98 騎士団への客②
辺境伯家兄弟。アホ可愛くて書くのが楽しいです。
若手騎士であるオットーはヒュー・ドヤールと向かい合い、浅く息を吐いた。
オットーはマイルセン男爵家の3男だ。幼い頃から騎士に憧れ、血を吐くような厳しい鍛錬の末、ようやく騎士団に入団することができた。新人の中では誰にも負けないと自負しているし、いずれは騎士団長や副団長に肩を並べるぐらいの騎士になりたいと思っている。
そんな彼が、どうして今更、ヒュー・ドヤールと剣を交えなくてはいけないのか。
騎士になるためにひたすらに剣を磨いてきたオットーにとって、学生と打ち合えなどと命じられるのは、これまでの努力を軽視されているようで非常に不愉快だった。
だからヒューとマーズが演習場でキョロキョロと稽古相手を探している時も知らぬふりをしていたのだが、先輩騎士であるロニー・ハーロンに『相手をしてやれ』と命じられれば、立場的にも嫌とはいえない。ロニーは腕もいいし後輩の指導も熱心ないい先輩だが、実力もないくせに身分だけで偉ぶるような輩が大嫌いだ。オットーをわざわざ指名したのも、ドヤール家の兄弟の鼻っ柱を叩き折ってやれというつもりなのだろう。オットーが高位貴族相手でも忖度なく扱う事を分かっているのだ。その後のフォローは、伯爵家であるロニーがしてくれるのだろう。
「学生相手とはいえ、容赦はしないぞ? 今なら止められるが?」
一応、始まる前にオットーはそう声を掛けた。生意気ではあるが、一応、相手は学生だ。この時点で怖気ついて止めるなら、わざわざ怪我をさせる事もない。
「いや、手加減なしで大丈夫だ」
しかしオットーの気遣いも、ヒューはからりと笑い飛ばす。稽古用の木の剣の重さを確かめるようにひゅんひゅんと振って、楽しそうに目を輝かせている。
ちなみに、弟のマーズ・ドヤールは、大人しく三角座りをして見学している。辺境伯兄弟の相手をしてくれるのがオットーぐらいなので、順番待ちをしているのだ。
「それでは、はじめっ!」
審判役の騎士が、合図をする。オットーは油断なく剣を構え、ヒューの攻撃を待つ。まずは打ち込ませてどれぐらいの力量があるのか、測るつもりだった。しかし。
ヒューは木の剣を構える事無く、だらりと腕を下げている。その姿からは、全くやる気を感じられない。
「どうした? 掛かってこないのか? 」
オットーがイライラしながらそう言うと、ヒューは目を瞬かせる。
「え? 対人戦を教えてくれるのだろう? 俺が打ち込んだら、終わるじゃないか」
その至極当然だといわんばかりの物言いに、オットーは怒りで眩暈がしそうだった。打ち込んだら終わりだなんて、オットーを侮っているとしか思えない。
「そんなわけないだろう。早く打ち込め!」
オットーが怒鳴りつけると、ヒューは困った様に弟のマーズに目を向けた。
「いいんじゃない? 打ち込んで来いって言ってるんだから。あ、でも、全力はダメ……」
「分かった!」
木剣を構えたヒューが、マーズの言葉を最後まで聞かずにオットーに踏み込んでいく。その無造作ともいえる一撃を、オットーは余裕をもって受け止めるつもりだった。
ガンッと木剣にしては重すぎる音と共に、ヒューの剣を受け止めたオットーの木剣は砕けた。勢いを殺せなかった木剣をまともに肩に受け、オットーの骨は軋み、ボキッという嫌な音を立てる。
「はっ?」
何が起こったのか分からないまま、オットーの身体は後方に吹き飛ばされた。地面に打ち付けられ、遅れてとんでもない痛みが全身を襲った。
ゴロゴロと勢いよく転がっていくオットーを見守りながら、ヒューは次にやって来るであろう攻撃に備えた。もっと攻め込みたいところだが、ここは相手の出方を待つつもりだ。ヒューは単に手合わせをしに来たのではない。対人戦を学ぶために来たのだから。
だがワクワクと次の一手を待っていても、オットーは中々起き上がらない。なるほど。こうやって時間をかけ、相手の油断を招くのが手かと気づき、ヒューは注意深く構える。対人戦。中々、奥が深い。
だがヒューの思惑とは裏腹に、オットーには周囲の騎士たちが群がりだした。担架を持って来いとか、治癒士を呼べとか、なんだか大袈裟に騒いでいる。まさかそんな。あんな軽い一撃で?
