第01話:卒業式の壇上は愛の演説の場所ではありません
あの卒業式のことは、たぶん一生忘れない。
講堂の後ろの方で、レオンと並んで突っ立っていた俺は、壇上で繰り広げられるあの一幕を、ただ口を開けて見ていた。
当時は「すごいもん見たな」としか思っていなかった。
他人事ではないと気づくのは、もう少し後のことだ。
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きらびやかなシャンデリアが、卒業生たちの未来を祝うように輝いている。
ここは王立学園の講堂。
本来ならば、数年間の学びを終えた若者たちが、手にした証書を胸に抱いて門出を喜ぶ場所だ。
それなのに、目の前の光景はどうかしら。
「リリアーヌ・ド・ヴァランシエンヌ! 貴様との婚約を破棄し、国外追放を命ずる!」
高らかな宣言。
壇上の中心で、我が国の王太子であるエリック様が、一人の少女の肩を抱き寄せながら私を指差していた。
その隣で守られるように震えているのは、子爵家の令嬢、ミレーヌさん。
……あらあら。
卒業式の式次第に、これほど下世話な余興が組み込まれていたなんて、連絡が漏れていたようですわね。
(ああ……頭が痛いですわ。王族としての教育は、彼の耳から耳へと素通りして、どこかの排水溝に流れ込んだのかしら。いいえ、排水溝に失礼ですわね。排水溝には、一応「汚れを流す」という立派な役割がありますもの。彼の頭を通過した知識には、その後いったい何の役に立ったのでしょう。十数年、家庭教師の先生方は毎日何を教えていたのかしら。月謝の返還を求める権利があると思いますわよ。いいえ、そもそも、教えた内容が一切残っていないなら、これはもう詐欺ではなくて? 先生方こそ被害者ですわね。合掌。)
私は静かに扇を閉じ、背筋を伸ばした。
次期王妃としての教育を十数年受けてきた。
立ち居振る舞い一つ取っても、王太子である彼より私の方がよほど「王族らしい」自負がある。
「……エリック殿下。今のお言葉、この場にいる全員が証人となりますが、よろしいのですか?」
「ふん、見苦しいぞ! お前がこの清らかなミレーヌにどれほどの陰湿な嫌がらせをしてきたか、すべて把握しているのだ!」
「嫌がらせ、ですか?」
「そうだ! 彼女の教科書を破り、階段から突き落とそうとし、あまつさえ彼女を『寄生虫』と罵ったそうじゃないか!」
ミレーヌさんは、これ見よがしに涙をこぼした。
「リリアーヌ様……私、怖かったんです。殿下の隣にふさわしいのはあなただと言われ続けて……でも、愛に身分は関係ないはずです!」
周囲の生徒たちがざわめき始める。
憐れみの視線、好奇の視線、そして私への軽蔑の視線。
この国の経済を支える貴族階級の子供たちが、こんな根拠のない三流芝居に流されるなんて。
(教育改革が必要ですわね。根拠のない涙一粒で判断力を手放すような知性では、この国の数十年後が心配でなりませんわ。いいえ、心配を通り越して、もはや国家存亡の予告編を見せられている気分です。将来この子たちが貴族として領地を運営して、税を徴収して、隣国と交渉するのかしら。……想像しただけで胃が痛くなりますわ。あの涙が証拠になるなら、この国の法廷は俳優座になってしまいますわよ。ミレーヌさんの演技力だけは、まあ、認めて差し上げましょうか。それ以外は、何一つ評価できませんけれど。)
「さらにだ!」
エリック様は、まるで自分が英雄にでもなったかのように胸を張った。
「お前は美貌こそあれど、性格は苛烈で冷酷だ。私の公務や学業に対しても、事あるごとに口やかましく、まるで教師のように私を監視した! 私はお前のような女に、安らぎなど感じたことは一度もない!」
「それは……殿下の成績が、王族として及第点に達していなかったからでは?」
「黙れ! 私はミレーヌとの間に、真実の愛を見つけたのだ! 政略結婚という古い鎖に縛られた生活など、これ以上耐えられん!」
