79 決闘(一方的な)
カルドン侯爵家の庭園を案内していただいています。サラナ・キンジェです、ごきげんよう。
さすがカルドン侯爵領。夜会で評判になるのも分かるわぁ。質実剛健なお城の中に、まるで妖精の園のような庭園が広がっていました。色とりどりの花畑に大きな池や薔薇のアーチ、生け垣の迷路。整然としていてもどこか遊び心がある。しかも可愛らしいシャーロット様の案内付き。これは、入園料をとられてもいいレベルでは?料金所はどこかしら。
シャーロット様は見た目通り、とても朗らかでお話ししやすいタイプだった。私、生国では同年代のご令嬢と接する機会があまりなくて、ユルク王国にきてようやく、ダイアナお姉様たちやお姉様のお友だちと交流が出来たのだけど。やっぱりいいわねぇ、女の子とのお喋りって。
シャーロット様は昨年、学園を卒業してもうすぐ婚約者様とご結婚の予定で、お相手は伯爵家の御嫡男で幼馴染でもあるのだとか。恥ずかしがりながらも幸せオーラ一杯で、独り身の私には目がクラクラするほど眩しいです。婚約者様の事を語るシャーロット様が可愛い。やっぱり恋は女子を美しくするのねぇ。眼福。
「はぁ……」
そんな楽しいひと時をぶち壊すのは、私たちの後ろを退屈そうに付いてくるシヴィル様だ。彼は面倒臭そうな雰囲気を隠そうともせず、そのうえ、時々溜息を漏らす。その度にシャーロット様が私に対して気まずそうな、申し訳なさそうな顔をしているのが気の毒でしょうがない。
客を案内しているというのに、退屈そうなのを隠そうともしないとはどういう事だろう。頭の中がまだ小学生の様なヒューお兄様やマーズお兄様だって、お茶会の時は外に飛び出したくてうずうずしていても、お行儀よくおすまし顔をしているのに。終わったらすぐに討伐に飛び出して行くけどね。
お兄様たちよりも年上なのに、こんな最低限のマナーすら分からないのかしらと、私は内心、呆れかえっていた。顔は良いのに、子どもだわー。
余りにもシャーロット様が居た堪れない様子なので、仕方なく、シヴィル様にも興味を持ってもらえるような話題を振ってみる事にした。
「シヴィル様は、騎士団に所属なさっているとお伺いしましたけど、普段はどのようなお仕事をなさっているのですか?」
騎士団にも色々な所属があって、所属によっては仕事は様々だ。近衛は王族や王宮警護、第1騎士団は要人警護や王都警備が主な役割だったかしら。
「第2騎士団に所属しています」
「……ソウデスカ」
会話終了のようです。質問に対する答えとしては10点ですね。何の仕事をしているのかは、答えていらっしゃらないので。
この人、こんなんで大丈夫かしら。少なくとも今回のご招待はカルドン侯爵からのものだ。言っちゃあなんだが、わざわざ招いておいて、この態度。ドヤール家を侮辱するために招いたと言われても仕方がないのだけど。
シャーロット様が気の毒なぐらい青ざめていらっしゃるのは、彼女が兄の態度を不味いと理解しているからだ。シャーロット様は、今回のドヤール家とミンティ家の招待を、カルドン侯爵家にとって重大な事と分かっているのだろう。
「サ、サラナ様のお祖父様は、『英雄』と謳われる騎士様ですわね。私、初めてお会いしたのですけど、さすが『英雄様』ですわ。現役を引退していらっしゃるとは思えない程、逞しくていらっしゃるのですね」
シャーロット様が騎士繋がりの話題を振ってくださいました。私、シヴィル様の失礼な態度はスルーするつもりなので、そんなにお気遣いいただかなくてもいいのに。