「お前、何をしたんだ!」
激昂した騎士に囲まれ、ヒューは首を傾げる。皆、木剣を持ってヒューに詰め寄って来る。なるほど。次は団体戦なのだろう。
「相手が複数の場合は、先手必勝だ! 出来るだけ相手に攻撃される前に、倒せばいいんだよな!」
対人戦が苦手なりに、騎士団に来る前に弟とシミュレーションをしたことを思い出し、ヒューは木剣を構えた。詰め寄って来る騎士を掻い潜り、急所目掛けてどんどん木剣で打ち込む。学園の生徒たちに比べれば騎士たちの動きは速いが、いつも相手にしている魔物に比べれば欠伸が出る様な遅さだ。対人戦ではフェイントや心理戦が重要だと言われるが、こんなに動きが遅い相手だとあまり意味がない気がする。
「あー。ヒュー兄さーん! ……駄目だ。もう何も聞いていないなー」
実に楽しそうに剣を奮う兄を、マーズは呆れて見つめる。ああなった兄はもう止まらない。ドヤールでも周囲の魔物が全ていなくなるまで、アホみたいに狩り続けるのだ。
「兄さーん。いつも約束してるでしょ。半分は残しておいてって! 俺だって戦いたいんだからねー」
マーズの必死の呼びかけにも、兄に聞こえている様子はない。そうこうしている間に、騎士たちはどんどん倒れ、少なくなっていく。
「もー。いつもこうなっちゃうんだから」と、マーズは拗ねて地面に落書きを始めた。
◇◇◇
「あれ?」
ふと鍛錬場が静かになったことに気づき、ヒューは手を止めた。
「もう鍛錬は終わりなのか?」
見渡せば騎士たちは地面に伏して休憩を取っている者ばかり。騎士団の鍛錬の時間というものは、こんなに短いのか。学園の授業時間より短いではないか。
「違うよ兄さん。全部兄さんが倒しちゃったんだよ。俺の分も残してって言ったのに」
三角座りで大人しく順番を待っていたマーズは、唇を尖らせてヒューに文句を言った。何度か止める様に声を掛けたのだが、夢中になると何も聞こえなくなるヒューには無駄だった。ちなみに、暇を持て余したマーズにより、地面には以外と上手な三つ首竜の落書きが完成していた。
「なんだ。折角手加減をしないでいい相手だと思ったのに」
「それも違うでしょ、兄さん。親父は『人間を相手にする時の加減を学んで来い』と言ったのであって、『手加減しないで戦え』じゃなかったでしょ? あーあ。どうするの、これ。騎士様たちの大半が重傷じゃない。今王都が魔物に襲われたら、一たまりもないよ?」
「うん? 魔物がいるのか? よし、ちょっと物足りないと思っていたんだ! マーズ、狩りに行こうぜ!」
「例え話だよ、兄さん。もう、どうしてそう人の話を聞かないのさ。俺の分も残しておくって約束もすぐ忘れるし」
ヒューが物足りないなら、何もしてないマーズは物足りないどころではない。学園では学生相手だから討伐の時の10分の1の力も出せないのだ。折角、騎士相手に思い切り戦えると思ったのに、お預けなんて酷い話だ。
「悪い、マーズ。久し振りに身体を思いっ切り動かせると思って、つい……。あ、そうだ! ここは学園の鍛錬場より広いからさ、俺と手合わせしようぜ。全力で! 」
ヒューにそう言われ、マーズは目を輝かせた。確かに、学園の鍛錬場より大分広い。この広さはドヤール家の鍛錬場とそう変わらないだろう。これならヒューとマーズがどれほど全力で暴れたって、壊すことはないだろう。
「よし、そうと決まれば……! って、邪魔だな。一まとめにしておくか」
「そうだね。手伝うよ!」
倒れている騎士たちを、ヒューとマーズはひょいひょいと抱え、鍛錬場の隅に運ぶ。運ばれる騎士たちから、『痛い! 』や『揺らさないで……』という悲鳴が聞こえてきたが、ドヤール家ではいつもの光景なので2人は気にもしなかった。
「男がそれぐらいの怪我でピーピー泣くなよ。騎士団には専属の治癒士がいるんだろう? すぐ治るよ」
「いいよねー。専属の治癒士。ウチは魔術師と兼任だからなぁ。『治癒に使う魔力が勿体ない』って滅多に治してもらえないよね」
マーズが羨まし気に呟くが、ヒューが首を傾げる。
「そうか? 怪我なんて飯食って寝れば治るから、治癒なんて必要ないだろ。そもそもあんまり怪我もしないからな、ウチの奴ら。魔物に吹っ飛ばされても爪で引っ掻かれても、ケロッとしているだろ。あれ、他所ではそうでもないらしいけど、なんでだろう?」
「太陽によく当たっていると、皮膚が強くなるって親父が言ってた! ドヤールは日差しが強いから、皆、強くなるのかな?」
「え、そうなのか? マーズ、物知りだな。そんな事も知っているなんて」
