30 クロッカスの鉢とジョウロ
その日の朝、通達チェックのためにリコが書斎を訪れるとライティングデスクが光っていた。
「あ、魔王様からお便りが来てる!」
歓喜のオーラを放ちながら駆け寄ってライティングデスクの蓋を開けると、いつもの上等な紙が一枚淡い光を放っていた。
魔王からの通達は滅多にない。契約時に魔王との接触はほぼないと言われているので特に期待していないものの、こうして便りが来ると、それがただの通達文でもリコはうれしかった。
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ドールのリコへ
栽培できる鉢植えを設置した。
水やりができる仕様になっているが、魔道具なので世話をしなくとも育つ。
気が向いたら世話をしてみるがいい。
魔王 エルメネヒルド
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「わあ、栽培できる鉢植えだって! どんなだろう」
とりあえず書斎には見当たらない。
黄色い星をポンポン飛ばしながらキッチンへ向かうと、窓際に鉢植えを載せた見慣れないスタンドがあった。
鉢植えには黄色い花が二つ咲いていて、芽が一つ出ている。土の表面にはまだまだスペースがあり、これからも芽が出てきそうな感じだ。
リコは思わずぴょんと飛び上がって喜んだ。シャララ~ンという音と共に虹色の光が降ってくる。
「ふわあ、かわいい~。水をたっぷりあげたらもっと芽が出てくるかな」
鉢が乗っているスタンドの下の段に小ぶりなブリキのジョウロが置かれている。
手に取ると軽い。よく見ようとリコがジョウロを傾けた途端、口から水が流れ出した。
「ひゃっ! はわ、はわわ」
慌ててジョウロを鉢の上に移す。花と芽に水を掛け、まだなにも生えていない土部分にも水を掛けた。
ジョウロの口からシャワワ~と水が流れていく様は爽やかでいい気持ちだ。
十分潤ったと思われる頃、ジョウロから水が出てこなくなった。魔道具だから適量で止まるようになっているのかもしれない。
水やりの加減がわからないリコは自動で止まってくれてよかったと思った。
「うふふ、早く芽が出てこないかなぁ。たくさん咲くといいね」
クマのぬいぐるみに話し掛けると、リコは手早く朝ご飯を済ませ、書斎から植物図鑑を持ってきた。鉢と見比べながら何という花か調べる。
「あった! クロッカスか~。クロッカスって確か、『秘密の花園』に出てきた花じゃないかな」
ひ弱で偏屈な少女が閉ざされた庭園を見つけ、秘かに生き返らせているうちに明るく元気な少女に育っていく物語は、リコの数少ない愛読書だ。
その少女が初めて秘密の花園に入った時に、荒れた地面からたくさんの芽が出ているのを見つける。それがクロッカスだった。
この小ぶりな花がたくさん地面に生えていたのかと、その場面を思い描いたリコは思わず笑顔を浮かべる。
「あの花を育てられるなんてうれしいなぁ」
リコはすぐに魔王へお礼の手紙を書いた。
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魔王様へ
クロッカスの鉢植えをありがとうございます。
クロッカスは子供の頃からの愛読書に登場する花で、それを育てられるとわかってとてもうれしくなりました。
ジョウロでの水やりもとても楽しいです。
次のドールハウスの庭にもクロッカスが生えていたらうれしいです。
リコ
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厚かましいかなと思いつつ、リクエストも書いてみた。
ピアノを移動した時の様子だと、魔王はリコがなにかを望むことを喜ぶようなので、たぶん怒られないと思う。
更に、クロッカスがすごくうれしかったことを伝えたくて、名前の横にクロッカスの絵を二つ描いてみた。
(チューリップにしか見えないけど、クロッカスって伝わるかな。伝わるといいな)
翌日、クロッカスの芽は白い蕾になっていた。どうやら白いクロッカスの球根も植わっているようだ。そして、新しい芽がひとつ出ている。
次の日も、また次の日も、新しい芽が出てきて、芽が蕾を付け、蕾が花開いた。
リコは毎朝新しい変化を見つけるたびにぴょんと飛び上がって喜び、歓喜のオーラを飛ばしながらジョウロで水やりをするのであった。
◇ ◇ ◇
──魔界某所──
「なんですって!? エルメネヒルド様が愛人を囲っていると?」
「はっ。魔王城でそのような話を耳にしました」
「お嬢様、不敬です! お許しもないのに御名を口にしてはいけませんと、いつも言っているではないですか。万が一魔王陛下のお耳に入れば、お嬢様ひとりではなく一族全体が罰せられるかもしれないのですよ」
「わ、わかっているわ。それよりお前、詳しく話しなさい」
「経理の者たちの会話を漏れ聞いたところ、しばらく前から魔王の愛人用の予算枠で資金が動き出したそうです。先日もかなり高額の品を購入されたようで」
(それが本当なら黙っているわけにはいかないわ。わたくしが何度も想いを告げているというのに……。城へ行ってお尋ねするわよ!)
(お嬢様が迂闊なことをしなければよいのだけど……。心配だわ)




