テンシル国の章 ①
こんばんは。始まりは暗い感じで、ほっこりするまでちょっと時間がかかるかもしれません。
前作のキャラ達がたくさん登場してきます。モブ令嬢もお読みいただけるとわかりやすいかもしれません。
大海に浮かぶ小さな島々。ひときわ大きな島は海の女神に守られしテンシル群島王国と言う。
中央の領土の大きな島にテンシルの王制を敷き、中央大陸周辺の独立した島々に「長」を置き中央からの政治を行っている。海の女神の加護下にある群島国家は海産物を中心に富み、殊の外、貝・真珠の漁獲量は世界一とも言われ、真珠の質は最高級と言われる。婚約・結婚時のパールのネックレスはテンシル産のものは非常に価値が高く、その質の高さから主に王侯貴族への寄贈品になることも少なくない。
白い砂浜と透明度の高い海が広がる海岸は絵に描いたように美しく、観光地に人気で中央周辺の島々には観光地を強く意識した宿や店が軒並みに多く、カリビアンブルーの美しい海は見る人の心を虜にする光景でテンシルは観光産業でも大きく発展している国でもある。
そして、海の女神を信仰するテンシルは水の魔法を扱える王族を頂点に女神信仰が厚い。
近年、王族と言えど水魔法を継承する者が少なくなり、現在の国王陛下も微々たる魔力しか持たず水魔法を駆使するのは困難を極めた。だが、魔力がある事が貴重であり尊いとされる王族に至っては、魔力が微弱であっても魔力持ちであることが絶対視されている。
100年ほど前、女神信仰の厚い神官長は王族の魔力低下を懸念し、周辺国より魔力の強い人間をテンシルに迎え、身分問わず王族との間に婚外子を迎えようと躍起になった時期があった。
王国の後宮には王族の愛妾となった女性で溢れ、王位継承が血塗られた継承劇となり周辺国へ醜聞を撒いた。
現在、テンシルでは先の事件を教訓に魔力重視志向を弱めてはいるが、王侯貴族の間には少量だが魔力持ちが誕生する為、魔力なしが家門に誕生すると忌み嫌い、蔑みの対象とすることが暗黙の了解であった。
――その嫌忌は苛烈を極めた。
テンシル王国宮殿は海を見渡せる小高い丘の上にある。宮殿の庭園には海からの潮に強い樹木や花々が彩を装い、庭園の象徴とも思える中央には見事な彫刻の噴水があった。海の女神に水瓶を恭しく捧げる天使の像が噴水を造る。別世界の華やかさの陰に、今は忘れ去られた離宮があった。
観賞用で防風林を兼ねる樹木すらなく海風が強く吹き付け、強風の日には外に出るのは避けたいそんな場所だ。
長年、放置されていた離宮は海風にさらされ塩害による建物の劣化が進んでいる。錆びついた窓枠はギシギシと音を立てて開閉には難儀だし、まったく動かない窓枠もある。
罅割れたガラスは補修されることなく、長い時を磨かれる事無く放置されている様は薄ら寂しい。
夏季はまだしも、冬場は海風の強い丘の上の離宮は隙間風や劣化による壁崩れなどで生活するには困難を極めるだろうことが見て取れる。居室も傷みが激しく、家具などは朽ちかけている物がほとんどで用途を成さない。
かつて、後宮として愛妾が暮らしたとされる離宮は当時の栄華の見る影もなく朽ちるに任されている有様だ。
その薄汚れた一室に、少女はいた。
ヒューヒューと喉が鳴る。目は焦点を合わさない、ただ呼吸音だけが黴臭く薄汚れた部屋に木霊する。
テンシル国の第四王女として生まれた少女は魔力がなかった。他の兄妹と同じ母から生まれたというのに、魔力がなかっただけで蔑視の対象だった。生まれた瞬間に魔力がないとわかると母に放置され離宮に捨て置かれた。
この年齢まで生きられたのは乳母の憐憫の情のみである。それも3歳までだった。
赤子で捨てられた王女を乳母はこっそり離宮で育てた。その乳母は王妃に見つかり王宮を追い出されたのだ。
出来損ないを育てていた咎で舌を抜かれた。少女の目の前で行われた断罪に少女はショックで声を失った。
――自分のせいで乳母が舌を切られたから。
幼い王女は離宮でたった一人なら生きる事を許された。
王女を憐れんでこっそりとパンを置いたり、果物を置いたりしたものは例外なく処罰された。
徐々に精神を蝕まれていくも王女は自らで食料を調達する事を覚える。外に出て、海辺で砂浜を掘り、貝や小さなエビを採ったりして空腹を満たす。雨水を溜めて水分を摂る、時が立つと雨水は腐って異臭を放ったが飲み水はこれしかなかった。海水は身体が受け付けないから。――そうして7年の月日を生き延びる。
なんとかその日を凌いで蹲って眠るも、王宮から兄姉たちが来て少女をサンドバックのようにして暴力を奮った。憂さ晴らしのように、時には楽しむ為に繰り返される暴力は数年前から頻繁だった。
