75 フローリアの場合
フローリアのお話が3話続いて、一旦ミンティ編終了です。
私、フローリア・ミンティは、ごく普通の男爵家の娘だ。
貴族ならだれでも通う王都の学園に通っていて、成績は中の上ぐらい。目立たない栗毛と茶色の瞳の平凡な容姿。どこにでもいる一生徒にすぎない。
ミンティ男爵領は、領地はまあまあ広いが、田舎なのでこれといった特徴もなく、唯一、良く育つミンティ芋が特産物と言えばそうだろう。『ミンティ芋を食べれば風邪知らず』というぐらいには、人々の間で浸透されているけど、裏を返せば、風邪が流行る冬場以外はあまり思い出されない芋なのだ。味は平凡なのだが、それ以上に真っ黒い見た目が、美味しそうにみえない。
ミンティ領で生まれ育った私にとって、主食はパンよりもミンティ芋だった。学園に通うために初めて王都に来た時、幼い頃から毎日の様に食べているミンティ芋が、実は世間では人気がないと知った時は信じられなかった。領民の皆が一生懸命作っているミンティ芋が、子どもが嫌いな食材の一つとして有名だったなんて、初めて聞いた時はショックだった。
既に学園を卒業して父の執務の手伝いをしているレザック兄様も、学園に通い始めて初めて、ミンティ芋の不人気を知ったそうだ。級友たちからも馬鹿にされ、悔しい思いをしたと仰っていた。
だけど、レザック兄様はとても強い人だ。領民たちが精魂込めて作っているミンティ芋の売上を伸ばそうと、お父様の執務の手伝いの合間を縫って、王都や他領に足を伸ばし、ミンティ芋の売り込みをなさっている。勿論、お兄様だけではなく、お父様もお母様も、ミンティ領民たちの暮らしを良くするために頑張っている。そんな家族を見て育った私も、自然とミンティ領の為に何か出来る事は無いかと、いつも考えるようになっていた。
そんな時。同じクラスのシアン子爵家のセレスティ様に、ランドール侯爵家のクラリス様が主催するお茶会に参加しないかと誘っていただいた。正式なお茶会ではなく、ごく親しい人を誘っての小規模な会なので、セレスティ様のご友人に声を掛けているのだとか。
なんでも、クラリス様はこうして小規模な茶会を時折催すことで、色々な家のご令嬢たちとお話をする機会を設けているのだそうだ。将来、侯爵家を継ぐ立場として、様々な家と繋がることを望んでいらっしゃっるのだとか。
私の他にも何人か同じ子爵家や男爵家のご令嬢も誘われていて、私も緊張はしたがご招待を受ける事にした。私以外は皆、クラリス様の茶会に参加したことがあるとかで、とても気軽な会だから、気兼ねなく参加したらいいわ仰っていたので、安心していたのだけど。
その時は気づかなかったのだ。誘ってくださったセレスティ様や、子爵家、男爵家の令嬢たちが、優し気な表情を浮かべながら、扇子の奥で嗤っていたことを。
招かれたランドール侯爵家のお屋敷は、とても立派なものだった。
美しく整備された庭園の真ん中には、立派な噴水まであった。特に薔薇園の美しさは格別で、地面を埋め尽くす薔薇の芳香に、酔いしれてしまいそうだった。
そんな夢のような景色に圧倒され、私はお屋敷の中に入る前から、すっかりカチコチに緊張してしまっていた。
お屋敷の中も、玄関ホールだけでミンティ男爵家がすっぽりと入ってしまうほど大きくて、そこかしこに置かれた調度品は輝いて見えた。部屋の作りも豪奢だが上品で、どこか牧歌的な我が家とは全然違う。歴史ある貴族のお屋敷はこんなにも美しいのかと、ため息が出た。
私は今日の茶会の為に、持っているドレスの中で一番上等な、デビュタントの時のドレスを身につけた。私にはドレスを贈ってくださるような婚約者はいないので、このドレスはお父様に頂いたのだけど、家族は皆、この淡いピンクドレスが私に良く似合うと褒めてくれた。
だが、お茶会に出席しているご令嬢たちの宝石で飾られたドレスに比べたら、装飾も少なく、シンプルなドレスは、嘲笑の的となった。出席しているご令嬢たちが、私を見てはこれみよがしにドレスの悪口を言うのに、いたたまれない気持ちになる。
茶会が始まってからも、そのいたたまれなさは続いていた。私以外の出席者は、既にクラリス嬢とは顔見知りの様で、楽し気に会話をなさっているが、私はクラリス様とは初対面であり、格上の侯爵家のご令嬢であるクラリス様から名を尋ねられない限り、私から名乗ることが出来ない。私を誘ってくださったはずのセレスティ様も、私を紹介するどころか、無いものの様に無視しているので、皆様の会話に入ることすら出来なかったのだ。
「あら。今日は初めてお会いする方もいらっしゃるのね」
茶会も中盤になってようやく、クラリス様がそう口にして、私は初めて自分の名を名乗ることを許された。
「ミンティ男爵家、フローリアでございます」
「ミンティ? あら。そんな男爵家、あったかしら?」
クラリス様が優雅に小首を傾げる。
「クラリス様。ほら、あのミンティ芋の産地である、ミンティ男爵家ですよ」
「ミンティ芋? まあ。あの真っ黒な泥臭い芋のこと? 私、あの芋が大嫌いなの。真っ黒で、気持ちが悪いわ」
ご令嬢の1人の言葉に、クラリス様は眉を顰めた。忌まわしいと言わんばかりのその表情に、私は身体の中が一気に冷え切ってしまった様に感じた。
