73 帰りの馬車にて
一仕事終えた帰りの馬車が、逃げ出したくなるぐらい重い雰囲気です。サラナ・キンジェです、ごきげんよう。
ベムス商会での有意義なお話し合いの後。契約も終えてホクホク顔の私は、浮かれすぎたばかりに状況判断を誤りました。
行きはダッドさんとボリスさんとルエンさんとカイさんが同乗してむさ苦しい、いえ、少々手狭だわぁと思っていたのに、帰りの馬車は気付けば私とアルト会長しか乗っていません。スカスカ。
どこかに寄らなきゃとか急ぎの仕事がとか、何だかんだと理由を付けていなくなった皆様、この雰囲気が嫌で逃げましたね。
そして2人っきりの馬車の中は、恐ろしいほどの沈黙。
アルト会長は窓の外に顔を向けていて、表情は分かりません。むぅ。
経験上、こういうのは長引かせない方がいいと分かっているのだけど、話し掛け難いわぁ。表情が見えないので、何を考えているのか分からないし。
「……あれ?」
「ひゃいっ?」
内心びくびくしていた私は、アルト会長の声に飛び上がった。
「サラナ様、他の皆様は……?」
珍しく呆然とした様子で、アルト会長が馬車を見回している。
「皆様、別に用事があるようで、ベムス商会の前で別れましたわよ?」
逃げましたよ、とはっきり言わなかった私を褒めてあげたい。
「そ、そうですか……」
アルト会長が、気まずそうに俯く。アルト会長ってば、皆さんにちゃんとお疲れさまでしたと挨拶までなさっていたのに、忘れちゃったのかしら。……それとも、怒りすぎて、気もそぞろだったのかしら。
そう思った途端、背中が冷んやりした。
私、アルト会長を怒らせちゃった? また出しゃばり過ぎてしまった?
アルト会長は私がどんなに仕事に口出しをしても怒ったりなさらないから、ついつい油断していたけど、私のやったことは、男性を立てるべき淑女の在り方としてはあり得ない事だ。前世だって、男女平等なんていってたけど、男性同様にバリバリ仕事をしていたら煙たがられたもの。生意気だ、可愛くない、出しゃばりだって言われるたびに、だったら私より出世してみろだなんて啖呵を切っていたけど、傷つかないわけじゃなかった。
だから嬉しかったのだ。アルト会長が私と一緒に仕事をしてくれるようになって、家族以外でこんなにも私を尊重してくれて力になってくれる人がいるなんて、思ってもいなかったから。だから、甘えすぎて、アルト会長を蔑ろにしてしまった。
自分が仕出かしてしまった事の大きさに、私は血の気が引いていくのを感じた。
私、アルト会長に嫌われてしまったのかしら。
もう一緒に、お仕事が出来なくなるのかしら。
……もう二度と、優しく笑いかけてもらえないのかしら。
「サラナ様? どうなさいました? お顔の色が……っ、お身体の具合でも?」
アルト会長が御者さんに合図をして、慌てて馬車を止める。馬で着いてきていた護衛さんが、何事かと馬車の中を窓から覗き込んでいた。
「ごめんなさい、アルト会長……。私、出しゃばってしまって。ごめんなさい、怒らないで……」
血の気が引いて目に涙がにじむ。嫌だ、感情が高ぶって泣くなんて、こんなの私じゃないわ。
なんとか必死に涙を堪えたが、顔に力が入って、多分、凄い不細工な顔をしていると思う。でも絶対に、泣くなんて出来ない。泣いて縋るなんて、無理。余計にアルト会長を困らせるだけだもの。
そんな不細工な顔の私を、アルト会長は馬車を覗き込む御者さんと護衛さんから隠した。手を振って窓から離れるように合図する。そ、そんなにヒドい顔なのかしら。
「サラナ様……、大丈夫です、落ち着いて。」
アルト会長が自分のハンカチで私の目尻に滲んだ涙を拭いてくれた。ハンカチから、アルト会長がいつもつけている香水が薫って、それがなんだか余計に悲しくなる。
「貴女を怒ってなど、いません。私は、自分で自分が情けなくて……」
アルト会長は自嘲気味に溜息を吐く。目元に当てられているハンカチも、慰めるように恐々と頭に触れてくる手も、壊れ物でも触るような優しいもので。そこには確かに怒りは微塵も感じられない。
「怒って、ない?」
私がそうっと尋ねると、目元を隠していたハンカチが無くなって、アルト会長の優しい顔が見えた。そのことに一気に安心する。うわーん、よかった、いつものアルト会長だ。
「ええ。怒っていません、貴女には。ですが、自分で自分が許せません」
「ええ?」
アルト会長は何一つ悪くないじゃないですか。私が余計な事をしちゃったから……。
