本編
あらすじにも書いている通り、これは読者参加型の作品です。謎とそれを解く鍵がどこにあるのか、考えながら読んでくださると幸いです。
今川瑠璃は探偵の仕事を終わらせ、事件のあった旅館で年に一月ほど滞在して筆を執っている付き合いのある作家先生に挨拶に行った。
部屋は参考資料と原稿が無造作に広げられ、こと小綺麗にかつて瑠璃が贈った白い百合水仙が飾られている。
「いやぁ、今日も素晴らしい推理でありましたぞ」
立派な白ひげを蓄えた細身ながらも貫禄のある老人がにこやかに瑠璃を褒め称えた。
「あら、花開先生もご覧に?」
「それはもちろん。推理小説は専門外であれ、作家として現実に起きた出来事に関わることも重要ですぞ。それに謎を解く探偵が若き名探偵どのとなれば俄然興味も湧いてくるというもの」
「いえいえ、私など未熟······シャーロック・ホームズどころか父の背中さえ見えぬほどです。まだ名探偵を名乗る資格はありません」
花開先生から過剰に褒められて、瑠璃は様々な感情がない混ぜになって俯き、肩を竦める。
「瑠璃殿が未熟であれば、この世の探偵のほとんどが未熟にすら及ばぬ木偶の坊じゃ。謙遜も殊勝なことじゃが、時に自身を持ち威厳を見せるのも仕事のうちですぞ」
「先生からそう言ってもらえると自信が湧きます」
花開先生は瑠璃の祖父と同じ大学の一年後輩で、瑠璃の子供の頃からよくしてくれていた人だ。
特に長い下積み時代のまだ売れっ子になる前は今川家の経営しているアパートに住む隣人であり、日本中を飛び回っていた瑠璃の父親や本に溺れてしまった母親の代わりに、遊び相手に頻繁になってくれていた。
そんな彼だからこそ、瑠璃にとっては特別な人の中のひとりで、しかも歴史作家として人気のある彼に認められることは大きな自信になる。
「それで、今回の事件はどうじゃった?また昔みたいにわしに聞かせてくれんかのぅ」
「喜んで。もちろん個人のプライバシーに差し障る情報、特に名前や性別等は伏せさせていただきます。それと、先生も口外しないことを約束してくださいますか?」
今の時代、情報を探り出す探偵といえども個人情報の扱いには気を付けなければならない。下手に漏らせば、探偵としての力量に関係なく失格の烙印を押されてしまうことだってある。
いくら親しい花開先生とはいえ、そこは守ってもらわないといけない。
「もちろん。それにわしは言いふらす相手も居らんでな」
「約束いただいたことですし、早速お話しましょう」
気まずさの欠片を感じた瑠璃は、話題を事件の話に切り替え、花開先生に大枠を説明した。
旅館やその客から相次いでものが盗まれるという事件で、奇跡的に殺人こそ起きなかったものの、数人が犯人と鉢合わせて怪我をしたりもしており、しかも誰にも動機があって犯行の実行も可能な立場にいるという中々に難解な事件だった。
「とまあ、こんなところです」
「まさかわしの通っていた旅館でこのような事件が起きるとはのぅ。わしが少し居ない間にここも変わってしまったものじゃ」
花開先生は静かにため息をつく。
そして机の上部に何かを掴むような仕草で手を浮かべる。
花開先生はため息をつく度に緑茶を口にするという少々珍しい癖を持っている。
そうやって花開先生がお茶を嗜むのをよく見たことがあった瑠璃はお茶が用意されていないことに一抹の疑問を感じるとともに座布団から腰を浮かした。
「花開先生、よければ私がお注ぎいたしましょうか。·······急須はどこに?」
一瞬の間にひととおり部屋に目を通した瑠璃だが、急須は仕舞われているのか見つからなかった。
花開先生が急須を仕舞うとは思えなかったものの、先程まで執筆に集中していたのかもしれないと考え、ところを尋ねる。
「置いてきましたですじゃ。あれはもうわしには必要なき代物、届けておりますから良ければ使ってくだされ」
「?何を仰っているのか······」
その問いに花開先生は答えない。
ふと沈静な面持ちに寂しげな感情を乗せて、元の好々爺の笑顔に戻る。
「それはともかくとして、お茶を出し忘れていましたな。お茶請けも切らしたままにしておった」
