Prologue 南の島の雪
夏の陽射しは容赦なく照りつける。だから地元の人間は昼間はほとんど外出しない。しかし、夏休みを使って遊びに来る本土の観光客達は、その強烈な日差しの中でもネットや雑誌で紹介されたスポットをひとつでも多く回ろうとする。昼寝から目覚めた海藤雪は、そんな慌しい観光客の姿を眺めるかのように海沿いに建つ大浦玄吉の家の窓から外を見ていた。
「玄吉おじさん、本土から来る人達ってなんで昼間も海に入ったりいろんなところへ行こうとするのかなぁ」
「ん、そりゃぁ、限られた時間しかないから少しでも多く楽しみたいんだろ」
「だけど、この日差しの中で泳いでたら、日焼けがすごくて後が大変だよ」
「あはは、そうだな。だけどな、雪、それでも今、この時を楽しみたいのさ、きっと。まあ、俺には理解できないけどな、あいつらの心情は」
「ふーん、そこまでして泳ぎたいのかなぁ、私にはわからないな」
「そりゃ、雪、おまえは生まれてからずうっと、毎日この海を見て、この海で育ってきたから、この海の素晴らしさが当たり前過ぎてわからないのさ。だけど、彼らにしてみればこんな素敵な場所はない。だから、少しでも多くの時間を使って楽しみたいのさ」
「ふーん、そうなんだ。なんだか変なの」
沖縄本島の北部に位置する東村はいまだに未開拓の地が多く残り、小学校四年生の雪が遊ぶ場所はあまりない。海沿いに住んでいることもあり、普段は専ら海で遊ぶことが多くなる。その結果、雪にとって海は身近な存在となり、当たり前の存在になっていた。そして海は最初から綺麗であり、改めてその素晴らしさを考えるようなことはなかった。
「あ、平貝だ。おじさん、また取ってきたの?」
「ああ、今朝、珊瑚の様子を見るついでに取ってきたよ。だけど、雪、今日はちゃんと家で夕飯食べろよな」
「え~、いいじゃん。せっかく新鮮な平貝があるんだから一緒に食べようよ。玄吉おじさんの作る貝料理はお母さんが作るのより何倍も美味しいんだから」
「あのな、毎日のようにうちで食べているってお前のお母さんに怒られるのは俺だぞ」
「あはは、玄吉おじさんもうちのお母さんには頭があがらないもんね。他の人の言うことなんて全然聞かないくせに」
「こら、そんなこと言うと、もう、うちで食べさせないぞ」
「あ、うそうそ、そんなこと言わないで一緒に食べようよぉ。そうだ、食べる前にひと泳ぎしてくるね」
「あ、雪」
呼び止める間もなく海に走り出す雪の後ろ姿を見ながら玄吉は呟いた。
「しかし、いくら北国に憧れているからって何だって【雪】なんて名前にしたのかねぇ。赤ん坊の頃から海が大好きで、年がら年中真っ黒じゃねえか。それに、なんだって俺なんかになつくのかねぇ」
雪は小さい頃から活発で明るい心根の優しい少女だった。そして、他人に対して分け隔てすることなく接した。そのせいかどうかはわからないが、少し偏屈なおじも雪にだけは気を許していた。