旦那と幼馴染の殴り合い
林田は持っていた傘を投げ捨て、鬼の形相でインターホンを連打する。
「開けろ! 五条高清、出てこい!」
「はい、どちらさまですか?」
ほどなく使用人らしき女性の声が聞こえた。
「弁護士の林田です」と告げると、すぐにロックが解除される。
林田は、玄関先まで対応に出てきた使用人を押しのけ、「望海は?」と短くたずね、返事を聞く前に中へ入った。もう礼儀を気にしている余裕などなかった。
「林田先生、お待ちください」
使用人の声が背後で響いている。林田は、望海の部屋がある2階に向かって、大股で階段を上がりはじめた。ところが、半分ほど上がったところに、目つきの鋭い年配の女性が立ちはだかっていた。
林田を追って階段を上がってきた使用人が「あの、奥様、この方が強引に入ってこられて……」と、しどろもどろに弁解する。
(奥様? ということは、この人が五条高清の母親の珠美か……)
林田は、使用人の態度を見てそう確信した。
五条珠美は、五条グループのトップで、真の実力者である。目的のためには手段を選ばないやり手だと、もっぱらのうわさだ。
珠美が、もの言いたげに林田の背後の使用人に視線を送った。その冷たく厳しい目つきは、林田でさえ震えあがるほどの迫力だった。
使用人は珠美からの無言の圧力にけおされ、口を開く。
「林田先生、出ていってください。さもないと警備員を呼びますよ」
ガターン!
突然、2階から何か大きなものが倒れるような音が聞こえてきた。
林田は、いてもたってもいられなくなり、珠美のわきをすりぬけ夢中で2階に向かう。一方、珠美は顔色ひとつ変えず、林田を止めるそぶりも見せなかった。
部屋の前にやってきた林田は、激しくドアをノックするが、当然のことながら返事はない。ドアノブを回すと中から鍵がかけられている。
林田は、なんの迷いもなくドアを蹴りあけ、中に入った。奥に進むと、寝室のドアが開けはなたれている。
目の前の光景に、林田はことばを失った。
ベッドの横に倒れている望海が、肩をふるわせて泣いていた。髪はボサボサに乱れ、服もめくれあがっている。足元に転がっているピンクの花柄のショーツが、痛々しい。
高清は、カチャカチャとベルトを締めている。シャツを羽織っただけの上半身が生々しく、嫌悪感を覚えた。
林田は怒りにまかせ高清に飛びかかると、両手で首を締めあげた。
「貴様、こんなことして許されると思うのか。恥を知れ!」
高清は力ずくで林田の手を振り払い「ゼーゼー」とのどを鳴らして苦しそうにあえぐ。
「うるさい! 夫婦の問題だ。お前は引っ込んでろ!」
そう反論すると同時に、高清は、こぶしを固めて林田の顔を殴った。
林田がバランスを崩して、後ろによろめく。手のひらで口元を押さえると、痛みが走り、口の中に鉄の味が広がった。
この一発で、林田は完全にタガがはずれた。自分が弁護士であることも忘れ、ふたたび高清につかみかかると、こぶしの雨を降らせた。
高清も、黙ってやられているわけはなく、反撃に出た。
あとから部屋に入ってきた珠美が、殴りあうふたりに軽蔑のまなざしを向ける。それから視線を床に落とすと、例のキスシーンの写真を拾いあげた。
それに気づいた望海は、おびえたような表情を見せ、力の入らない腕を支えに、なんとか上半身を起こした。
「あの……お義母様、違うんです……」
望海は、よほどこの姑が怖いのだろう。かわいそうに、からだが震えている。実際、珠美の持つ陰気で不気味なオーラは、望海でなくても腰が引けるというものだ。
珠美が望海に歩みよると、なんの前触れもなく、望海の髪をつかんだ。そして思わず腰を浮かせた望海を引っぱりあげ部屋に備えつけのバスルームに連れていった。
「浮気相手を家に呼ぶなんて、いい度胸ね」
珠美の冷ややかな声が林田の耳に届いていたが、まだ高清とは決着がつかない。
「お義母様、誤解です。私はそんなこと……」
バシン!
望海の弁解を最後まで聞かずして、珠美が望海を張り倒したようだった。珠美が無表情のまま暴挙に出たことは想像にかたくない。
次の瞬間、ドサリという人間と何かがぶつかるような音が聞こえ、望海が「うっ」と低くうめいた。
望海の異変を察知した林田は、高清から手を離してバスルームに駆けつけた。
苦痛に顔をゆがめた望海が床にうずくまり、おなかを押さえている。
「痛い……私の赤ちゃん……」
望海のことばを待たずして、太ももから赤褐色の血が流れ落ちてきた。
「早く救急車を!」
そう叫んだ林田が、望海に駆けよる。
それを見た高清は「どけ!」と叫ぶと林田の背後に立った。怒りと嫉妬に燃える目が、真っ赤に充血している。
「その女に指一本でも触れてみろ。貴様の指を切り落としてやる!」
そう言うと高清は、林田を突き飛ばした。




