表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/4

第二部:失われた観測所

第一章:星々の重なり

 乾いた風がチリ北部のアタカマ砂漠を吹き抜ける。標高五千メートル近くの高地に建てられたアタカマ天文台のドーム群は、空の青さよりも澄みきった静寂に包まれていた。

 その天文台の片隅にある研究室。そこに身を置くのが、リナ・マチュ博士――ペルー出身の女性考古遺伝学者である。

 彼女は壁一面のモニターと、山のように積まれた紙資料の間に囲まれながら、遺伝子配列と星図の重ね合わせという奇妙な研究テーマに没頭していた。

 「リナ、見てくれ。星が、また重なった」

 隣室から顔を覗かせたのは、天文学者のバルデスだった。彼はタブレットを差し出しながら、声を潜めて言った。

 「昨夜の観測で、プレアデス星団と金星の位置関係が記録的に接近した。まるで……古代星図に描かれたあの並びと酷似している」

 リナは眉をひそめてタブレットを受け取り、表示された空の地図を見つめた。

 「これ……。本当に一致してるの?」

 「一度、解析ソフトに重ねてみたが、最大誤差は0.07度。偶然とは言えない」

 リナの心に、十年以上前に亡くなった叔母・エレナの言葉が甦った。

 “星はただ光るのではない、語りかけてくるのよ。あの夢を見た夜のように”

 彼女はゆっくりと書棚から一冊の古いノートを引き出した。それは、エレナが遺した私的記録、『震える石板の夢』と表紙に手書きされたものだった。

 ページを繰るたびに、リナの胸に冷たい予感が走った。

 「“星が二つ昇り、震える石板が目覚める日、語り部の血が再び目を開く”。」

 そこには、単なる夢日記とは思えない記述がいくつもあった。星の配置、石の手触り、地が鳴る音――そして、記憶が“誰かに呼びかける”感覚。

 リナは立ち上がり、モニターに映る現在の星図と、ノートに描かれた線画とを重ねた。

 確かに、そこには重なりがあった。

 まるで、過去の記憶が星を通じて語りかけているように。

 「これは……偶然じゃない。何かが、始まっている」

 彼女の指先は、無意識にモニターをなぞっていた。星々の軌跡の先に、何かがあると信じるように。


________________________________________

第二章:南境の震える石

 空気が薄く、風が吹きつける高地の尾根。ボリビアとの国境近く、アンデス山系の中腹にある発掘現場ワル・パカは、標高四千二百メートルに位置していた。

 リナ・マチュ博士は、発掘チームとともに細い山道を登り、露出した岩盤の一帯に足を踏み入れた。

 「ここが……例の構造物?」

 調査チーフのエステバンが頷いた。

 「ええ。かつてのワリ文明とティワナクの境界地帯にあたる場所です。二つの文化の接点で、なおかつ、天文観測施設と思われる構造体が……この岩盤です」

 巨大な岩肌に広がる幾何学模様。それはかつてない複雑さで刻まれていた。直線と渦、円と楔型の記号が重層的に配置され、文字とも地図ともつかないその姿は、まるで一つの“装置”のようだった。

 リナはその中央部――特に光沢の強い黒灰色の面に手を触れた。

 その瞬間、かすかな震えが指先に走った。

 「……今の、感じた?」

 スタッフの一人が頷きながら言った。

 「石が……震えてる?」

 リナは即座に機材を呼び、振動測定装置と音波解析機を取り寄せて現場に設置した。

 結果は予想を超えるものだった。

 「これは……単なる岩じゃない」

 測定班のデータによれば、この“震動石板”は接触圧と熱、あるいは呼吸に近い生体リズムに反応し、微細な共鳴振動を返す性質を持っていた。

 「共鳴誘導式の……記録媒体?」

 データを見ながらリナはつぶやいた。確かに、構造の一部はデジタルコードに見える。だが、それは線形な情報ではなかった。

 「これは、QRコードのように単純に情報を“読む”ものじゃない。共鳴して“感じ取る”ための装置よ……まるで、記憶そのもの」

 石板の端に刻まれた古語表記が判読されたのは、その夜遅くのことだった。

 > 「二度昇る太陽の日に、語り手が戻る」

 リナは手元のノートを開いた。

 叔母が遺した『震える石板の夢』に、同じ言葉が記されていた。

 まさか。

 この石は、星の語りを記録しているのか?

 それとも、未来の語り手に向けた“呼び声”なのか?

 リナの手は震えながら、石板に再び触れた。

 その微細な震えは、彼女の内なる記憶と重なり合って、

 語られようとする声を静かに呼び起こしつつあった。


________________________________________

第三章:星の影とDNA

 サンティアゴ大学の古代言語・認知研究センター。

 ここはリナ・マチュ博士にとって、発掘現場以上に“星の声”が響く場所だった。

 《ワル・パカ》で発見された震動石板は、通常の考古資料とは明らかに異なっていた。数値、文字、記号のどれでも解析不能。構造は視覚化できても、意味の抽出には限界があった。

