この転生に意味があるとしたら、それは復讐(ふくしゅう)のため
雅は、過去を思いだすことがつらくなり、むりやり意識を現実へと引きもどした。転生してからというもの、記憶がよみがえるたびに、どうしても自分の弱さを責めてしまう。けれど幼なじみの林田蓮のことを考えると、少しだけ気持ちがやわらいだ。
(そうだ、蓮だけは私を信じてくれたっけ。)
あの事故のあと、誰からも見放された望海のことを信じ、励ましてくれたのは彼ひとりだけだった。
(私が死んだあと、蓮はどうしてるんだろう? そういえば今日の葬儀にも来てなかったような……)
もう一度、川島に視線を戻すと、まだ雨の中をよろよろと進んでいた。雅はメモ用紙に素早く文字を書きつけると、それを持って急いで外に出た。
「川島さん、待って」
玄関ロビーに置いてあった傘を手に取って、川島を呼び止めた。
振り返った川島は、自分を呼んだのが雅だと知って、驚いている。もしかすると以前の雅は、みずから誰かに話しかけることなどなかったのかもしれない。
「雅様……」
「これ、林田弁護士の住所。訪ねていけば、きっと助けてくれる」
雅が川島の手にメモをねじ込むと、川島は困ったような顔をした。
「弁護士など必要ありませんから……」
「姉を訴えろと言ってるわけじゃないの。ただ、あの人と仕事をするなら、自分を守る手段は持っておいたほうがいい」
川島は、驚いた表情で雅をみつめる。
雅はまだ蘇我家での自分のキャラをつかみきれていないが、川島の反応で、だいたい想像がつく。川島は、同情したくなるほど痩せこけて青白い顔をした雅が、そんなことを言うとは思いもよらなかったのだろう。
雅は、まっすぐに川島の目を見て話を続けた。
「あなたの知ってる私が、本当の私だと思う?」
そう言って雅は「いいえ」というように小さく首を振る。
「じゃあ、いま私の目の前にいるあなたは、本当のあなた? これまで、姉からどんな仕打ちを受けてきたかは、よくわかってる。いまみたいにガマンするのは自由だけど、子供が生まれても、そうやって奴隷のように生きるつもり?」
川島の顔がわずかにゆがんだ。
「雅様、何をおっしゃるんですか。雪乃様にはとてもよくしてもらってます。そんなこと言って、仲たがいをさせたいんですか?」
口とは裏腹に、川島の目の奥には緊張と恐怖がにじんでいた。
「今日、赤ちゃんは助かったけど、これから先の7か月も無事でいられるとは限らない。だから林田先生に相談するの。とにかく、あなたと赤ちゃんを守る方法を教えてもらって」
雅は、持っていた傘をむりやり川島に渡し、屋敷に戻ろうときびすを返す。
「雅様、余計なことに首を突っ込むと、ひどい目にあいますよ。食事には気をつけたほうがいいです」
背中に不穏なセリフを投げかけられ、どういう意味なのか聞き返そうと振り返ったが、川島は背を向け遠ざかっていった。
「ハァ……」
雅は、ひとつため息をつく。川島を味方につけるのは、難しそうだ。
ずぶ濡れになり部屋に戻った雅は、熱いシャワーを浴びた。そして暖まったからだを柔らかいベッドに沈めた。
(本当に長い1日だった)
いつの間にか雨もやみ、窓の外は静寂な夜の闇につつまれていた。
もし転生して目覚めた直後に、自分を死に追いやった敵に会っていなければ、雅の精神はとっくに崩壊していただろう。
雅の頬を涙がつたう。
この涙は、不条理に命を奪われた前世を恨んで流す涙であり、自分を殺した女が、夫と幸せに生きる未来に憤って流す涙でもある。
何より、弱くて無力だった自分への決別の涙のように思えた。
ふと気づけば、シーツはぐっしょり濡れていた。
(私は生まれ変わったんだ。この転生に意味があるとしたら、それは復讐のため。いまの私なら、なんだってできるわ)
そう考えると、死ぬことすら怖くなかった。このとき、彼女は心から蘇我雅としての新たな人生を完全に受け入れた。
どれくらい時間がたったのだろう。夜の静けさに身をゆだねると、波立っていた心もゆったりと落ち着いてくるようだった。
グルルルル。
からだが空腹を訴えている。
死の直前まで、飢えと渇きに苦しんでいたのだ。もうあんな思いをするのはまっぴらだった。時計の針は7時をさしている。
(ミキが食事を持ってきてくれるって言ってたよね?)
そう思ったやさきに、ドアの外からミキの声が聞こえてきた。
「雅ちゃん、開けて」
「きたっ!!」
雅はベッドから飛びおり、ミキを迎え入れた。