「そ、そんな大したことじゃないよぉ。親父の受け売りだもん」
騎士たちをひょいひょいと一か所に積み上げながら、ヒューとマーズは暢気にそんな話をしている。乱暴に積み上げられている騎士たちは、色々な事を突っ込みたかったが痛みと恐怖でそれどころではなく、2人の勘違いを正す事が出来る者はいなかった。
「ラズレー騎士団長! 騎士様たちの休憩の間、鍛錬場を使ってもいいですか?」
呆然と騎士たちとヒューの手合わせを見ていたラズレー騎士団長だったが、ヒューにキラキラした眼で強請られて、うんと頷く事しかできなかった。
「どこが……、対人戦が苦手なんだ? そもそも、あれは人間の動きなのか? どうして空を駆ける事ができるんだ」
楽し気に空中で打ち合いを始めたドヤール家の兄弟の人間離れした動きに、ラズレーの声が震える。
先ほどの騎士たちとの戦いのときも、ヒューは尋常ではないスピードで空中を自在に駆け廻り、思いもつかぬ場所から襲われた騎士たちは成す術もなく叩き伏せられていた。あんな攻撃、普通の人間が防げるはずがない。騎士団長であるラズレーとて、負ける事は無いと思うが、手こずるだろう。
「ええっと。多分……。風魔法と魔力で筋力の増強をしてあのような動きができるのかと。申し訳ありませんが、私には無理です」
ラズレーの側に控えていた副団長が、食い入るようにドヤール家の兄弟を見ながら、ラズレーに答える。副団長である彼は、剣技もさることながら魔術に関しては魔術師団のトップクラスでもおかしくない実力がある。そんな副団長をもってしても、あのような戦い方は無理だ。
「多分、無意識に魔力を使っているのでしょう。頭で考えるより、身体が魔術を使う事に慣れている様に見受けられます。考えながらでは、普通、あの発動スピードは出せません」
「まあ、そうだろうな。先ほどの会話を聞いていれば、それは理解できるが……」
日差しで肌が強くなり、魔物の爪が通らなくなるなんて聞いたことがない。どう考えても、彼らの親である辺境伯の嘘だろう。
「いや、もしかしたらあの御仁の事だ……。本気でそう信じているのかもしれんな」
何事にも大雑把な辺境伯の事を思い出し、ラズレーは溜息を吐いた。
「ふぁっふぁっふぁっ! これは愉快。まるで『英雄』殿の騎士団指南の時の様だな」
そこへ、騎士団の専属治癒士がやってきて、楽しそうに大笑いした。
専属治癒士であるデイムはラズレー騎士団長の腰ぐらいまでの身長しかなく、真っ白な髭と禿頭の、いかにも魔術士といった風貌の爺さんだ。もう何十年も騎士団の治癒士を務めるこの老人は、普段はニコリともしない偏屈な性格なのだが、折り重なっている騎士たちと鍛錬場で楽し気に暴れまわっているドヤール家の兄弟を見比べ、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「笑い事ではありませんよ。デイム老」
嘆くラズレー騎士団長の背中を、デイムは力づける様にバシンと叩いた。
「確かに、騎士共がこの体たらくでは笑えんのぅ。おお、おお。それにしても凄い動きだ。流石は辺境伯家の次期当主とその弟。『英雄』殿の若い頃と遜色ない動きではないか。これはワシが死んだ後もユルク王国は安泰じゃ。ドヤールは古き良き騎士の教えをしっかりと引き継いでおる」
上機嫌で分かりやすく当てこするデイムに、ラズレーは眉間に皺を寄せた。以前からデイムは、騎士団の質の低下を指摘していた。気骨のある者が少なくなり、見栄えばかりを気にする輩が増えていると嘆いていたのだ。
「『英雄』殿から話があった時は、指南役がまだ学生と聞いて心配だったが。これは良い方が来てくれたものだなぁ、騎士団長よ」
「ああ、そうだな……」
元々騎士団への辺境伯家兄弟派遣の話は、『英雄』とデイムが知己であったことから持ち込まれた話だ。魔物慣れしていない騎士たちの良い経験になるかもと、安易な気持ちで引き受けたラズレー騎士団長だったが、この偏屈な治癒士が絡んでいる事にもっと注意を払うべきだった。
治癒士は白衣を腕まくりすると、イイ笑顔のまま積み上げられた騎士たちに向かっていく。
「怪我はワシが責任をもって治してやる。二度と『英雄』殿の功績がデタラメなどと思い違いをしないよう、念入りに指南役殿から教えを乞うといいぞ、お前たち」
老治癒士の愉しそうな言葉に、積み上げられた騎士たちは揃って顔色を青くした。
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