でもお祖父様を褒めて下さってありがとうございます。『現役引退? したかしら? 』と一瞬疑問は浮かびましたが、まぁ、年齢的な事を考えると、引退したと思われても仕方がないわね。領主の座は伯父様に譲られて引退しているけど、騎士としてはいまだに現役バリバリでいらっしゃるので、判定に困るわ。なんて考えていたら、シヴィル様が余計な所に噛みついてきました。
「は。何が逞しいだ。いくら『英雄』などと言われても、所詮は過去の栄光。我ら現役の騎士に勝てるはずがなかろう」
「お兄様!」
あまりの暴言に、シャーロット様がシヴィル様を嗜める。
「大体なぁ。辺境伯などと言われるが、所詮はただの田舎領主だろう。山で山猪を相手に剣を振るうだけで、大げさに英雄などと祭り上げられて。騎士団の誇り高き騎士と田舎騎士を同列に扱ってもらっては困る」
「お止めください! お兄様! 申し訳ありません、サラナ様」
シャーロット様が泣きそうな顔で頭を下げてくるが。シャーロット様は1ミリも悪くないですよ。悪いのはシヴィル様なので。
シヴィル様の言動は珍しい事ではない。昨今の若い騎士たちによくみられる言動だ。
ユルク王国の都市部は、十数年前に比べると、大変、平和だ。魔物が出ないから。魔物は、人のいない土地に現れるといわれている。深い山や荒野に。人の手が入った街には、現れる事はほぼない。だから隅々まで人の手により整備された王都は、魔物の脅威など滅多にない。
このカルドン侯爵領も、王都寄りの都会に分類される土地であるが故、魔物も殆ど出没しないのだ。騎士団が討伐演習などで地方にわざわざ魔物討伐にいくのも、都市部では魔物が出ないからだ。シヴィル様も、年に一度の討伐演習ぐらいでしか、魔物を狩ったことがないのだろう。しかも演習で相手にする魔物は比較的、倒しやすい魔物だ。強い魔物だと、演習で命を落とす危険があるからですって。
今の王都の騎士たちは、そういう人が多いらしい。本来の魔物の脅威を知るのは、素材を求めて山奥に分け入る冒険者たちや、地方の騎士ぐらいなのだ。
でも。だからといって、許せるわけがない。
ドヤールは田舎だというのは事実だ。でも、侮られる謂れはない。
ドヤールは、民を魔物の脅威から守り続ける、ユルク王国の誇り高き剣であり盾であるのだから。
なにより。こいつ、お祖父様を馬鹿にしやがった。
くっそう。お祖父様を過去の栄光だと? 英雄なんて大袈裟だと? 失礼な。お祖父様は現役バリバリの最っ高に強くて格好良くておまけに可愛いというパーフェクト騎士なのに。それを馬鹿にするなんて、絶対許さん。
「今の言葉は聞き逃せません。撤回してください」
冷えた声で静かにそう告げると、シヴィル様は馬鹿にしたように肩を竦めた。
はい、完全にギルティ。私は頭の中でカルドン侯爵家に対する報復方法を考え始めた。
大事な取引先だろうと関係あるもんか。お祖父様を馬鹿にするなんて、敵よ敵。どうやって追い込もうかしら。ルエンさんとアルト会長と相談して、じわじわと経済封鎖してやろうか。
「サラナや。おお、ここにいたか」
脳内でえげつない報復を考えていた私の耳に、お祖父様の声が聞こえた。思わず、ビクリと肩が震える。怒りと悔しさで滲んだ涙を、慌てて瞬きで散らす。
「……サラナ。何があった」
でも。お祖父様には誤魔化しきれなかったみたいだ。
私の顔をみたお祖父様の声が、一段、低くなる。
淑女の顔を取り繕えてないと自覚していたので、私は素直に事実を伝えた。
「……お祖父様を、侮辱されました」
私、かつてないほど、怒っています。なんなら、自分が婚約解消になった時より怒っているわ。
シヴィル様に飛び掛かってキィィィッて、引っ搔いてやりたいー。ぐぅぅ!
