80 カルドン侯爵家の革命
色々と含みがある表現になってしまいましたが、解説?は(たぶん)84話あたりの「宰相との会食」にて載せる予定です。女帝ミシェル様をお楽しみください。
時は少し遡り。サラナがシャーロットとシヴィルと共に退席した後。
重々しい雰囲気を誤魔化す様に、カルドン侯爵はコホンと咳払いをして切り出した。
「ミンティジュースの影響力が、こちらの予想を随分と超えてしまっていてな」
カルドン侯爵が躊躇いがちに口にしたのは、ミンティジュースの予想以上の影響力の強さだった。誰もかれもがミンティジュースを欲しがる。最初は良かったのだ。ミンティジュースのお陰で、王家と比する影響力を持つカルドン侯爵家の威光を強める事が出来た。これまで中立を保っていた貴族家も、カルドン侯爵家におもねるようになった。
だが。段々と派閥間のバランスがおかしくなっていった。カルドン侯爵家の影響力は大きくなり、下手すると王家を凌ぐものになりつつあった。カルドン侯爵家は、代々王家とは距離を取っていたが、叛意だとか王位の簒奪などを願った事は無い。王家と同等の力を持ちながらも、あくまでも一臣下としての立場をわきまえている。それがミンティジュースのせいで、バランスが狂い始めてしまったのだ。
「これまでも、ドヤール家が西で優先的に魔道具の販売を行ってきたであろう。その時は、王家に我らの立場を示せると考えておったのだが。これ以上はマズい。我らは国を荒らす気はないのだ」
重い溜息を吐きカルドン侯爵は告げた。カルドン侯爵は、侯爵家を継ぐ前は国の騎士団にも所属していた。国に対する忠誠は篤い。
「もちろん、ミンティ男爵家への後援はこれまで通り惜しまぬ。だが、販売に関しては、王家と同等の量にしたいと考えている」
ミンティ男爵はその言葉に、安堵の息を漏らす。ミンティ家としても、ミンティジュースの影響力を空恐ろしく感じているのだ。カルドン家やドヤール家が支援してくれなければ、とても一男爵家で扱えるものではない。王家やそれに連なる貴族家からの問い合わせは日に日に増していて、いかにべムス商会が貴族相手にこなれた商会でも、その対応に苦慮していると報告を受けていた。ここで王家に対する締め付けを緩めてくれれば、大変ありがたい。
「辺境伯夫人。私はどうにも腑に落ちん。ドヤール家は古くから、ユルク王国の忠実な剣であり盾だ。貴族の勢力争いから距離を置いていたドヤール家が、なぜ今になって、国をかき回す様な真似をする。いくら姪御殿の事があったからといって、あれ程まで、王家を蔑ろにしてよいものか」
カルドン侯爵が、眼光鋭くミシェルを睨みつける。かつて西の猛将として名を馳せたカルドン侯爵の威圧は凄まじく、ミンティ男爵家の面々はその圧に顔も上げられない程の恐怖を感じた。
そんな息が詰まるような威圧に、バッシュはピクリと反応するが。ミシェルもカーナも全く動じることもなく淑女の笑みを浮かべていたので、ふんと息を吐くのにとどめた。
「勿論、ドヤールはユルク王国の忠実な臣下ですわ。それは変わりませんことよ」
華奢な扇子で口元を隠し、ミシェルはカルドン侯爵の鋭い視線を真正面から受け止める。
「私どもも、王家とカルドン侯爵家の関係については理解しているつもりです。王家とカルドン侯爵家はお互いを尊重し合いながらも、抑止しあう間柄。そうやって長年、ユルク王国を互いに支えてきたことも理解しています。ドヤールは何よりも国の安寧を願っておりますわ。だってそうでしょう? 我らは国の剣と盾。国の為に命を懸けて戦っているのに、肝心な国が内から綻びてしまっては、国防に支障をきたしますもの」
「辺境伯夫人。一体、なんの話を……」
「カルドン侯爵。ドヤールは急激に変わっています。それこそ、国を大きく変える事業がどんどん産まれておりますの」
過去の統計から気象を予測し、備えるという手法。画期的な魔道具。女性たちを虜にする商品。大型船問題の解決。国を富ませる事業がどんどんと立ち上がっている。
僅かな期間で、ドヤールの上げた功績は大きい。だがその反面、その功績を狙う者も増えていた。
「ご存知かとは思いますけど。ここ最近、我が国の近辺が騒がしいですわね? 大型船を開発したトリン国からはルイカー船について頻繫に問い合わせがありますし、魔道具に関しては諸外国から取引を求める声が殺到しているわ。そんな時に、肝心な国が一枚岩でないと私どもが困りますの」
「だとしたら、なぜわざと国を荒らす様な真似を? なぜ我らに近づいたのだ?」
