第03話:真実の愛を語る前に義務教育からやり直してはいかが?
講堂内の空気は、もはや私を糾弾するものではなくなっていました。
物理的なアリバイを突きつけられ、言葉を失ったミレーヌさんと、顔を真っ赤にしているエリック殿下。
ですが、殿下はまだ、最後の砦があると言わんばかりに胸を張りました。
「……ふん、いじめの件はどうでもいい! 大事なのは心だ! 私とミレーヌの間には、お前のような冷徹な女には一生理解できない『真実の愛』があるのだ!」
真実の愛。
その甘ったるい響きに、会場の一部からため息が漏れます。
ですが、私はわざとらしく首を傾げてみせました。
「真実の愛、ですか。それはそれは。……では、その『愛』とやらを免罪符に、王族としての義務をすべて放り出すと、そうおっしゃりたいのですか?」
「義務だと? 愛こそが人を動かす原動力だ! 愛のない結婚など、国の未来を暗くするだけだ!」
(あらあら。この男、自分が何を言っているのか、本当に欠片も理解していないようですわ。愛が国の予算を組んでくれるとでも? 愛で隣国との関税交渉が妥結するとでも? 愛で兵士の給与が払えるとでも? 愛で凶作の年に民が飢えずに済むとでも? 試してみます? 「真実の愛」を抱えて隣国の大使館に乗り込んで、「愛があるので関税を下げてください」と言ってごらんなさい。追い返されるどころか、国際問題になりますわよ。外交官の方々が気の毒すぎて、こちらが謝りに行く羽目になりますわ。)
私は来賓席に座る、この国で最も気高く、そして最も現実的な女性へと視線を送りました。
現王妃陛下。エリック殿下の実の母上であり、私の教育を厳しく見守ってくださった師でもあります。
「王妃様、恐れながらお尋ねいたします。王族にとっての『愛』とは、個人の感情を国家の安定よりも優先させることを指すのでしょうか?」
王妃様は、扇で口元を隠しながらも、その鋭い眼光を息子へと向けました。
彼女がゆっくりと立ち上がると、講堂の温度が数度下がったかのような静寂が訪れます。
「……エリック。あなたが抱いているものは、愛ではなく、ただの『放縦』です。リリアーヌ嬢がどれほどの覚悟を持って、あなたという未熟な器を支えようとしてきたか、親である私ですら頭が下がる思いでしたのに」
「母上! 母上までそんな……! ミレーヌは私の心を救ってくれたのです!」
「救われたのはあなたの『怠惰』でしょう。リリアーヌ嬢が公務の基礎を叩き込もうとすれば逃げ出し、耳に痛い助言をされれば逆上する。そこに甘い言葉を囁く娘が現れた。それを愛と呼ぶのは、あまりに幼稚ではありませんか?」
王妃様の言葉は、氷の礫となって殿下に降り注ぎます。
私はそこに、さらに追い打ちをかけるように告げました。
「殿下、論理的に考えてみましょう。あなたは私という婚約者がいながら、他の令嬢と仲睦まじく過ごされていた。これは貴族社会において、明確な『不実』であり、契約違反です。学生時代の揺らぎ? 真実の愛? いいえ、世間ではそれを『不倫』と呼びますわ」
「ふ、不倫だと! 下俗な言葉を使うな!」
(下俗、ですって。まあ。『下俗な言葉』とおっしゃいましたわね。では殿下、婚約者がいながら別の令嬢と逢瀬を重ねていた行為は、いったい何とお呼びになるのかしら。雅な言葉で言い換えてさしあげましょうか。……いいえ、やめておきますわ。どんなに美しい言葉で包んでも、中身が腐っていれば、開けた瞬間に臭いがしますもの。言葉の問題ではありませんのよ、殿下。)
「事実を述べているまでです。あなたが今隣に侍らせているのは、家間の約束を壊そうとする『不道徳な協力者』に過ぎません。卒業式の壇上でこれを披露するということは、あなたが『私は公私混同の激しい、信用できない男です』と宣伝しているのと同じですわよ?」
(ああ、殿下の顔が今度は土気色になりましたわ。論理というものは残酷ですわね。感情という霧をすべて晴らして、裸の愚かさをさらけ出してしまうのですから)
ミレーヌさんは、王妃様の威圧感と私の言葉に耐えきれず、ガタガタと震え始めました。
彼女が夢見ていたのは、きっと「身分差を超えた美しい愛の物語」だったのでしょう。
けれど、現実は「王族の不祥事」と「貴族間の契約不履行」という、ひどく泥臭い法的問題に過ぎないのです。
「エリック殿下。愛を語るのは自由ですが、それは己の責任を果たした者が言える言葉です。あなたは私に公務を押し付け、教育から逃げ、その結果として手に入れた『暇』で愛を育んだ。……それは、私が納めた税金で浮気を楽しんでいた、と言い換えてもよろしいかしら?」
「ぐ、くうっ……!」
殿下の拳が震えています。
反論したい、けれど言葉が出てこない。
だって、私の言っていることは、この国の貴族社会における「常識」という名の正論なのですから。
ですが、物語はまだ終わりません。
私はまだ、彼の決定的な「無能」を指摘しきっていないのです。
「さて、殿下。愛の話が片付いたところで、次は現実的な『コスト』のお話をしましょうか。私が国外追放になった場合、この国がどれほどの損害を被るか……想像したことはおありですか?」
私は視線を、今度は険しい表情で座る宰相閣下へと向けました。
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