第3話 天才技師は分解がお好き
シャープペンシルが折れた。
正確には、芯の送り機構が壊れた。ノックしても芯が出ない。感謝ポイントで召喚してまだ三日しか経っていないのに。
「……やっぱり召喚品は耐久性に問題があるのかしら」
記録作業の途中だったので地味に困る。再召喚するにもポイントが要るし、今はホワイトボード召喚のためにポイントを温存したい。
ため息をつきながら侯爵家の廊下を歩いていると、離れの作業部屋から金属を削る音が聞こえてきた。キィン、キィンと規則正しい高音。
覗き込むと、作業台に向かって一人の青年が何かを分解していた。
暗い栗色の髪。革のエプロン。真鍮の工具差しを腰に巻いて、手元に集中している。周囲に散らばる歯車やネジの数がすごい。床に金属粉が薄く積もっていて、油と鉄の匂いが部屋全体に染みついていた。
前世のホームセンターの工具コーナーを思い出す。なんだろう、あの匂いって妙に落ち着く。
「あの——」
声をかけた途端、青年が振り向いた。
……あ。
目が合った。
灰色の、少し眠たそうな目。でも手元にある歯車を見た時の目とは全然違う。歯車を見る時の目は——なんというか——「生きている」という表現がぴったりの、妙に輝いた目をしていた。
横顔の輪郭が、前世の推しキャラの——待って。待って待って。
「……何か」
低い声。短い。主語がない。
「えっと、この建物の修理の方ですか?」
「侯爵家の出入り修理技師。クラウス・ブレンナー」
自己紹介も短い。名前と肩書き。以上。
私が手の中で壊れたシャープペンシルをもてあましていると、クラウスの視線がそちらに移った。
灰色の目が、一瞬で変わる。
「……それ」
「あ、これは——」
「見せろ」
見せろ。敬語なし。でも、その声に悪意はなかった。純粋な好奇心だけがあった。
私がシャープペンシルを差し出すと、クラウスは受け取って——二秒で分解を始めた。
ノック部分のバネ。チャック機構。芯を送る爪。一つ一つを作業台の上に並べながら、クラウスの指が止まる。
「……この構造」
声が、さっきとは全然違った。低くて静かなのは同じだけど、そこに明確な感嘆が混じっている。
「バネの反発でチャック爪を開閉させ、芯を一定量ずつ送り出す。単純な構造だが、精度が異常に高い。この爪の角度……0.3ミリ単位で芯を制御している」
彼は部品を持ち上げて、光に透かして眺めた。工具を弄ぶ指が、ヴィクトルが銀の茶匙を弄ぶ時とは全く違う種類の優雅さを持っていた。
「この構造を考えた人間は天才だ」
前世の三菱鉛筆の技術者に伝えたい。異世界の天才技師が褒めてます。
ちなみに前世の私はシャーペン派ではなくボールペン派だった。営業職の必須アイテム。三色ボールペンを胸ポケットに常備して、議事録は黒、重要事項は赤、自分用メモは青。……今となっては懐かしいだけの話だけど。
「あの、それ、芯が出なくなっちゃって——」
「チャック爪が摩耗している。この世界の金属では同じ精度は出せないが……代替する方法はある」
クラウスは作業台から別の工具を取り出して、修理を始めた。会話は終わりらしい。
私は作業部屋の隅に腰を下ろして、彼の作業を眺めていた。
集中している横顔が——。
……だめだ。
推し。推しフィルターがかかっている。前世のオタク脳が勝手に起動している。
えっと。灰色の目。無骨な指。工具に集中する横顔。無駄な言葉を一切使わない。物への愛は饒舌なのに、人への言葉は最低限。このギャップ。
前世の推しゲームで見た。「無口な鍛冶屋ルート」だ。好感度MAXにするとやっと「……お前のために打った」って言ってくれるやつ。
(いや待て、これリアルだから。いやリアルじゃないか、異世界だけど。でも二次元でもない。三次元? 2.5次元?)
「直った」
思考の暴走を断ち切るように、クラウスが修理済みのシャープペンシルを差し出した。
ノックしてみる。かちり。芯が出た。しかも、元よりスムーズに。
「……芯は3本補充した。この世界の黒鉛を削って入れた。純度は落ちるが、書ける」
「すごい……ありがとうございます」
本心からの言葉だった。右手が温かくなる。『+2』。
クラウスは私の感謝には反応せず、代わりにシャープペンシルの残骸——取り外したバネと爪——をじっと見つめていた。
「……あんたが持ってる物。全部この構造か」
心臓が——いや、背筋がひやりとした。
全部この構造、つまり「全部、この世界のものじゃない」と言っている。
「え、えっと……」
「別に詮索はしない。ただ」
クラウスが顔を上げた。灰色の目が、まっすぐこちらを見ている。
「壊れたら持ってこい。直す」
それだけ言って、彼は次の修理品に手を伸ばした。会話終了。
私は作業部屋を出て、廊下を歩きながら右手のシャープペンシルをかちかちとノックした。芯が出る。戻る。出る。戻る。滑らかだ。元より滑らか。
この人は、壊れたものを元に戻すだけじゃなく、前より良くして返す。
——使える。いや。
……推せる。
(語彙力が戻ってこない。前世のオタクスキル、こういう時だけ高スペックなのやめてほしい)
帰りの馬車の中で、ソフィアに今日の出来事を話した。
ソフィアは「平民の技師さんですか……」と少し心配そうだったけれど、シャープペンシルの滑らかさを見て「すごいですわね」と素直に感心していた。
窓の外を秋の風景が流れていく。枯れかけた野薔薇。色づき始めた楓の林。馬車の車輪が石畳を踏むたびに、木枠がギシギシと軋む。男爵家の馬車は、クラウスの工房の金属粉と同じくらいの年季が入っている。
前世では、推しキャラは画面の向こうにいた。
今世では、推しキャラが壊れたシャーペンを直してくれる。
……いや、推しキャラじゃない。リアルの人間だ。二次元じゃない。三次元だ。
でも、あの横顔は——まあ、そういうことはいいか。
今は、ホワイトボードの召喚ポイントを貯めることに集中しよう。お茶会まであと四日。
シャーペンをもう一度かちりと鳴らす。芯の出が、元より気持ちいい。
壊れたものを、前より良くして返す人。この世界で初めて出会った、ヴィクトル様とは正反対の人だ。
——壊れたら持ってこい。
その一言が、秋風よりずっとはっきりと、まだ耳に残っている。