混乱するカルドン侯爵に、ミシェルは落胆する。ドヤールと同じ武の門として名を馳せるカルドン侯爵家は、こういった面については、察しが悪すぎる。
「ああ……。なんてこと。辺境伯夫人」
それまで静かに控えていた前カルドン侯爵夫人であるメイアが、真っ青になって口元を押さえた。
元々物静かな性質で、息子が侯爵位を継いでからは、家族にもほとんど口出ししたことがない母が、客人の前で突然口を開いた事に、カルドン侯爵とアデリーは驚いた。
「申し訳ありません。私が……、私が悪いのです。夫が亡くなって、息子が爵位を継いだ後は、いつまでも姑の私が出しゃばっては良くないと身を引いたから。このままではいけないと分かっていたのに。私の、私の教育が足りなかったのです」
震えてハラハラと涙を流すメイアに、ミシェルは穏やかに首を振る。
「メイア様。まだ何も起こってはおりませんわ。私が不安の芽を一つでも摘んでおきたいと、備えているだけですから、今ならまだ取り返しがつくでしょう。一度安定を崩せば、危機感もってくださいますでしょう? メイア様も良くお導き下さいませね?」
「ええ、ええ。お心遣い、肝に銘じますわ。私が、きっちりと躾け直しましょう」
メイアが涙を拭いてギリと睨みつけたのは、カルドン侯爵夫人であるアデリーだ。いつもは嫁であるアデリーに小言一つ言った事のない大人しい義母に睨みつけられ、アデリーは驚いた。
「え? お、お義母様? いったいどうなさったの?」
「アデリー。貴女は、辺境伯夫人が懸念していらっしゃることが分からないの? ああ、何てこと。隠居の私の耳にすら、不穏な噂話が聞こえているというのに。貴女、何のために夜会や茶会に参加しているの? カルドン侯爵夫人として、自覚を持ちなさい!」
「母上。どうしたのだ? 落ち着いて……」
「このバカ息子! 惚れて娶った嫁だからと甘やかさずに、少しは叱りなさい! ……ああ、お前、まさか。この期に及んでまだ辺境伯夫人の仰っている事が分っていないの? なんて事なの。こんな愚かな息子夫婦に跡を継がせてしまったなんて。カルドン侯爵家はお終いだわ……」
顔を覆って嘆くメイアに、カルドン侯爵夫妻は訳が分らずオロオロとするばかりだ。彼らにしてみたら、突然メイアが激高して嘆き始めたようにしか見えないのだ。
「お許しください、辺境伯夫人。このバカ息子たちは、貴方たちをここへ呼びつけて、『今後は出しゃばり過ぎないように』などと説教をすると息巻いていたのです。ドヤール家から魔道具の先行販売やミンティジュースの優先販売のお話を頂いた時は、『これで王家にカルドン侯爵家の威光を示せる』などと大喜びしていたくせに、いざ影響が大きくなると、王家を敵に回すことに怖気づいて。辺境伯夫人の深い御心遣いにも気づかず、なんて愚かな……」
「母上、それは」
「お義母様!」
明け透けにカルドン侯爵家の内情を語るメイアに、カルドン侯爵夫妻は動揺して制止の声を上げる。
だがミシェルは、そんな侯爵家の赤裸々な内情など、気にも留めずに微笑んだ。
「まぁ。お気になさらずに、メイア様。今回のお招きの趣旨は分かっておりましたもの。むしろ私の考えていた通りの展開ですので、何も問題はございませんわ。よろしければ、先方との話し合いの席を設けさせて頂きますわ。あちらも、私どもを無碍にはできませんもの。きっと応じてくれますわ」
にっこりと、邪気のない笑みを浮かべるミシェルに、メイアは感嘆を漏らす。
「はぁ。なんて素晴らしい手配りでしょう。貴女の様な方が我が家に嫁いでくだされば、カルドン侯爵家は安泰でしょうに」
思わず、といったように漏れたメイアの本音に、アデリーの顔が引きつる。そんな事を言われては、嫁としては形無しだ。勝気な彼女が抗議の声を上げるより早く、それまで黙っていたバッシュが口を挟んだ。
「ならん。ミシェルは我がドヤールの大事な娘だ。なにより我が息子の愛してやまない妻ゆえ、ご遠慮願おう」
「そうですわ。私の大事な義姉ですもの。私も絶対に手放しませんわ」
バッシュどころか大人し気なカーナにまで鼻息荒く威嚇され、メイアは「まぁ……」と目を瞠ったが、やがてクスクスと笑い出した。
「本当に、ドヤール辺境伯は素晴らしい奥様を迎えられましたのね。英雄様にも義妹様にも、これほど大事にされて。我が国が誇るドヤール家は、今後も安泰ですわね」
珍しくも居心地が悪そうにしているミシェルに、メイアは優しく笑いかけたのだった。
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