23 魔王とリコの会話(サロンにて)
泣きながらも、ピアノが弾けてとても満たされた思いで胸いっぱいなリコ。
その一方で、魔王は非常に焦っていた。
もちろんリコが目の前で泣き出したせいでもあるが、それだけではない。
実は、リコは泣いていた上に胸がいっぱいで気付いていなかったが、リコが魔王にお礼を言った時、トゥンクと音がして桃色の泡が降ったのだ。
魔王の頭上で。
リコが涙を堪えながら魔王にお礼を言い、頭を下げるのを見た瞬間、魔王は激しい衝撃を覚えた。
今まで自分は、これほど純粋に感謝されたことがあっただろうか。
魔界の統治者である彼は日々国を整えるべく働いている。だが、彼に対して向けられるのは恐怖や畏怖、服従と追従、そして欲だ。感謝を示す者は少ない。
純粋に感謝を示すリコに対し、魔王はつい、「愛いやつ」と思ってしまった。
そしてほぼ同時にトゥンクと音がして、魔王の頭上でときめきのオーラが降ったのだ。
(まさかオーラがドール以外の者の感情にも反応するとは! ドール以外の生体が入ることを想定していなかったせいだ。しかも、よりによってときめきのオーラとは……くっ、不覚!)
信じられなかったが、すぐに自分がオーラを飛ばしたのだと理解した魔王は、すかさずリコの様子を確認。彼女が気付いていないとわかり、ホッとすると共にドッと冷や汗が出た。
(危なかった。くそっ! まったく、冗談ではない。魔王の威厳に傷が付くところだったぞ。ドール以外の感情には反応しないよう、戻ったらすぐにオーラの設定変更をしなくては)
とりあえず、この場ではこれ以上オーラを漏らさないようにと気を引き締めてから、魔王はリコにカウチソファーへ腰掛けるよう声を掛けた。
「おい、そこへ座れ」
「ふぁい」
鼻を啜りながらリコがカウチソファーの端に腰を下ろすと、魔王もドカッと腰を下ろした。片側にだけあるアームに肘をのせて頬杖をつき、もう片方の腕を背もたれに這わせる。
「気に入ったか」
「…………?」
「ピアノだ」
「ッ、はい! それはもう、素晴らしかったです! 下手なわたしの演奏でもあんなに──!!」
魔王の問いに最初は首を傾げていたリコだったが、ピアノのことだとわかった途端に胸の前で両手を組み、うっとりとした顔で感極まったような声を上げた。
その様子を見て、魔王の口の端がわずかに上がる。
「ならば、次のドールハウスへ移動する際はこのピアノも移そう」
「えっ、移動するんですか?」
「ああ」
「あのっ、ぬいぐるみもお願いできますか?」
「いいだろう。他に要望はあるか」
「……つい最近、景色と時間経過の変化を加えてもらったばかりですし、今日はピアノも弾けるようにしてくださいました。これ以上要望なんて」
そこまで言ったところで、魔王の眉間にぐぐっとしわが寄ったのが見えた。
これ以上なにかを望むなんて厚かましいんじゃないかとリコは思ったのだが、魔王はどうもお気に召さないらしい。
(もっと欲しがった方がいいのかな。でも……)
遠慮しているわけではないと知ってもらいたくて、リコはお腹にぐっと力を入れると、魔王の目を見ながら伝えた。
「素敵なものをいろいろと追加してもらって、すごくうれしいんです。でも、あまり次から次へといただいてしまうと、せっかくの感動が薄れてしまうというか」
「ふむ」
「わたし、欲張りなので、もっとじっくり感動に浸ってから次を味わいたいなって思うんです。だから────あ、一個思い付きました。あの、オレンジジュースが飲めたらうれしいです。あと、ミルクとか、冷たいお茶とか」
あ、一個じゃなかったですねと、リコは首をすくめてえへへと笑った。
魔王はリコの要望と態度を咎めることもなく鷹揚に頷く。
「担当者に伝えよう」
「はいっ! いつもありがとうございますって、お礼もお伝えください」
「よかろう。ところでお前、花は好きか」
「詳しくはないのですが、きれいだなと思います」
「そうか。次のドールハウスは庭を付けるつもりでいる」
「わあ! 楽しみです!」
リコの頭上でポンポンと音を立てながら黄色い星が飛ぶ。
リコの家はマンションだったので庭いじりをしたことがない。園芸も小学校の時にヒヤシンスの水耕栽培をしたことがあるくらいだ。
園芸の経験も知識もないと、リコは正直に魔王に伝えた。
「ならば、あまり手を掛けずに済むようにしよう」
「いえ、園芸の本がありましたし、できることがあればやってみたいです。どんなお庭なんですか?」
「まだ詳細は決まっておらぬが、最初はとりあえず花と木を少し植えて様子を見るつもりだ」
「わあ、木が生えてるなら小鳥が来るかもしれませんね!」
またポンポンと音がして、黄色い星が飛んだ。
わくわくのオーラだ、期待されている。だが、ドールハウス内では魔王が配置しなければ鳥など飛んで来ない。
魔王は庭に植物を植えることは考えても、鳥の飛来までは考えていなかった。
(くっ、庭を作れば当然その上空のことも考えねばならんのか)
「……鳥が好きなのか」
「鳥というか、動物が好きなんです。ペットを飼ってみたかったんですけど、母が動物アレルギーで無理だったので、公園で小鳥を見たり、ペットショップで犬や猫を眺めたりしていました」
「……考えておく」
(魔道具化すればいけるだろう。ウーゴは花だけでなく鳥のミニチュアにも当てがあるだろうか。まあ、なければジローに調達させればよかろう)




