01 魔王とサークル仲間たち
その夜も、魔王は疲れていた。
湯浴みを済ませ、濡れた髪にバスタオルをかぶせたまま、作業机前の椅子にどさりと腰を下ろす。深いため息を吐きながら背もたれに体を預けると、手にしたグラスの酒をひと口飲んだ。
争い事の絶えない魔界において魔王の為すべきことは多い。今日も今日とて、部族内の争いをやめようとしないオーガ族を力ずくで黙らせた。
(まったくあの者どもときたら、何度俺の手を煩わせれば気が済むのだ。今度暴れたら……いや、もう仕事のことは考えまい。さて、今夜も作業を進めようか)
酒をもうひと口飲んでグラスを置くと、パーツケースを手元へ引き寄せる。魔王の趣味はドールハウス作りなのだ。
仕事しすぎだ、もっと休めと副官と執事が口うるさく言う。なにか趣味でもと勧められて魔界ネットを見始め、目に止まったのがドールハウスの画像だった。
小さいが、完璧に調和のとれた世界がそこにあった。
己が治める魔界と違い、静謐で品があり、個で完結している美しい世界。
すっかり魅了された魔王は夢中でドールハウスの画像や動画を漁り、どうしても実物を手元に置きたくなって魔界ネットの担当者に入手させた。そして、観賞だけで満足していたはずが、気付けば製作にも手を出していたというわけだ。
左耳のピアスに魔力を流して通信の魔道具を起動する。目の前の空間に魔ディスプレイが現れ、映像が映し出されると同時に音も聞こえてきた。
『お、魔王もインしたか。おつー』
『……こんばんは……』
『ああ』
『“ああ”は挨拶じゃねえっていつも言ってるだろー』
魔ディスプレイの左半分に映っているのはミニチュア作家ウーゴの作業風景。左上隅のワイプには彼の顔が映っている。
右半分にはドール服飾作家マリルーの作業する手元と、右上隅のワイプには彼女の顔が映っていた。もっとも、長くて厚い前髪が目を覆い隠していて鼻から下しか見えていないが。
『まあ、今日も疲れてるみてえだから大目に見てやるけどさ』
『……髪は、早く乾かした方がいい……』
『だとよ。作業始める前にパパッと乾かしちまえよ。魔王なら魔法でちょちょいだろ?』
彼らの魔ディスプレイにも魔王の作業風景と顔が映っている。魔王は大人しくバスタオルを外して鮮やかな銀髪を乾かした。そしてカチューシャを装着する。髪が垂れ下がって作業を邪魔するのを見かねたマリルーがくれたものだ。
『魔王は今日も汚し作業か?』
『ああ』
『あんまり一か所だけやるなよ。少しずつ、様子見ながら全体を古っぽく、な』
『わかっている』
紙ヤスリを手に取った魔王にウーゴが声をかける。
ウーゴが魔王と面識を得たのは、自作のミニチュアの家具や小物を魔王に買い求められたのがきっかけだ。
初めのうち、購入した12分の1スケールのドールハウスにウーゴ作の調度品をあれこれ足しては満足していた魔王が、いろいろ買っているうちにやがて自分でドールハウスを作ってみたいと言い出した。
まずは24分の1スケールの組み立てキットから始めるよう勧め、必要なツールなどを紹介。その後も製作に関する質問に答えたりアドバイスしたりしているうちに指南役のようなポジションに収まった。
今ではほぼ毎晩、こうして魔界ネットで作業通話をする間柄になっている。
『キットもこうやって手を入れてやると風合い出てくるだろ? オレのアンティーク家具とだいぶマッチしてきた』
『そうだな』
『季節に合わせてファブリック変えたりするのもいいかもなー。マリルーの冬服も見てえし』
『……ふふふ……』
『いずれやろう。楽しみだ』
魔王は初めての自作ドールハウスにもウーゴ作の家具や小物を並べて悦に入っていたが、ある時ふと、ドールを入れたらもっと世界観を楽しめるのではという考えが浮かんだ。
さっそく魔界ネットで良さげなドールを見繕っていたところ、目に止まったのがマリルー作の服を着たドールだった。ドール自体は平凡な品だったが、服や靴、帽子にバッグといった全体の雰囲気が自分のドールハウスにぴったりだとすぐさま購入。
ウーゴに勧められるままマリルーも作業通話に勧誘した。最近のマリルーは服飾関係だけでなく、クッションなどのファブリックも意欲的に制作している。
作業通話が三人になった段階で、この通話グループに名前を付けてはと魔界ネットの担当者から勧められ、それならついでにとウーゴの提案でサークルを立ち上げることになった。主宰はもちろん魔王だ。
サークル名は【ミニチュアサークル・まおはこ】。
“まおはこ”とは“魔王の箱庭”の略。ウーゴはかっこいい系の名前にしたがったが、ドールハウスは絶対かわいい系の方がいいとマリルーが譲らなかった。
口数の少ないマリルーが強硬に主張するのが珍しかったこともあり、魔王は彼女の案を採用。めでたくサークルが発足した。
魔王が少しずつドールハウスの内装に手を加え、ウーゴは家具と雑貨や食べ物などの小物を作り、マリルーがドールの服や靴などを作る。
そうやってドールハウスの中の世界を充実させていく。その過程を、三人は作業通話で共有しながら楽しんでいた。
そんなある日、魔王がまたもや思い付いてしまった。
(自分たちのドールハウスに生きているドールを住まわせたらどうだろう。ドールが自分の意思で部屋を移動し、家具や道具を使うさまを見るのはきっと楽しいに違いない!)
魔王はすぐさまドールハウスの魔道具化に着手。人を縮小して転送できるよう改造し、ドールハウス内での生命維持と活動を可能に。更に、ドールハウスの住人の斡旋を職業案内所に依頼するよう副官に命じる。
こうして【ミニチュアサークル・まおはこ】の活動は新たな方向へと向かい始めたのだった。