 リナは思い切って、言語情報処理の第一人者であるカンパーナ教授のもとを訪れた。

 「リナ、この石板……“読む”んじゃない。“共鳴する”んだ」

 教授はそう言って、震動石板の解析報告を電子紙に広げた。

 「音でもなく、触覚でもなく……脳波のある“型”に反応してる。つまり、情報の出力があるかどうかは、**“誰が触れるか”に依存している」

 それはすなわち、石板が語りかける相手を選ぶという意味だった。

 リナはかつての遺伝子研究プロジェクトの記録を思い出した。古代アンデスの神殿遺跡から採取された骨DNAと、現代の遺伝子サンプルを比較した特殊研究。

 「記憶共鳴遺伝子……」

 その名で仮称されていた特殊な遺伝配列は、一般的な遺伝子とは異なり、神経系の感受性と、未解明の“共鳴反応”を強く持つことが示唆されていた。

 リナは封印されていたリストを端末で開いた。共鳴指数が閾値を超えた対象は、全体の0.004%。その中に――

 彼女は目を凝らした。

 > アタワルパ・シェリ

 年齢:16歳 性別:男性 居住地:ペルー・アヤクチョ

 備考:イルカ・シェリの直系子孫、共鳴反応強度:最上位

 「イルカ・シェリ……」

 かつて“最後のベーリンギア人”として名を記した、語り手の末裔。その名が再び、記憶の中から現実へと浮上した。

 震動石板が、彼に反応する可能性。

 それは、単なる遺伝的奇跡ではない。語るべき記憶が、語られるべき声を選んだということ。

 リナは深く息を吸い込んだ。

 「彼に、会わなければ」


________________________________________

第四章:夢の中の空図

 アヤクチョの朝は、光が静かに山をなぞるように昇ってくる。

 リナ・マチュ博士は、かつてイルカ・シェリが語りの起点となったこの村に降り立っていた。

 彼女が訪ねたのは、16歳の少年――アタワルパ・シェリ。

 彼は村外れの小屋に住んでいた。目は深く澄み、語りかける前から、何かを「知っている」ような気配を帯びていた。

 「あなたが……リナ・マチュ博士?」

 「ええ。君の名前を、記録の中で見つけた。石板が……君に反応するかもしれないの」

 アタワルパは目を伏せた。

 「ぼくは、もう“夢”で見ました」

 その夜、彼は再び夢の中に沈んだ。

 彼の意識は、いつしか別の時間の中を歩いていた。

 岩の裂け目、光る空、震える石板。

 その中心にいたのは、知らないはずの男。だがなぜか懐かしい。

 「……アマル」

 名前が浮かんだとき、彼の指先が石板をなぞっていた。そこに刻まれた星の配置――二つの太陽が昇る瞬間。

 断片的な視界。風。石の粉。彫る手の感触。

 それはアマルの記憶だった。

 翌朝、リナとアタワルパは、村近くの山中にある旧ワリ遺構のひとつに赴いた。

 地面の中に埋もれていた震動石板を、現地の案内人が露出させていた。

 「これが……ぼくの夢に出てきたものだ」

 アタワルパが手を触れた瞬間、

 石板が再び震えた。

 リナは急いで計測装置を起動し、脳波・振動・音響・磁場の変化を記録。

 「共鳴反応、確認……完全に一致している。石板は、君を“語り手”として認識している」

 その時、リナの携帯端末に届いた最新天文データが、星の運行を告げた。

 「……プレアデスと金星が、次に重なるのは……2048年、冬至の日」

 リナとアタワルパは顔を見合わせた。

 それは、アマルがかつて石板に刻んだ“語られるべき日”。

 太陽が二度昇る日。

 記憶が、今、呼び覚まされようとしていた。


________________________________________

第五章:観測者の窓

 2048年、冬至。

 チチカカ湖の夜空は、異様な静けさに包まれていた。

 観測隊の機材が湖上の高台に設置され、世界各国の天文機関と連携して、星々の重なりとその周囲で発生する“異常干渉域”の追跡が進められていた。

 その時だった。

 上空に、「光のない影」が現れた。

 星々の間を横切るようにして浮かび上がったそれは、観測機材のどれにも明確な輪郭を残さず、むしろ空間そのものが一時的に歪むような現象として記録された。

 「大気中に……影?」

 リナは、可視光、赤外線、磁気データ、あらゆる波長での探査を同時に開始するよう指示を出した。

 「法則が……揺れてる」

 隣の技師がつぶやいた。

 突如、震動石板が激しく反応した。アタワルパが手を触れた瞬間、石板が空へと向かって一条の微光を放った。

 その直後。

 空間の一点が裂けるように“開いた”。

 観測装置が捉えたのは、星空の一角に微小な“軌道屈折”が生じた瞬間だった。重力場のねじれ、光波の跳ね返り、そして何よりも、

 記録された“声”が空間内から逆流するという現象。

 「観測者との“窓”が開いたわ」

 リナは呟いた。

 同時に、《エル・ミラドール》との連携ネットワークが起動された。

 地球低軌道にある星間観測AI群が、すでにこの現象に向けて動いていた。

 《観測交信チャネル 開始》

 表示された接続ログの中に、未知の識別コードが並んでいた。

 「これは……」

 リナは、星々の向こうから“誰かが応えている”ことを感じ取っていた。

 アタワルパは、石板に手を置いたまま、目を閉じた。

 その瞬間、空の震えが消え、星々が、まるで再び整列したように瞬いた。

 その整列は、千年前の石板に刻まれた星図と一致していた。

 リナは、深く息を吐いた。

 「記録が語り継がれた時、未来は記憶になるのね」

 星々は応えていた。

 語られた声は、ようやく、未来に届こうとしていた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