「構いませんよ。喉は潤っております。それではいちど、私は戻りませんと」
瑠璃は助手に花開先生のもとを訪ねることを告げずにここに来てしまった。というよりも、お花摘みの帰り道にたまたま花開先生がいるのを見かけて挨拶に伺ったのだ。
「そうか、寂しいのぅ」
花開先生は珍しく淋しげに目線を落とした。
一瞬瑠璃はなにか引っ掛かるものを感じたものの、瑠璃にしては珍しく、深く考えずに話を進める。
「また会いましょう。この旅館にはまだいらっしゃるのでしょう?」
「どうかのぅ。ここでは作品も多く書いたことであるし、そろそろ潮時かもしれぬ。作家としても人としても、そろそろ旅立つべきときなのやも知れぬじゃ」
「そうですか?ではまた、お手紙をくださいな。私はずっと、あの場所に住んでいるつもりですから」
「そうしよう。いつの日かまたな」
「はい、ぜひ」
瑠璃は花開先生にお別れを告げると、自分に手配された二人用の一室に向かう。
「瑠璃さん、どこに行ってたんですか?探しましたよ」
瑠璃が旅館の部屋に戻ると、助手の紅葉が瑠璃を訝しむような目で見ながら問い質した。
「どこにって、旧知の作家先生がこの宿にたまたま宿泊していたそうだから、挨拶に出向いただけだよ」
「瑠璃さんと旧知の作家先生?葛瀬先生のことですか?」
葛瀬先生とは、先ほど瑠璃が解決した事件の被害者のひとりのことだ。彼も花開と同じく、作家活動に専念するためにこの旅館を定期的に訪れるひとりである。
「瑠璃さんが葛瀬先生とお知り合いだったなんて初めて知りました」
びっくりとした表情で紅葉は話す。
瑠璃は事件の捜査中、葛瀬とはまるで初対面かのように振る舞っていた。
葛瀬先生も犯人としての可能性はあったとはいえ、けが人の中では一番の重傷者であり、犯人の可能性は限りなく低かった。
そのため、中立性を保つための配慮でもない。
なので、驚いて勘違いするのも当然だろう。
「いいや、葛瀬先生とは昨日初めてお会いしたよ。第一、知り合いなら私はこの事件の解決に当たるべきではなかったし、挨拶はその時にするはずだ」
「それもそうですね。それなら瑠璃さんはどの作家先生とお会いしたのですか?この旅館にまだ作家先生っていらっしゃいましたっけ?」
「花開先生がいらっしゃるじゃないか」
瑠璃は下準備を欠かさない紅葉にしては珍しい凡ミスだなと思って、笑いながら答える。
だが、紅葉の訝しげな顔が合点のいったそれになることはなかった。
「何を言っているんですか瑠璃さん、この旅館に花開先生はお泊まりになってはおられませんよ」
「え······」
瑠璃は絶句した。確かに会ったのは間違いないし、交わした言葉も未だに頭に残っている。
「どうして断定できるのかい?」
「私は瑠璃さんの知っている通り、旅館の宿泊客を覚えています。ですがそこに花開先生はいらっしゃいません」
「そうだね、君の記憶力と下調べ能力は私が一番良く知っている。だけど、その後で先生が泊まりに来たという可能性は捨てきれないだろう?」
瑠璃は語気を強めて問う。どうして自分がこんなにもムキになっているのか、瑠璃は分からなかったが、とにかく花開先生が宿泊していることを何故かどうしても紅葉に認めさせたかった。
「いいえ、あり得ません」
「その根拠は?」
紅葉のあまりに否定的な物言いにいつもは冷静沈着なはずの瑠璃は喧嘩腰の台詞になった。
「聞きますか?」
「ああ、聞かせてくれ」
どうして理由を述べるのに許可を取るのだろう、という考えが頭を掠めたもののすぐに消えていく。
紅葉は、瑠璃さんが悲しむからあまり言いたくはないのですが、と前置きをしてからその理由を正確かつ端的に口に出す。
「花開先生は先月お亡くなりになられたからです。瑠璃さんも、お葬式に参列したではありませんか」
庭では大飛燕草が風になびいていた。
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答え合わせというか、解説は次話で行います。
解説の投稿は大体10時頃の予定です。
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