「も、申し訳ありません! 兄が大変失礼な事を申し上げました! どうか、どうか、お許しを!」
シャーロット様が深々と頭を下げる。お祖父様の微動だにしない姿を見て、さすがにマズいと思ったのか、シヴィル様も頭を下げる。が。
「口が過ぎました。申し訳ない」
すっごいおざなりな謝罪を受けました。頭を下げて下さったシャーロット様には申し訳ないけど、なんだその態度。謝る気があるのか。前世の私の部下だったら、そんな謝罪、リテイク100回ぐらい食らわすぞ。絶対許さん。
シヴィル様に一歩踏み出し、抗議しようとした私を、お祖父様がそっと引き戻す。
「ふうむ。サラナよ。温厚なお前が、ワシの為に怒ってくれるのか。その心遣い、嬉しいぞ」
柔らかく微笑むお祖父様。宥める様に、頭をポンポンされました。ぐは。好き。
「だがな。騎士が侮辱された時、成すことはただ一つよ」
そう言って、私に背を向けたお祖父様から、恐ろしい程の殺気が膨れ上がる。
怒り心頭だった私は、すっと血の気が引くのを感じた。
あ、マズいわ。これ。
「謝罪は受け取らん」
すらりと剣を抜き、冷ややかなお祖父様の声が響く。
「抜け。小僧。其方に決闘を申し込む」
どうしましょう。お祖父様が決闘の申込をしてしまいました。
◇◇◇
「わ、私、兄を呼んでまいります!」
一早く我に返ったのは、シャーロット様でした。泣きそうな顔で駆け出していく。そうね。巻き込まれない内に逃げてー。そしてストッパーを呼んでー。
シヴィル様は剣を抜いたお祖父様に驚いていたけれど、それでもふてぶてしい顔はそのままで、剣に手を掛けた。ひぃぃ。
シヴィル様って、馬鹿じゃないかしら。こんなに尋常じゃない殺気に溢れているお祖父様を相手に、勝てると思っているの? 騎士なら相手の力量くらい読みなさいよ。
ああでも、私も悪いわ。あんな阿呆なんかに、本気で怒ってしまった。ホホホと笑って冷静に嫌味を百倍にして返してやれば良かったのに。こなれた淑女失格だわ。
「お祖父様! 申し訳ありません。私が余計なことを言ったから」
「サラナや。下がっていなさい」
このままでは死人が出ると、お祖父様を宥めようとしたのだけど。お祖父様に穏やかにそう言われただけで、身体が固まって動かなくなった。ナニコレ? 金縛り? いや、単に恐怖で動けないだけー。
「御老体。お止めになった方がいい。私は騎士団でも上位の腕前です。お怪我をなさいますよ」
シヴィル様が呆れた様に仰いますが。騎士団一の腕前ならまだしも、上位ぐらいでお祖父様に勝てると思うなんて、無謀が過ぎる。
「ほぉう。騎士団でも上位か。ならば手加減はせんでも良いな」
にやりと好戦的に笑うお祖父様。ひぃぃ。手加減してくださいぃ。この間、魔物相手に手加減なしで戦ったら、魔物が木っ端微塵になっていたじゃないですか! 素材が台無しだって、ルエンさんに怒られたでしょう? 人間は木っ端微塵にしちゃダメですよ?
「シヴィルっ! 抜いてはならん! 」
そこへ駆けつけたのは、カルドン侯爵夫妻にメイア様。
そして。うわぁん。伯母様ぁ、お母様ぁ。お祖父様を止めて下さいぃ。
「バッシュ様。一体、どうなさいました? シヴィルが何か粗相を? 」
カルドン侯爵に問いかけられても、お祖父様は視線すら向けない。臨戦態勢ですからね。獲物からは目を離しませんよ。
「決闘を申し込んだ」
「けっ、決闘? シヴィル! 貴様、何をしたんだぁ!」
カルドン侯爵の顔色が青から赤黒く変化する。物凄い声量で怒鳴られ、シヴィル様は顔を顰めた。
「少々、口が過ぎてしまいましたが……。騎士団でもよく噂されている事を述べたまでです。それほど怒る事でしょうか」
騎士団で、お祖父様に対してあんな失礼な噂があるなんて。どういうことかしらと、騎士団長を問い詰めたい気分だわ。いくらイケオジでも、お祖父様への中傷を放置するなんて、許せないわ。
「決闘などと大袈裟ですが、要は私が御老体の剣のお相手をすればよろしいのでしょう? 大丈夫です、兄上。怪我はさせませんから」
多分この中でただ一人、事の重大さを分かっていないのはシヴィル様だけだ。カルドン侯爵夫妻やメイア様、シャーロット様の顔色はすこぶる悪いもの。
それに、救世主と思っていた伯母様やお母様が、完璧な淑女の笑みを浮かべていらっしゃる。凄い圧の籠った笑顔だ。これはあれですね。止めるどころか『やっちまいなー』とか思っていらっしゃいますね。
