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さあ、復讐劇の始まりよ!

蘇我(そが)雪乃、実の妹に恋人を奪われる気持ちを味わうがいいわ! そして高清、あんたにも恋人に裏切られる苦しみが待ってるから、覚悟しておきなさい!」

 無意識のうちに、思いが口からあふれる。

 かつて愛した夫は、救いようのないクズだった。妻の親友と浮気をし、さらには妻の死を悲しむ優しい夫を演じるために、ふたりが出会って恋に落ちたエンジェル楽団を葬儀会場に選んだ。いったいどういう神経をしているのか。

 練習室まで歩いてきた雅は、扉の前で目を閉じ、大きく深呼吸をした。

 それからゆっくり目を開け、何かを決心したように、練習室へと足を踏み入れた。

 部屋の壁には、床から天井まである大きな鏡が取りつけられている。鏡にうつる自分は、あきれるほどやぼったい黒のロングドレスを身につけている。けれど、瞳だけは鋭い光を放っていた。これから始まる戦いを想像し、胸が高鳴っている。

(妻だもの。彼の好みなら、よくわかってる。さあ、復讐劇の始まりよ!)

 心の中で、そう宣言した雅は、ドレスの背中の部分をつかんで思いっきり引きさいた。


 葬儀というものは、往々(おうおう)にして(おごそ)かな空気に包まれているものだが、祭壇にぎっしりと飾られた青い薔薇(ばら)と優美なピアノの旋律(せんりつ)によって、少しロマンチックな風情(ふぜい)さえただよっている。

 仕立てのよい白のスーツを着た高清が、舞台上にすえられたピアノの前に座り、鍵盤(けんばん)に指を走らせている。ピアノの音が目に見えない絹糸のように(つむ)がれ、広い空間をゆったりとたゆたう。やがて参列者は、彼の奏でる音の世界に引き込まれてゆく。ここは明らかに真っ昼間の明るい講堂だというのに、「聴衆」は静謐(せいひつ)な月の光もとで、それぞれに過ぎ去った時間に思いをはせているかのようだった。

 ベートーベンの『月光』……。ふたりの思い出の曲だ。

(私に罪を着せ、私を裏切り、私を殺しておいて、よくも平気な顔でこの曲を弾けたものね!)

 雅は、優雅にピアノを弾く高清を、燃えるような目でにらみつけた。そしてヴァイオリンを手に持ち、その時を待った。

 突然、高清に異変が起きる。上半身が大きく揺れ、鍵盤をたたく指もおぼつかなくなっている。激しいめまいに襲われているようだった。

 高清は何度か強く頭を振り演奏を続けようとしたが、ついに演奏をやめた。

(チャンスが来た!)

 さっき高清のコーヒーに入れておいた薬が、予定どおり効果を発揮している。

 雅はチャンスを逃すまいと、参列者が騒ぎだす前に、ヴァイオリンを手に舞台にあがった。

「五条社長、大丈夫ですか?」

 雅が心配そうにたずねると、高清はゆっくりとうなずいた。

「あの……。もしよければ私も一緒に演奏させてください」

 雅の提案に、高清は少し驚いたように目をみはる。

「望海さんは生前、短い間でしたけど、私のヴァイオリンの先生でした。なので、一緒に『月光』を演奏すれば、望海さんの追悼になるような気がして……」

 薬の量をきっちり計算していたおかげで、高清の症状は、めまい程度でとどまっている。もしこれが昏睡状態で演奏を中止せざるを得なくなれば、記者たちが黙っていないだろう。

 思わぬ展開に、参列者たちが、ざわつく。

「奥さんを亡くした心労が出たのかしらね」

「あれは誰かしら?」

「さあ? 社長ひとりじゃ演奏は無理そうだから、サポートに出てきたんじゃない?」

「すごく貧相なだけど、親切でいい娘さん」

 雅は素早くヴァイオリンを構える。

(……雪乃が来る前に計画を実行しなきゃ)

 高清の返事を待っている暇などない。雅は、弦に当てた弓を軽く弾いた。

 その瞬間、幻想的で澄みきった音があふれだす。悲しみの中に恨みが混じったような、それでいて清らかな音色が、人々の心にしみわたってゆく。


 大きな窓からさし込む金色の光の中で、黒いベアバックのロングドレスをまとった雅の背中が、音の高低にあわせて起伏(きふく)し、美しい陰影(いんえい)をつくる。さらに漆黒(しっこく)の長い髪は、揺れるたびに光を反射させてキラキラと輝いていた。その姿は、もの憂げで、それでいて美しく、深い愛を感じるものの、どこか(さび)しげに見えた。

 高清は、そんな雅の後ろ姿に不思議な既視感(きしかん)を覚えた。

(この後ろ姿、この弾き方……、なにもかも似てる。そっくりじゃないか!)

「望海?!」

 高清は、演奏中であることも忘れ、思わず亡き妻の名前を呼ぶ。

 さいわい、その声は舞台上にいる雅にしか聞こえていない。けれど、それこそが雅の求めていた反応だった。

 演奏を終えた雅は、おじぎをして舞台をおりる。すると高清がおぼつかない足取りで彼女を追いかけてきた。これはさすがに想定外だった。

 雅としては、高清にヴァイオリンを弾く後ろ姿を見せて彼の興味を引けばそれでじゅうぶんだったのだ。

 雅は、逃げるように廊下を歩いた。

(ここまで来れば、もう大丈夫よね)

 ひとけのない曲がり角まで来て、雅はあゆみを緩める。

 ところが、遠くから高清の足音が聞こえてきた。

(こうなったら、やるしかない)

 雅は覚悟を決め、次の計画を実行することにした。

 高清が3メートル後方にまで迫ってきていることを感じとった雅は、誰かに追われておびえたようすを(よそお)い、わざとつまずいてみせる。

 ヴァイオリンが手から放れ、黒のハイヒールも後方に飛んでいった。黒いロングドレスの深いスリットから、真っ白な太ももがあらわになる。ほっそりしとした足首は優美な曲線を描き、指先の爪は真珠のようにきらめいていた。

 濃密(のうみつ)な黒と、鮮烈(せんれつ)な白のコントラストが刺激的で、ある種のセクシーさを感じさせる。

 床に尻もちをついた雅は、顔をあげ高清をみつめた。大きな瞳いっぱいに涙をためた雅は、助けを求める小さな白ウサギのように弱々しく見える。

 高清の視線が雅の脚をとらえる。次の瞬間、ゴクリとつばを飲み込んだ高清は、雅の長い脚に手を伸ばした。


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