姉との対決②
雅として初めて敵と対峙する大切な場面で、早くも相手に疑念を抱かせてしまうとは、先が思いやられる。
(こうなったら、しばらく黙ってるのがいいかも)
そんな雅の思いとはうらはらに、雪乃は特に気にとめていないようすで、高清に甘い笑顔を向けている。雅のことなど、まるで視界に入っていないかのようだ。
「演奏、うまくいった? どうして私が聴きに行かなかったかわかる?」
雪乃が続けざまに質問を繰りだす。けれど高清は、それには答えず、ちらりと雅に視線を送った。
「妹さんは疲れているようだから、連れて帰るといい。僕の運転手を呼ぶよ」
雪乃は、何か言いたげに雅のほうを振り返ったが、高清の提案におとなしくうなずいた。
このやりとりを黙って見ていた雅には、雪乃の気持ちがよくわかる。
高清の思惑がどうであれ、彼が演奏したのは望海のためだった。つまるところ、雪乃は望海に嫉妬をしたのだ。
(バカみたい。どうせ浮気相手が亡き妻に曲をささげるシーンを見たくなかっただけでしょ)
雅は心の中で毒づきながらも、おずおずと雪乃のあとについていく。
ふたりが楽団の門を出ようとしたとき、聞きおぼえのある声がした。
「雪乃さん、雪乃さんちょっと待って!」
振り向くと、望海の母親の木村馨が小走りで近づいてくるのが見えた。ようやく落ち着きを取りもどした雅の心が、ふたたびざわつく。
母親とは1か月ほど会っていないだけだが、10歳は老けたように見えた。
雅は、髪がほぼ真っ白になってしまった母親の姿を見て、声をあげて泣きそうになった。
「本当にごめんなさい。うちの望海があなたをこんな目にあわせてしまって……」
そう言って馨は申し訳なさそうに雪乃の手を取った。
「これ、望海がいつも身につけてたネックレスなの。ぜひ親友のあなたに形見として持っていてほしくて。どうか望海を許してあげて……」
雪乃は馨の手をにぎり返す。
「おばさま、もちろんいただくわ」
顔には優しげな笑顔が張りついている。
「望海は私の親友だもの。それにおばさまも私のことを実の娘みたいに思ってくれてたでしょ。私にとっては、実の母より気心が知れてるくらいよ。それに望海だって、わざと事故を起こしたわけじゃないから、もう気にしないで。私、ぜんぜん怒ってないのよ」
(はあぁぁ??? 何が親友よ!!)
雅は思わず叫びそうになった。
(ママ、それはママが私にくれたネックレスでしょ。私のいちばんの宝物を、なんでメギツネにあげちゃうの?)
そんな心の声が母に届くはずもない。雅は、いますぐネックレスを奪い返し、雪乃の頬を思いっきりひっぱたいてやりたいという衝動にかられたが、自分の手を押さえつけ、必死で耐えた。
とぼとぼと肩を落として歩く母の後ろ姿が、だんだん遠ざかってゆく。雅は、ひっそりと涙を流した。敵と対決するときは非情な鬼になれたとしても、肉親を目の前にすると、さすがに冷静ではいられない。
姉妹は高清が回してくれた車に乗り込み、自宅へと戻る。ふたりとも黙りこくっていて、車内は重苦しい空気に包まれる。雪乃はイラついたようすで、ずっと望海のネックレスを手の中でもてあそんでいた。
車が屋敷の敷地に入り、玄関前に横づけにされる。
車をおりた雅は、不安げに落雪の車椅子のあとをついてゆく。泣きはらした目を見られないよう、長い髪を顔の前にたらして歩いた。
何より、本物の雅とは別人であることを、誰にも悟られるわけにはいかない。まずは透明人間のようにひっそりと過ごし、家族の関係性を把握してから、どうふるまうかを決めるほうがいいと思っていた。
ところがその計画は、あえなく崩れることになる。
玄関の扉の前で、あろうことか雪乃は、あのネックレスを玄関わきの植え込みの中に放り投げた。
「あんなガラクタ、私が喜んでつけると思う?」
自分の宝物が、ゴミのように捨てられるのを目の当たりにした雅は、怒りで頭に血がのぼった。なんの迷いもなく、植え込みに駆けより、必死でネックレスをさがす。もう正体がばれることなど、かまっていられなかった。
雪乃は、地面にはいつくばる雅にチラリと視線を送ると、口の端に冷たい笑みを浮かべた。そしてすっと車椅子から立ち上がり、雅の背後に歩みよる。
雅は大切なネックレスを見つけて、思わず笑顔になった。
雪乃は腕組みをして、そんな雅を無言で雅を見おろしている。その表情からはなんの感情も読み取ることはできないが、隠しようのないすごみがあった。それは、そばにいた警備員たちが、思わず後ずさりをしてしまうほどの迫力だった。
さすがの雅も、緊迫した雰囲気を感じて振り返る。雪乃の傷ひとつない脚が目に入り、ふつふつと怒りがわきあがってきた。
(もうガマンできない!)
ふたりの視線がぶつかった。
どう見ても、一触即発の状態だったが、なぜか雪乃は笑顔を見せている。ただ彼女の右手は、たかだかと振りあげられていた。