今回は受け身も取れず、胸を強く蹴られた為、肋骨が肺に刺さってしまったのか呼吸が上手くできない。激痛による熱が幼い身体を暴れまわっていて少女は“終わり”を無意識に悟った。
まだ10歳。
この世に生を受けてから数えで11年しか経ってない。少女に感情は育たず、言葉も話せない。
それに名前もないのだ。生まれた瞬間に捨てられた王女は死の淵に立って、己の身に起きていることが理解できない。喘鳴が部屋に響く。
目を閉じて、終わりにしたい、と願う。”死“すらも認識できないのに終わりを願った。
ぼんやりと目玉だけをぎょろりと回す。あるはずのない気配が倒れた自分の傍らにあった。
汚らしい少女の背中をそっと撫でる手があった。ぎこちない動作のそれは、撫でてくれる手がかすかに震えているように感じる。汚い、という感覚も言葉も知らない少女は震える手を不思議に思った。
撫でる手からほんのり温かさを感じ幸福感に包まれた。初めての温もりに知らぬ間に涙が頬を伝う。
僅かに顔を上げてみる。実際には顔は上がらなかったが、そうしようとした気配は伝わったようで手の存在はさっと身を低くし、跪き顔を覗き込んできた。
覗かれた存在の金色の瞳に息を呑む。片方だけの金色はとてもきれいで胸の中がすうっと暖かくなる。ずっと見ていたい金色だ。もう片側は薄紫のきれいな色。
最後に目にするもので、力ないが微笑みがこぼれる。痛みも感じないくらいに胸の中がふわっと暖かくなって目を閉じた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
小さく蹲っている黒い塊が部屋の隅にある。
室内は塩を含んだ湿気でじめじめとしており黴臭い臭いが鼻に付く。木製の家具は腐敗し、窓ガラスをはめる木枠も腐っている。
硝子自体も割れて隙間から潮風が室内に入りこみ湿気が抜けず、肌はべとべとと塩が付いているようだ。
こんな状態の部屋に食料は原型を留めておらず、飲み水さえも雨水を溜めた桶ごと腐っている。
腐臭がまとわりつく離宮内の一室に捨て置かれたゴミのように放置される、王女。
蹲るソレは顔貌はおろか、髪の色さえも判別できない。性別すらも判別できないのに王女だと知っていたのは“時の番人”と除いた水盆の中では辛うじて少女と判断できたから。王女だと思ったのはここは離宮で離宮を与えられるなど王族しかいないから。
あの水盆で見た少女の姿から今はどれほど時間が経っているのか。
ライラは顔を顰めた。
肩より少し長めのセミロングの髪を適当にくくる。湿気があって蒸し暑さを感じる。いつも手首に巻いている組紐を器用に使って髪をくくって、前髪を少し掻き上げる。額にはじんわり汗が滲んでいる。
掻き上げた手を離せば、前髪はふんわり流れるように元の位置に戻り頬にサイドの短めの髪がはらりと落ちる。
暗めの瑠璃色の髪は黄金色と薄紫色のオッドアイの瞳をより美しく印象付ける。その瞳が蹲った少女を捉える。 ――ゆっくりと少女に近づき、まずは生存確認をしなければならない。
先ほどまでの喘鳴が小さくなっている。一体、どれほどの時間を放置されればこんな状態になるというのか。
ゆっくり近づき傍らに膝をつき、背中をそっと撫でてみた。
ぴくり、と少しの反応。目だけを回してライラを確認しようとしている動作に手が震えた。
これほどまで衰弱していたら、もう、助けられないんじゃないだろうか。
ライラはごくりと唾を呑む。身体中、ボロボロだ。骨折も一か所や二か所ではない。複数個所の骨折、肋骨の骨は肺に刺さっているのだろう、呼吸音がおかしい。
身じろぎしようとした少女に、慌てて身を低くし顔を覗き込めば、ふんわりと笑顔を見せ、そのまま目をゆっくり閉じた。
――来るのが遅すぎた・・・。もう、死んじゃう・・・。
ライラは慌ただしく室内に視線を走らせるが、治癒に有効な物なんてこの腐った離宮には存在しない。
自分は“魔法”も使えない。この世界には存在しているらしいがライラのいた世界線には魔法の概念がなかった。
ライラには特殊能力があったが治癒ではなかったので直す事はできない。
ただ、寄り添ってあげるだけしかできない。
名前のない薄汚れた小さな少女を抱き上げる。腕の中に抱き込んで、汚泥で張り付いた頭髪に優しくキスした。
「もう、大丈夫だよ。頑張ったね、・・・おやすみ」
優しく頭を撫でてやる。きっと、彼女には誰もしてくれなかったろうから。小さな王女の閉じた目の端に涙が溢れて頬に伝って落ちる。緩やかに弧を描いて口の端が上がる。
死とともに幸福感に包まれて、テンシル王国の第四王女はその短い生を閉じた。
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