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一抹の家族の形(ホラー)

 私は着せ替え人形が欲しかった。


 形見の整理をしていると箪笥の引き出しの奥に古びた市松人形が入っていた。とても懐かしい。子供の時に祖母から貰った物だった。箪笥の中から取り上げて、被った埃をふっと吹くと、黴臭い埃が舞って私の気管支へと入り込んだ。強く咳き込み咳き込み、しばらくして落ち着いてから、私は服の裾を使って市松人形の顔に付いた汚れを拭ってやった。当時のままの無表情が私の事を見つめている。


 別段宝物だった訳ではない。箪笥の奥に忘れ去られていた事からもそれは知れる。当時の私は宝物に思うどころか毛嫌いしていて目に触れる事すら厭って箪笥の奥に捨て去った。私にこの人形をくれた祖母はそのすぐ後に亡くなったので、人形は祖母の形見でもあるのだが、私には祖母との思い出を大切に思う気持ちよりも、西洋然とした着せ替え人形を買ってもらえなかった事への怒りの方が遥かに強かった。


 電話が鳴った。


 電灯の切れた屋敷の中はまだ昼間だというのに薄暗い。電話へ辿り着くだけでも慎重になる。電灯の強い光に慣れすぎた所為なのだろうか。こんな暗い世界で昔の人はどうして暮らせていたのか不思議でしょうがない。廊下に出ると、一際の暗がりから電話のベルが聞こえている。電灯は切れているのに電話は通じているらしい。家の主はもう居ないというのにまだ電話代が支払われているのだろうか。だとしたら解約をすべきだろう。またやる事が増えてうんざりしつつ、私は誰が聞いている訳でも無いのに、はいはいと応じながら、旧式の黒電話の受話器を取って耳に当てた。


「あ、お姉ちゃん? もうそっち着いちゃってる?」


 妹からだった。私がもう着いているよと答えると、妹はごめんごめんと調子よく謝ってから、後少しで着くからと嘯いて電話は切れた。ずぼらで自分勝手な妹の事だから多分あと一時間以上は掛かる。私はうんざりしつつ市松人形の元へと戻った。


 埃の積もった部屋は散らかっている。箪笥の中の物を出したは良いが、さてどうしようかと悩んでいる最中だ。どうせ母の遺産を相続するのは私だけ、親類縁者は悉く絶えている。つまりこの家の物は全て私の物と言ってしまって良い訳で、一切合財捨ててしまっても良い。


 足に痛みが走った。古い櫛を踏んでいた。いらっとして蹴り飛ばした。箪笥を一つ開けただけでこの始末だ。これから箪笥以外の収納を開ければ更に増える。それが十何部屋とある。一人じゃやっていられない。大きい家も考え物だ。旧家と言っても古いだけだ。いっその事、手を付けずに取り壊して更地にしてしまった方がマシかもしれない。


 私は何だか疲れを感じて畳の上に大きな音を立てて座り込んだ。体が埃で汚れたが気にしない。最初に掃除をすれば良かったがもう遅い。私は市松人形を掴み揚げて天井に晒してみた。


 茫洋とした表情だ。薄く笑っている様でもあり、無表情の様でもある。何を考えているのか分からない。白痴の様な顔。全く何を考えているのやら。伯母がそう言った。それに対して母が何やら反論するが、一方で横目でじとりと私の事を睨みつける。何がいけないと言うのだろ。私は着せ替え人形が欲しかったのだ。なのに何故こんな不気味な人形を渡されなくちゃならないのか。


 その人形も着せ替えをして遊ぶんだよ。周りの人々はそう言うが、私が欲しかったものはこんな物ではない。私がそう言うと祖母は悲しそうな顔をした。何故、そんな顔をするのか。まるで私が悪いみたいだ。皆が非難の眼を私へと向ける。また誰かが何を考えているのか分からないと言う。あんたの育て方が悪いからだと母を責める者も居る。母は私の事を睨みつける。


 サカコちゃんだって持ってるのに、どうして私には買ってくれないの。何気ない一言だったが頬を張られた。畳の上に打ち据えられて理解が出来ずに呆然としていると、父が凄い剣幕で怒鳴っている。サカコちゃんを馬鹿にするなと言う。確かにお手伝いさんの子供だが身分に差は無いと言う。何の事を言っているのか分からない。私はただサカコちゃんと一緒に遊びたかっただけなのに何がいけなかったというのだろう。


「あら来ていたのかい」


 振り返ると祖母が腰を曲げて立っていた。いつも通りぼろぼろの野良着を着て、汚れた歯を見せて笑っている。


 おばあ様、すみません、勝手に上がってしまって。良いの良いの、久しぶりに来てくれたんだから嬉しいよ。そう言って、汚い歯を見せて笑う。とても不潔な感じがする。私はその笑い方がどうしても好きになれなかった。