「ふふふ。ミンティ領って、畑ばかりで何もない田舎よね?」
「まぁ。我がユルク王国の地図に、そんな田舎の領地は載っていたかしら? 覚えがないわ」
「あのシンプルなドレス。どこのお店のものかしら。田舎にはまともな店がないのかしらね?」
「あら。でもミンティ芋のご令嬢らしく、田舎臭くてピッタリじゃない」
クスクスと笑う口元を扇子で隠し、令嬢たちの間で、酷い言葉が交わされる。私はショックで顔を上げる事が出来ず、ギュッとドレスのスカートを掴んで俯いていた。
馬鹿にされたことが悔しかった。だけど言い返すなんて、男爵家の私が出来るはずもない。ここにいるのは、私よりも格上の令嬢ばかりだ。
「……ま、まぁ。私、このような素敵なお茶会にお誘い頂いたのは初めてで……。場違いな格好で皆様にご不快な思いをさせてしまったのだったら、申し訳ありません」
みっともないほど、声が震えてしまったけれど、何とか笑顔で謝罪した。
「あら、そんな事、気になさらないでいいのよ。これからも私の茶会に参加なさって、王都の空気に馴れるための練習をなさったらどうかしら。貴女の様な方でも、私の茶会に参加なされば、少しは淑女の振る舞いが身に付くのではなくて?」
クラリス様が慈悲深く微笑んでそう言われたが、その目は私を甚振るのが楽しくて仕方がないといわんばかりに残虐に煌いていた。きっとこれからも、茶会の席で私を馬鹿にして、楽しむつもりなのかもしれない。そんな未来が容易に想像できて、私は身体が震えるのを止められなかった。私の身分で、クラリス様からの直接の招待を断る事なんて出来ない。父に泣きついても、どうにもならないだろう。
「そうそう。私の茶会には、色々な方をお招きするから、手土産は今日みたいな安っぽいお菓子より、ミンティ芋になさったらよろしいわ。お客様の中には、もしかしたら興味を持たれる方がいらっしゃるかもしれないでしょう?」
私が持参したのは、王都でも有名な菓子店の茶菓子だ。土産としては恥ずかしくないものの筈。それを安っぽいだなんて、言いがかりにしか聞こえない。ミンティ芋を持参すれば、それもまた私を貶しめる材料の一つにするのだろう。
でも、と、私は考えた。たしかに、侯爵家のクラリス様なら、交友範囲は広い筈。クラリス様の主催する茶会なら、色々な人が参加するのは間違いないだろう。もしかしたら、その中にはミンティ芋に興味を持ってくれる人がいるかもしれない。
それに、茶会に参加して、ミンティ芋の良さを参加者に伝える事が出来たら。今より少しでもミンティ芋が売れるようになったら。少しは両親や兄の助けになるんじゃないだろうか。
その日から、私はクラリス様の取り巻きの一人になった。
取り巻きと言っても、一番の下っ端。他の取り巻きたちと違って、優遇される事もなく、常にいいように使われ、嗤われ、馬鹿にされる立場。
取り巻きに加わって分かったことだが、このような目に遭っているのは私だけではなかった。クラリス様は高位貴族や先生方の前では、優秀だが決してそれをひけらかすこともなく、いつも笑顔で慈悲深い才女としてふるまっているが、下級貴族や平民の生徒に対しては傲慢で高圧的だった。些細な事でしつこく叱責したり、時には扇子で打つなどの暴力的な振る舞いもあった。
私も何度もクラリス様の気まぐれな勘気に触れて、水を掛けられたり、持ち物を壊されたり、扇子で打たれたりしたが、取り巻きを辞する事は許されなかった。
毎日の様に嫌がらせを受けていたが、私はそれを誰にも言う事は出来なかった。
学園に相談したところで、相手は成績優秀、品行方正な侯爵家の令嬢だ。信じて貰えるとは思えなかったし、先生方も身分的には侯爵家より下だ。真実が分ったところでどうすることも出来ない。
家族には信じてはもらえるだろうが、男爵である父にだって、相手が侯爵家ではどうすることも出来ないだろう。本当の事を告げて家族を悲しませるだけなら、私が口を噤んで我慢していた方がいい。そう思って、家族には学園生活は順調だと嘘を吐いた。
毎日の嫌がらせよりも、クラリス様のお茶会に参加する方が辛かった。
クラリス様の命令通り、私の持参する土産はミンティ芋ばかり。皆が持ち寄る華やかな土産の中で、ミンティ芋はいつも嘲笑の的だった。ミンティ芋の良さを皆に知ってもらえるかもしれないという私の淡い期待も、叶う事は無く。いつしか私は、学園中から『芋令嬢』などと陰口を叩かれ、笑われるようになっていた。
ごく稀に、お優しい方が、私に言いにくそうに『たまには違うお土産でもいいのではないのかしら』とやんわりと忠告してくれたが、クラリス様は、その度に『ミンティ嬢は、皆様に知ってもらうために、敢えてミンティ芋をお土産になさるのよ。本当に、ミンティ領の事を大事にしていらっしゃるのね』と、もっともらしい顔で説明して、私が土産の品を変える事を許さなかった。
そんな風に、私の学園生活は過ぎて行った。
何の希望もなく、クラリス様に怯えてビクビクと過ごす日々。
だがある日の茶会で。『月と花の妖精』と知り合う事で、私の生活は劇的に変化したのだ。
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