第7話 感謝を商いにする令嬢
異世界でも、確定申告は必要らしい。
正確には「商会登記」だ。王都の商業登記所に届け出て、税を納めて、初めて正式な商いが認められる。前世の個人事業主の開業届と似ているけれど、こっちは手数料に銀貨十枚取られる。
「お嬢様、登記完了しましたわ。『グリューネ便利商会』——」
ソフィアが羊皮紙の登記証を両手で掲げた。目がきらきらしている。この子は事務仕事に向いている。帳簿をつけ始めてから、明らかに生き生きしている。前世でいう「適材適所」。人は、得意なことをしている時が一番輝く。
事業は単純だ。感謝ポイントで召喚した現代アイテムを、クラウスの魔道具技術で異世界仕様に改良して、商会を通じて販売する。
第一号商品は「消えない筆記具」。ボールペンのインク機構をクラウスが魔道具化したもの。羽根ペンのようにインク壺が要らず、書き心地が滑らかで、乾いても固まらない。
王都の書記官たちの間で、爆発的に売れた。
「なにこれ、めちゃくちゃ書きやすい」——ではなく、この世界の言い回しだと「これは素晴らしい。インクの垂れがない」。まあ、言い方は違っても意味は同じだ。
第二号商品は「貼って剥がせる小紙」。付箋の粘着機構を魔道具化したもの。伝言に使える。壁に貼れる。虫除けにもなる(副次効果は健在)。
「お嬢様、今月の売上です」
ソフィアが帳簿を開いた。彼女の字は正確で読みやすい。数字の桁がきちんと揃っている。前世の経理部の後輩でこんなに丁寧な帳簿をつける子はいなかった。
「金貨百二十枚……ですわ」
「百二十!」
二週間で金貨百二十枚。五千金貨まであと四千八百八十。遠い。でも、ゼロではない。
◇
クラウスの工房が、事実上の開発室になっていた。
壁には試作品のスケッチが貼ってある。クラウスの手描き。無骨だけど正確な図面。寸法が0.1ミリ単位で書き込まれている。前世のCADソフトが恋しいけれど、この人の手描き図面はCAD並みの精度がある。
「次の召喚アイテム、何がいい?」
「……粘着テープの構造が面白い。あれを大型化すれば——」
「梱包材になる?」
「荷馬車の荷物が固定できる。今の麻紐より強度が出る」
クラウスは話し始めると止まらない。物の構造の話だけ。人の話題になると途端に寡黙になるのに、歯車やバネの話になると目が変わる。灰色の瞳に光が灯って、指が宙で設計図を描き始める。
前世の推しゲームで見た。これは「没頭モード」だ。好感度イベントの一つ。
——いや。ゲームじゃない。リアルだ。三次元だ。
「クラウスさん」
「何だ」
「お昼、食べました?」
「……」
「食べてないですよね」
「作業中に食べると、油が食事に——」
「はい、これ」
私は包みを差し出した。ソフィアに頼んで作ってもらったライ麦パンのサンドイッチ。中身は山羊のチーズと、領地で採れたハーブ。
クラウスが包みを受け取った。一瞬、何を言えばいいか分からないという顔をして。
「……これ、余ったのか」
「余ってません。あなたの分です」
クラウスの耳が赤くなった。目を逸らして、無言でサンドイッチを一口かじる。
「…………うまい」
小さな声。でも確かに聞こえた。
そのとき、彼が——不意に、微笑んだ。口元がほんの少しだけ緩んだだけ。でも。
……待って。
かっこいい以外の語彙が。どこにも。ない。
推しイベの最前列で推しがファンサしてきた時のあれ。脳内がフリーズして、心臓だけが全力疾走するあの感覚。二次元でも三次元でもない2.5次元の存在が、ライ麦パンをかじりながら微笑んでいる。
「……どうした。顔が固まってる」
「な、なんでもないです」
「具合が悪いなら——」
「大丈夫です! 本当に大丈夫です!」
大丈夫じゃない。語彙力が完全に死んでいる。
◇
夕方。男爵家に戻って、自室で帳簿を見返す。
ソフィアの帳簿は完璧だった。収支の内訳が一目でわかる。前世のExcelがあれば五分で終わる作業を、この子は手書きで三十分でやっている。それでもこの精度。
「ソフィア、あなた帳簿の才能あるわよ」
「えっ、そうですか? 数字を並べるのが好きなだけですわ」
「それを才能って言うの」
『+2』。
感謝ポイントが溜まるたびに、事業の原資が増える。人に感謝されて、その感謝で物を作って、作った物がまた人に感謝される。循環。前世のマーケティングで言う「正のフィードバックループ」。
ただし、一つだけ問題がある。感謝は「自然な」ものでなければポイントにならない。商売のために親切にしても、見返りを意識した瞬間、ポイントは入らない。
つまり——商売と親切を同時にやるという、かなり器用なことをしなければいけない。
前世の営業職の経験がここで活きる。「本当に相手のためになることをすれば、結果として売上がついてくる」。部長に何度も言われた言葉だけど、あの人自身は全く実践していなかった。私は実践する。
窓の外。秋が深まっている。楓の葉が風に舞って、夕日に透けて赤く光っていた。
男爵領の畑に、冬支度の農民たちが見える。あの人たちの暮らしを、少しでも良くしたい。そう思って動いた結果が、ポイントになって返ってくる。
前世では、頑張りが報われなかった。成果を出しても上司に取られ、残業しても有給は取れず、身体を壊して終わった。
今世は違う。頑張りが、ちゃんと数字になって見える。帳簿に。ポイントに。
◇
その夜。
ソフィアが「お嬢様、エルヴィラ様の侍女から文が届いています」と青い顔で封筒を持ってきた。
開封する。
『リーゼロッテさんの新しいご商売、噂を耳にしましたわ。若い娘が商いなんて、まあ、今どきは自由な世の中ですものね。——でもね、侯爵家の名を利用していると思われないように、くれぐれもお気をつけなさいね。あなたのためを思って言っているのよ?』
——「あなたのためを思って」。
ヴィクトルと、一字一句同じ。
手紙を折りたたんだ。手は震えていない。もう、この程度では震えない。
「ソフィア、この手紙、保管しておいて。日付と時刻つきで」
「はい、お嬢様」
証拠は、一枚でも多いほうがいい。前世で学んだ鉄則だ。
エルヴィラが動き始めた。予想通り。予想通りだけど——やっぱり、あの人は怖い。
でも。
帳簿を閉じて、ボールペンを胸ポケットに差した。クラウスが直してくれた、前より書きやすくなったボールペン。
設計図は引き直した。あとは、この設計図通りに建てるだけだ。