 ねえ、その人形。祖母は私が持つ人形に目を落として懐かしそうに目を細めた。弛んだ瞼で細目になっていた目が一層細まって閉じられる。何も見ていないのではないだろうか。


 まだ持っていてくれたのかい。勿論です、おばあ様から貰ったお人形ですから。本当は箪笥の肥やしになっていたのだけれど。その事がばれやしないだろうかと少し緊張したが、祖母はそうかいと言ったきりで、特に気にした様子も無かった。ああ、結局はその程度の物だったのだなと思うと、気に掛けていた自分が馬鹿みたいで、一層祖母が憎らしくなった。


 それは由緒のある人形でねぇ、五人家族のお姉ちゃんなんだよ。それはもう何度も聞いた。だが由緒があろうと高かろうと私は西洋人形が欲しかったのだ。要らない物は要らない。五人家族という話も嫌悪の対象だ。祖母に両親に私。後は妹が出来れば丁度人形と同じで具合が良いと言うのだろう。励みなさいよとのたまう時の口実として、よく親戚が両親に向かって言っていた。子供ながらにその下世話さが異常に映った。その話題が出る度に私は人形を捨てたくてしょうがなかった。段々と見るのも嫌になっていった。


 変わっちゃったねぇ。祖母が私の事を見て言った。特に頭髪と眉へ視線が注いでいる。また学校の友達にペンキでもかけられたのかい? 後でおばあちゃんが言っといてあげるからね。祖母が本当に文句を言うから学校のみんなは一層私を小突くのだ。それが分からない祖母に腹が立つ。「おばあちゃんが学校の先生に言ってあるのにどうして仲間はずれが続くんだろう」と馬鹿みたいに顔を突き合わせている大人達にも腹が立つ。もう家の格なんて物はとうの昔に無くなっている。そんな事にも気付かずに未だに鶴の一声を信じている。「問題なのは自分自身、周りが幾ら言ったところで自分が変わらなくては意味が無い」そんな多少はマシな事を言う者も居たが、あの子は足りないからそれは無理だという言葉で封殺された。何が足りないのかは分からない。


 私が実際に変わったのは、高校の時だ。都会の学校へと進学した私は毛を染めた。色素を抜いて、無理矢理染色を付けて徹底的なまでに金色にした。田舎に帰ると、父の罵声と張り手が飛んだ。土間に転がった私は水を掛けられて、二度と帰って来るなと言われた。だから私は今日の今日までこの家に戻って来た事は無い。父は私が大学の時に死んだらしいが、死に目には合わなかったし墓にも行っていない。多分碌な死に方はしなかっただろう。私はそう思う事にしている。


 お人形さんみたいになるって言っていたのに、それじゃ全然お人形さんじゃないよ。そんな祖母の言葉で思い出した。確か昔人形の様になりたいと言った事があった。祖母の言う人形は日本人形の事なのだろうが、私がなりたかった人形は西洋人形だった。憧れたのはほんの安っぽいプラスチックの着せ替え人形。小川のほとりでサカコちゃんが人形を手に持って揺らしている。揺れる金色の髪に目を奪われて、私の頭も揺れ動いた。私はすぐさま家に帰って人形をねだり、次の次の日に与えられたのがこの市松人形だった。


 今まで考えてみた事も無かったけれど、私が毛髪を金に染めたのは、あの時の西洋人形に憧れたからかもしれなかった。あの時からずっと変わりたいと思っていたのかもしれない。ではもしもあの時西洋人形を買ってもらっていたらどうなっていたのだろう。それは考えても仕方の無い事か。私があの時西洋人形を買ってもらえた「もしも」の人生は存在しないのだから。


 またしばらく黙々と荷物を要る物と要らない物に分けていると、急に電灯が明滅して、ちりちりとした音が鳴り、明かりが灯った。続いて醤油風味の良い香りが漂ってくる。遅れて居間の方から母と父の声がかかる。


「ご飯出来たから早く来なさい」

「荷造りはそれ位で良いだろ。まだ引っ越すのは先なんだ」


 妹の声も聞こえてくる。もうお姉ちゃんはいっつも真面目なんだから。私なんて全然やってないよ? 祖母の声も聞こえてくる。あの子は昔からしっかり者だからね。


 その時、何故だか急に帰らなくちゃいけないと思った。そろそろ暗くなる。一旦家に帰らなくては。


 ご飯冷めちゃうよ。母と妹が同時に言った。帰らなくては。でも家はここだ。私はもう帰って来ている。

 早く来いよ。父が間延びした調子で呼んでいる。美味しそうな匂いが鼻腔をくすぐる。今日の鮎は脂がのってて美味しそうだよ。祖母の嬉しそうな声が私を呼んでいる。懐かしい気配が私を手招く。


 分かった、今行く。気が付くと私は応えていた。懐かしんでいた着せ替え人形、安物で価値なんかまるで無いけれど、何よりも大切な宝物を慎重に箪笥の中へ戻して、金色の髪を一つ撫でつけてから、私は温かい家族の待つ居間へと戻った。

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