「伯母様……」
未だに恐怖で動けない私は、必死に伯母様に視線で訴えた。目の前でお祖父様が人間を木っ端微塵にするのを見るのは嫌ですぅ。
伯母様は不満そうな顔をなさっていたけれど、私の訴えに渋々頷いて下さった。
「サラナ。貴女が最近、お義父様に頂いたものを、シヴィル様に教えて差し上げなさいな」
「へ? お祖父様に頂いたものですか?」
なんでしょう、急に。でも伯母様は楽しそうな顔をなさるばかり。
「ええっと。最近はベーズリーの親子を頂きました。お肉は少々臭みがありましたが、臭み抜きを徹底したら、滋味豊かで美味しゅうございましたわ。毛皮と爪は冒険者ギルドに売却いたしました。結構なお値段でしたわね」
ベーズリーっていうのは、前世でいうところの熊みたいなものなんだけど。熊より凶暴ね。だって、火を噴くらしいから。毛皮と爪を引き取ってくれた冒険者ギルドでは、討伐推奨ランクはA級冒険者が複数名必要と仰っていました。お祖父様? もちろん1人で狩っていらっしゃいましたよ。
「あ。カルドン侯爵領に向かう途中で珍しいキラースパイダーが出ましたね。私、初めて見ました。キラースパイダーの糸は丈夫で汎用性があると聞いているので、帰ったら色々と試してみたいです」
キラースパイダー。あれはびっくりしたわ。街道の途中で、真っ白な糸でグルグル巻きにされた冒険者さんたちが何人もいて。あんな街にも近い場所に魔物が出るなんて滅多にないから、騎士たちも討伐を請け負った冒険者たちもオタオタしていて、キラースパイダーに捕まったそうだ。
キラースパイダーは餌を糸でグルグル巻きにして、巣に持ち帰る習性があるらしく、もしあの街道をお祖父様が通らなかったら、あの人たち、そのまま巣に連れていかれて……。ひぃ。B級ホラー映画みたいな展開になるところだったわ。
糸は頂きましたけど、キラースパイダー本体は、まさかカルドン侯爵家に持って行くわけにもいかなくて、冒険者さんたちにギルドに届けて頂くようお願いすることになった。お祖父様に命を救われて、まるで教祖の様に崇めていたから、信頼してお預けしたわ。
私が最近お祖父様から頂いたものはこれぐらいだけど。それが決闘にどう関わってくるのかしらとカルドン侯爵家の皆様を見てみたら。あ。シヴィル様以外は全員、顔色が土気色だわ。ああ、そうか。お祖父様の日常茶飯事な武勇伝でも、ドヤール以外の人にとってはインパクトが大きいのね。
シヴィル様は、『何言ってんだこいつ』って顔しています。心外だわ。私、嘘は一つもついていないのに。
「……あらまぁ。ジーク様が嘆いていたけれど、騎士団も随分と質を落としているのねぇ。これだけいっても、まだ理解できないなんて」
伯母様は頬に手を当て、溜息を吐いた。
「お義父様。手加減はしてくださいませ。これでは何も知らぬ子どもを甚振るようなものですわ」
「ふん? まぁ、仕方あるまいな」
ミシェル伯母様に言われて、お祖父様は剣を鞘に戻し、ワシワシと頭を掻いた。
「ではワシは素手で相手をしてやろう。小僧、好きなようにかかってこい」
これ、ハンデになの? 素手でもお祖父様はべらぼうに強いと思うんですけど! シャンジャで凶悪高級魚グロマを仕留めたのは素手でしたよね? グロマがこの世の地獄を見た様な顔で息絶えていたのを、いまでも鮮明におぼえているんですけど。
「御老体。そちらこそ口が過ぎないか。侮辱するなら容赦はしないぞ」
シヴィル様が苛立たし気に剣の柄から手を離す。まぁ、格下だと思っている相手が素手なのに、剣で戦うなんてしませんよね。気持ちは分かりますが、折角お祖父様がハンデ? をくださったのに、剣を手放すなんて。
「なるほど、そっちも剣は使わぬか。まあいい。ではいくぞ」
軽く、お祖父様がそう言った瞬間。その姿は掻き消えていた。
次の瞬間には、シヴィル様がお空に吹っ飛んでいました。まぁ。漫画みたいに綺麗に放物線を描いているわ。カルドン侯爵様と護衛たちが、慌てて落下予測地点に走り込む。数人掛かりで、落ちてきたシヴィル様をキャッチ! おおーっと思わず歓声を上げて、拍手しちゃいました。
あ。シヴィル様。白目を剥いているけど、木っ端微塵にはなっていないわ。良かった。お祖父様、上手に手加減なさったのね。