「もし私とべムス商会のかかわりがなければ、いくらクルム会長が商売人として有能でも、貴女はあの商会を選んだりはしなかったでしょう? だけど、私の為に……。私が、べムス商会を切り捨てれば、後悔すると思って、あの暴言を許してくださった。そればかりか、貴女に悪役めいたことまで言わせてしまって……」
ええ? それを気にしていて、あんな態度だったの? 怒りというよりは後悔で一杯だったのかしら。
アルト会長の言葉に、私はようやく落ち着く事ができた。強張っていた顔から、ほっとして力を抜く。ううん、顔に力が入り過ぎていたから、筋肉が痛い。
でも、やっぱり、私のした事はいけなかったと思うの。アルト商会の代表であるアルト会長を差し置いて、出しゃばり過ぎたわ。
そう反省していると、アルト会長が私の表情から何を考えているのか分かったのか、殊更、優しい声になった。
「私はサラナ様が、出しゃばりなどと一度も思った事はありませんよ。貴女は聡明でお優しいから、いつも誰かのために頑張り過ぎてしまう。そんな貴女を全力でお支えすべきだというのに……。今回の事は、完全に私の失態です」
しょんぼり落ち込むアルト会長。うう、子犬の耳と尻尾が垂れているわ。「アルト会長にはいつも助けてもらっていますぅ!」と、無性に頭をわしゃわしゃと撫でて、慰めたくなった。
「……ですが。二度とこのような失態は犯しません。貴女をあらゆる悪意から守れるように、精進いたします」
決意を込めてキリリと表情を引き締めるアルト会長。しょんぼりしていた耳と尻尾が、雄々しく敵に立ち向かう様にピンと立っている。……なかなか、子犬現象は抜けてくれないわね。
「良かった、アルト会長が怒っていなくて」
再び動き出した馬車の中、心の底から安心して、私は頬が緩むのを感じた。
さっきまでの重苦しい(と思っていた)馬車の雰囲気が、明るい希望に満ちている様に感じるわ。
あぁ、アルト会長が味方だと思うと感じられる、この安心感よ。どこぞの警備会社ばりに信頼できるわぁ。
「私がサラナ様を怒るはずないでしょう。……でも、それほど心配なさったのならば、仲直りをしましょうか?」
そう笑顔でアルト会長が手を差し出してくる。あら? 仲直りの握手? なんだか改まってそう言われると、照れくさいわね。
恥ずかしかったけれど、アルト会長の手をそっと握り返す。
わぁ。当り前だけど、大きいわ。男の人だもの。そうよねぇ。
「………あの、アルト会長?」
「はい。なんでしょうサラナ様」
にこにこと笑って、アルト会長がごく自然に答えてくれますが。いや、私が何を言いたいかわかっているでしょうに。
「あの。手を、そろそろ……」
握手って、こんなに長くしませんよね? どうしてずっと握っていらっしゃるの?
「ああ、すみません。そうですね」
アルト会長が手を離して、反対の手で繋ぎ直す。えええー。
「こちらの方が、繋ぎやすいですね」
にっこにこ。それは上機嫌に手を繋いでいますよ。先ほどまで馬車の向かいに座っていたのに、いつの間にか私の横に座って、並んで手を繋いでいます。ええ、私が泣きそうだったので、隣に座り直したのは分かっていますけども。
「サラナ様の不安を解消するために、念入りに仲直りをしないといけませんからね」
「そんなことは……」
不安なんて、とっくに解消されています! と言いたかったのだけど。
先ほどの、アルト会長に嫌われているかもという恐怖心が、まだどこかに残っているようで。思い出すと、プルリと身体が震えた。
「……お願いします」
恥ずかしかったけれど。散々、不細工な顔も見せてしまった後で、取り繕う事も出来なくて。
か細い声でそう言うと、アルト会長は驚いたように目を見開いた。
「……ありえませんよ。貴女を嫌うなんて。絶対に」
そう言いながら、アルト会長は家に着くまで、ずっと手を握っていてくれた。
その手の温かさに、ものすごーく安心しちゃったのは、仕方がないと思うの。だって、アルト会長だもの。
◇◇◇
「仲直りできましたかねぇ?」
「そもそも喧嘩はしていねぇと思うがな。妙な雰囲気だったからなぁ」
べムス商会を出た後、ルエン、カイ、ダッド、ボリスは別の馬車で帰途についていた。
なんとなくサラナとアルトの雰囲気がまずそうだったので、気兼ねなく2人で話せるようにと、それぞれ気を利かせて自然に解散したのだが。
「あのバカ娘が、拗れに拗れさせてくれましたからねぇ。ふふふ、再教育が楽しみです」
ルエンが全く笑っていない目で笑いながらそういうと、他の3人は苦笑いを浮かべた。
彼らとて、サラナを侮辱されたことには腹を立てていたが。ルエンに比べればまだその怒りは穏やかなものだ。笑顔でえげつない量の仕事を熟すルエンだが、その殺人的なスケジュールの中に、レアの再教育の時間をねじ込んで、直々に指導する気満々だった。