エリック様の瞳は、完全に「悲劇のヒーロー」のそれで。
ミレーヌさんに至っては「真実の愛を勝ち取ったヒロイン」の顔をしている。
その背後には、彼らの「正義」を支持する側近たちが数名、得意げに私を見下ろしていた。
(……救いようがありませんわね。「真実の愛」。よくもまあ、この場でその言葉が出てきましたわ。真実の愛。卒業式の壇上で。国の重鎮が全員揃っているこの場所で。いったいどういう神経をしていれば、あの言葉が口から出てくるのかしら。一度でいいから、その脳の中を解剖して見てみたいですわ。きっと「愛」と「自由」と「僕は悪くない」だけで七割を占めていて、残りの三割が空洞なのでしょうね。おままごとにも脚本というものがありますのよ、殿下。この三文芝居、脚本家に土下座してお詫びしなさい。脚本家が気の毒ですわ。いいえ、脚本家は存在しない即興劇か。それはそれで、なるほど、納得ですわね。)
馬車で長い旅路を経て王都に来る、我が領地の民が納めた地代。
それが、この男の身に纏う贅沢な衣類の一糸一糸に変わっているという自覚がない。
重い小麦を川運で運び、魔物の出る街道を命がけで通って経済を回している平民たちの苦労を、彼は一度でも想像したことがあるのかしら。
「決定だ! リリアーヌ、お前は本日、この国を去れ! お前のような悪女を置いておく土地など、この国にはない!」
会場は静まり返った。
誰もが、私が泣き崩れるか、あるいは怒り狂うのを待っている。
けれど、残念でしたわね。
私はすっと視線を外し、演台の近くで困惑したように立っていた人物を見た。
この学園の頂点に立つ、学園長だ。
(学園長、出番ですわよ。あなたが今ここで黙っているなら、この学園の格式は今日この瞬間に終わります。終わるだけならまだしも、「卒業式で王太子が婚約破棄を叫び、学園長は突っ立っていました」という記録が永遠に残りますわよ。後世の歴史書に名前が刻まれますわよ、不名誉な形で。お孫さんが学校で習う羽目になりますわよ。……ああ、それと、来年度の寄付金の件ですけれど。父が先日、「今年はいくらにしようか」と申しておりました。その金額が、あなたの今日のご判断によって、大きく上下することになりますわね。ご参考までに。別に脅しているわけではありませんわよ? ただの、情報提供ですわ。さあ、どうぞ。)
私は目で、鋭く合図を送った。
私の視線に込められた「無言の圧力」を正しく理解したのでしょう。
学園長は額の汗を拭い、おそるおそる一歩前に出た。
「……で、殿下。少々、お待ちください。一方的な宣告は、学園の理念に反します。リリアーヌ嬢にも、反論の機会を与えるのが、この学園の、いえ、我が国の法の下の平等というものではございませんか?」
エリック様は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「反論だと? こいつの言い訳など聞く価値もない!」
「まあまあ。ここで黙らせては、殿下の寛大さに傷がつきます。ここは一つ、彼女の言い分を聞き、その上で殿下の正しさを証明なさればよろしいかと」
「……ふん。いいだろう。どうせ無駄な足掻きだが、最後に吠えることだけは許してやろう」
エリック様が尊大に顎を引いた。
許可が下りた。
私は深呼吸を一つ。
これから始まるのは、愛の語り合いでも、感情のぶつけ合いでもない。
ただの「清算」です。
「感謝いたしますわ、学園長。……それでは殿下、まずはミレーヌさんへの『いじめ』の件から整理させていただきましょうか。一つずつ、論理的に、根拠を添えて」
私は唇の端をわずかに上げ、完璧な淑女の微笑みを浮かべた。
さて、お掃除の時間です。
お読みいただき、ありがとうございました。
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