、母の顔とはまるで違っていた。突き出た口や見開かれた眼を除いても、母の顔とは大分違う。と言っても、母親でないとは言い切れない。現に親は居ないのだ。庭には自転車が置かれていた。外に出掛けたのであれば、自転車は無いはずである。ちょっとした用事で歩いて外に出ていった可能性もあるが、そういう時に履いて行く靴は玄関に置いてある。絶望的だ。恐らく目の前の化け物は母親なのだろう。悲しみよりも何よりも、まず気味の悪さが先だった。ひたすら気持ち悪かった。

 さらにとてとてという足音が響いた。顔を上げると、先程母の現れた廊下の影から今度は男性の顔をした同じ化け物が現れた。顔は違うが、多分父親だ。父親は母親の傍に寄りそうと、二人して私を見上げて、何か口を動かし始めた。声は聞こえない。空気を吐き出す擦れた音が聞こえるだけだ。当然だろう。喉の無い体に声帯がある訳が無い。

 二人は口を動かしている。気持ちが悪かった。口の動きから、何となくお帰りと言っている気がした。そう思うと更に気持ちが悪くなって吐きそうになった。

 私がよろめいて玄関に背を預けた時、インターホンが鳴った。

 縋る様に扉を開けると、そこに──母が立っていた。隣には父も居る。見た事の無い男達がその後ろに何人か。中にはカメラを構えている者も居る。一人、何かプラカードを持っていた。それを見て、私は腰を抜かしそうになった。

『ドッキリ』

 皆が笑っていた。腰を抜かした私を見て笑っていた。

「ドッキリ?」

 感覚は理解したが、思考が追い付かない。

 母親が笑って頷いた。

「そう、ドッキリ。テレビの企画。びっくりした?」

 呆然としてから、怒りが湧いた。

「びっくりしたに決まってるでしょ! 何でこんな事を」

「いやあ、ドッキリ企画の募集をしてたから、応募したら当選しちゃってさ」

 父が照れた様子で答えた。更に怒鳴ろうとしたが、一気に力が抜けた。安堵感が全身から力を奪っていた。

「じゃあ、あの後ろに居るのは?

 私が二人の鳥を指差すと、プラカードを持った男が答えた。

「鳥人間という奇病の患者さんですよ。今回特別に出演していただきました。体が変形している上に、言葉も喋れないし、寿命も短い。知能も遅れているそうです。まともな生活は出来ません。テレビの前の皆さんに、世界にはああいった可愛そうな病気の方が沢山居ると知っていただきたくて、今回外国の病院から医院長の許可を取って、出演させていただきました。募金方法は下記の通りです」

 テレビ局の人間が指を下に向けた。多分、そこに編集でテロップが入るのだろう。

 安堵した私は唐突に気になる事が出来た。

「ねえ、じゃあ、家は」

「この家は使わせてもらってるだけ。残念だけど住めないわよ」

「えー、じゃあ、もっとくつろげば良かった」

「お父さんは昨日精一杯満喫したぞ」

 皆が笑った。

 何だか気になって後ろを向くと、鳥人間がまだ口をパクパクしていた。混乱から立ち直った今、その口の動きはどう見ても「お帰り」ではない。

 よくよく見てみれば、その口の動きはこんな風に言っている様だった。意味は分からない。

「は・め・せ」



 執筆後記

 夏だからホラー! という事で、今回は気持ち悪い話を書いてみました!

 日常が崩れていく怖さが上手くかけていればと思います!

 さて恐らく気になっている方も多いかと思いますので、解説をさせていただきます。

 鳥人間についてです。

 この鳥人間という病気は実在こそしませんが、モデルは存在します。前に病院で見た患者さんで、まるで鳥の様な顔付きをして、腰を曲げてぶつぶつ呟きながら鳥の様な様子で歩いていました。

 顔や骨格が変形してしまう病気で、脳にも影響があり、まともに喋れなくなるそうです。ぶつぶつ言っているのは何なのかな、もう一度その患者さんに近付いてみると、ぶつぶつ喋っていると思えたのは、喉を鳴らしている音でした。こっこっという音で、何処から何処までも鳥人間という様子がふさわしい状態でした。

 最後の「は・め・せ」というのは、実際にその時の患者さんが、何だか私に語りかけるみたいに口パクをしていたものです。知性は無いそうなので意味なんて無いのかもしれませんが、もしも意味が分かる方がいましたら教えてください!

 最後になりますが、世界には沢山の奇病が溢れています。これを読んでいる方のほとんどの方は健康な方でしょう。そういった方がこの作品を読んで、自分の今の幸せを噛みしめてくれたなら私もとても幸せです。

全てフィクションです

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