「べムス商会はウチの傘下になるわけですから、もちろん、私たちも指導させていただきますよ?」
ルエンに負けじと、カイが黒い笑顔を浮かべる。アルト商会の女神を侮辱したレアを見逃したとなると、商会内で暴動が起る。その筆頭はもちろんカイだ。
「俺らだって、今後アイツとは関わることになるんだからな。職人として黙っちゃいねぇよ」
ボリスが、にんまりと笑う。レアに強面と言われたことも地味に根に持っているので、念入りに指導してやらねばならない。なにより、サラナを馬鹿にされ何もせずに引き下がったとなったら、村の女衆の怒りが爆発するのが目に見えている。
「あー。しかし、その前に先代様がどうなるか分らんなぁ」
「あ。そうですね。サラナ様が取りなすでしょうから、一刀両断なんてことにはならないでしょうけど」
ボリスの言葉に、カイがうんうんと頷く。あのサラナなら、目の中で泳いでいても喜ぶようなバッシュなら、話を聞いて即、一刀両断ということもありうる。
「その辺は、サラナ様が先代様に直接お話しになるでしょう。こちらも、刃傷沙汰を阻止するためにも、命がけで再教育しなければなりませんね」
馬車に居る4人の心が一つになる。レアのやらかしたことは、いくら寛容なドヤール家でも許される事ではない。サラナが気にしていなくても、貴族にも守らなければいけない体面というものがある。侮辱され、それを許せば身分制度に重きを置いていないともとられかねない。平民の身分ならば、投獄、財産の没収などの罰が適当なのだ。それが、咎められなかったばかりか、アルト商会の傘下に入るとはいえ、べムス商会が存続できること自体が奇跡である。
「お嬢がべムス商会を見逃したのは、アルト会長の為だろう? 会長は、お嬢に愛されているよなぁ」
「これでご本人に自覚があれば楽なんですけどねぇ。無自覚ですよ、絶対に。『アルト会長は大事なビジネスパートナーですもの』とか、思っていらっしゃいそうで……」
ダッドがにやにやして言うと、ルエンが深ぁい溜息を吐く。まさにその通りの事をサラナは思っていた。さすが、サラナの専属秘書である。
「……今更なんですが。サラナ様と、アルト会長を二人っきりで馬車に乗せて良かったんでしょうか」
カイが思い出したようにそう言うと、ダッドとボリスがハッとする。
結婚前の令嬢が、男性と二人で馬車に乗るなど、普通ならばありえないことだ。
「平民でも結婚前に2人っきりで馬車になんて乗ったら、相手の親父にぶん殴られるな」
ボリスがバツの悪そうな顔をして頭を掻いた。実体験だ。ボリスの妻の亡くなった父は、それはもう怖い親父だったのだ。あの親父の目を盗んで妻を連れ出した時は、顔がボコボコに腫れあがるまで殴られた。
「大丈夫です。ドヤール家の了承は得ておりますから。それに、今更ですよ。流石に夜は2人っきりなんてことはありませんが、日中ならば2人で部屋に籠られるなんてざらにありますから」
ルエンがなんてことないようにそう言うと、他の3人はそういえばそうだったと、納得した。
「当り前の光景過ぎて、見逃していたけど、考えてみりゃあ、普通は部屋で2人っきりもねぇよなぁ」
「しかも折角2人っきりだって言うのに、ずっと仕事の話をしているだろ。お嬢はともかく、会長も、もうちょっと色気のある話が出来ないのか」
「ウチの会長も、仕事中毒ですからねぇ。今回のミンティジュースだって、自分の所で受ける気満々だったんですけど、従業員が泣いて止めたんですから。サラナ様からのお仕事を、中途半端な状態で受けるなんて出来ないって」
「お前らも十分仕事中毒だぞ。普通はこれ以上の仕事はいくらお嬢の頼みでも受けられねぇっていうもんだろう」
「えー? ダッドさん、サラナ様から仕事を依頼されて、そう言って断れるんですか?」
「……無理だな」
「ほらー。ウチだってそうですよ。ウチの従業員たちの口癖、知ってます? 身体が2つあったら、もっとサラナ様とお仕事が出来るのに、ですよ?」
ニシシといい笑顔のカイに、ダッドは呆れるが、モリーグ村の連中も同じようなものだ。皆が知恵と工夫を凝らして、仕事の効率を上げてより良いものを作ろうとする。サラナに少しでも喜んでもらえるように、恩を返せるようにと。
「愛されているよなー。ウチのお嬢は」
しみじみと呟くダッドに、他の3人は、声もなく同意するのだった。
☆☆アーススター ルナ様の特集ページに、『特別CM』あります。お祖父様の声が……!☆☆
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