09 ドールハウスで過ごす初めての夜
魔王へのお礼の手紙を書いたあと、リコはドールハウス内をあちこち見ながら歩き回った。
ドールハウス内は昼から夕方、夜といった自然光の変化がなく、今が何時頃なのかは時計に頼るしかない。時間の経過を知らせてくれるのは玄関ホールの時計の音だけだ。静かなので二階にいても一応聞こえる。
ボーンボーンと7回時計が鳴るのを聞くと、リコはキッチンへ行き、軽くスープとパンで夕食を済ませた。
「オムライス食べたかったけど、ケーキとお菓子でお腹いっぱいだもんなぁ……。明日は気を付けよっと」
お風呂がないので、寝るまでの時間を書斎で本を読んで過ごす。そして10時にベッドへ入った。
予備校の寮で暮らし始めてからも早寝早起きの習慣が抜けなかったリコ。好きに過ごしていいと言われているこのドールハウスでも、つい規則正しい生活を送ってしまいそうだ。
普段は寝付きのいいリコだが、今日はすぐに眠れなかった。
寝る準備をしようとワードローブを開けたら、寝間着はなんとネグリジェで。
お任せコーデで着替えたのは白いネグリジェ。ガーゼみたいに柔らかい肌触りのコットン生地に、袖口と裾にはギャザーがたっぷり、襟元にはリボンがあしらってある。
「人生初のネグリジェに、おそろいのナイトキャップ付き! 更に足元はふわもこのうさぎのスリッパ! かわいい! 最高!!」
当然のようにオーラが出て、何度も虹色の光とピンク色の泡が降った。
そのうえ、天蓋付きのお姫様ベッド。しかも枕元にはクマのぬいぐるみ。座るタイプで胴体が分厚いため、抱きしめて眠るのは無理だったが隣に寝かせた。
こんな状況で興奮するなという方が無理だろう。すんなり眠れるわけがない。
なので、ベッドに上がって30秒で訪れる薄暗がりの中で、リコは目まぐるしかった一日を振り返ってみた。
(いろいろあった一日だったなぁ。普通に予備校に行こうとしていたのに、今こうしてドールハウスの中で眠ろうとしてるなんて嘘みたい)
白い空間で聞いた職業案内所の男からの説明によると、リコは次元が切り替わる瞬間に運悪く居合わせ、次元のあちらとこちらにスッパリ体が切り離されて命を落とした。
ただし、そのままだと事件性が高すぎて両方の次元で問題が起きるため、魂の抜け出た体は自然死に見えるよう元どおりに復元してその場に置かれるそうだ。
(死因は心停止とかになるのかな。体が半分に切れたままじゃなくてよかった。そんな酷い状態を見たらお母さんもお父さんも泣いちゃうよ。わたしが死んでるからどっちにしろ泣いちゃうだろうけど)
大切に育てていた一人娘が突然死んで、両親はどれだけ悲しんでいるだろう。特に母は娘のために良いと思うことは精力的に行う人だったので、喪失感も深いに違いない。
(でも、お母さんが大好きなお父さんがいるから、お母さんもそのうち立ち直るよね。お父さんは大好きなお母さんと二人きりになったら、それはそれで楽しむだろうし)
それに、例え無事に大学に受かったとしても、母が望む弁護士の国家試験に受かるのはきっと無理だ。
一浪しただけでもがっかりしていた母を、これ以上失望させずに済んで良かったとリコは思った。
(お母さん、お父さん。今までありがとう。わたしはここで元気に生きていきます。だから、心配しないでね)
母の期待に応えられないまま理子の人生は終わった。今度のリコとしての人生ではなにかを成し遂げたいとリコは思った。
それにもう保護者はいない。働いて自分で生計を立てていかないといけないのだ。
幸い、ドールハウスで暮らすというこの仕事なら、自信を持ってやれると手応えを感じている。
雇用主の魔王に楽しんでもらえるよう、このドールハウスでの暮らしを目一杯楽しもう。
明日はなにをしようかなと考えながら、やがてリコは眠りに落ちていった。
◇ ◇ ◇
『おいー。オレ、ゆうべ作業通話落ちたあと、結局動画三周もしちまった。作業なんもできてねえ。やべえよ、ドール動画マジでやべえ』
『……わたしも三周……でも苺のヘアピンと靴下作った……うふふ……』
『おっ、かわいーなそれ』
(五周したとは言えぬ……)
【まおはこ】の三人とも、延々と新しいドールの動画を観てしまったらしい。
魔王などは、夜がふけたことに気付いてからも時間停止の魔法を使って観続けたのだから処置なしだ。
しかし、作業の手が止まってしまっては本末転倒。次のドールハウス作りも始まっているし、魔王にはピアノの魔道具化という難しい課題もある。動画視聴ばかりしているわけにはいかない。
(今後は、動画を観る時は初めから時を止めて観るとするか)
まったく改める気のない魔王だったが、それはともかく。
新しいドールのおかげで【まおはこ】の三人のモチベーションが跳ね上がったのは間違いなかった。