70 ベムス商会にて
アルト会長のお師匠様とお会いしました。サラナ・キンジェです。ごきげんよう。
ちゃんとアポイントは取りましたよ。最初はやんわりと断られたのですが、色々と、伯父様や伯母様の伝手を辿って、断れない様にしちゃいました。決して無理強いはしていませんよ、断りにくい状況に持っていっただけで。うふふ。
お父様には、「あまりやり過ぎてはいけないよ」と窘められましたが、「べムス商会の前会長といえば、中々の傑物と聞いているよ。折角の良いご縁だ、頑張りなさい」とも仰っていたので、『逃がすなよ』という意味だと解釈しました。
ええ、理想の取引相手を逃すものですか、ノーモア・ブラック企業。
かなりゴリ押しの面会でしたが、クルム会長はイヤな顔一つせず、私たちと会ってくれました。困った笑顔でしたが、イヤな顔ではないので、良しとしましょう。
クルム会長は、小柄な、優し気なお爺さんといった容貌だ。お父様が傑物と仰っていたから、押しの強そうな人を想像していたけど。考えてみたら、アルト会長も押しが強いタイプではないわ。気づいたら。外堀を埋められて囚われている感じよね。
その一方で。明らかに不機嫌な顔をしていらっしゃるのはクルム会長の娘、レアさん。警戒心が剥き出しの山猫の様な表情をなさっています。ワイルドですね。美人さんだけど、吊り目気味なので、ちょっと性格がキツそうな感じに見えるわ。
もしかして、ウチのメンバーが少々厳ついのが良くなかったのでしょうか。
今日は私とアルト会長、ルエンさんとカイさん。そして、どうして付いてきたのかしら、私の右腕と左腕のダッドさんとボリスさん。
え? 魔石ジューサーの説明のためにルエンさんによばれた? という建前で、今は商業向けだが、いずれは家庭でも使える魔石ジューサーの開発になるから、今後関わるであろう商会と顔合わせも兼ねているの?
まぁ。以前に会議の中で私が話した、開発プランを見据えての行動なのね。さすがルエンさんだわ。隙が無い。
「御無沙汰をしています、クルム会長」
「いやあ、アルト、久しぶりだね。いや、もうアルト会長とお呼びしなくてはいけないね。君の活躍は聞いているよ。今やアルト商会はユルク王国で一、二を争う大商会じゃないか。一緒に働いていた身としては、とても誇らしいよ」
かつての師匠に、アルト会長は丁寧に挨拶をする。そしてクルム会長も、穏やかに礼儀正しく、そして親しみを込めて返してくださった。弟子として育ててやったと言わず、一緒に働いていたと仰る所に好感がもてますね。
「君にはとても申し訳ない事をしたと思っているんだ。君がウチを辞める時に、何の手助けもしてやれなかったからね」
「クルム会長はご病気だったのですから、仕方がありません。その後、お身体はいかがですか?」
「まぁ。昔ほどの無理は利かないが、普通に仕事は出来るよ」
優し気に目を細めるクルム会長に、アルト会長がほっとしたように表情を緩めた。口には出さないけど、クルム会長の事をとても慕っているようだから、師匠が元気な事に安心しているみたいだ。
「レア様もお久しぶりです」
「……」
アルト会長がクルム会長の横の山猫、いえ、レアさんに穏やかに声を掛けるが。レア様はジロリとアルト会長を睨むだけで返事はない。あらー。
この態度にアルト会長の横に控えるカイさんから、ひんやりとした空気が漏れ出す。なんだかんだと、カイさんはアルト会長を尊敬して慕っていますからね。そりゃあ、こんな態度をとられたら、ひんやりするわよねぇ。
しかし当のアルト会長は、レアさんの態度を気にした様子もない。クルム会長が目線で謝っているのに、サラリとした態度ですもの。
なんとなく、レアさんがこちらに敵意を持っている理由も察しはつくけれど、アルト会長がこの様子なら、もう少し様子を見てみようかしら。
「今を時めくアルト商会の会長が、ウチの様な落ち目の商会に、何の御用かしら?」
とか思っていたら、レアさんから先制攻撃を頂きました。
シャーッと毛を逆立てた山猫の様に、全身に敵愾心を漲らせていらっしゃいます。
あら? アルト会長からは、べムス商会在籍中はレアさんには弟の様に可愛がってもらっていて、仲は良好だったと聞いていたのだけど。レアさんの姉弟愛って、もしかしてスパルタ形式だったのかしら。それとも、アルト会長は、あの敵意に満ちた言動に愛情を感じる、特殊な性癖が……。
「ありませんよ。妙な想像は止めて下さい」
ボソッと、窘める様なアルト会長の声が聞こえました。
ひぇ。口に出していないのに、どうして考えている事が読まれたのかしら。
「もちろん、本日お伺いしたのは、商談の為ですよ」
何事も無かった様に、アルト会長がレアさんに微笑んで仰いますが。レアさんの目は三角のままだ。
「あらそう? でもそちらはウチの現状をよくご存知なんでしょう? それなのにどうして取引をしようだなんて思ったのかしら」
確かに、べムス商会の状態はいいとは言えない。でも、アルト会長が仰る通り、ちょっと年齢層は高いけど、従業員も食品に関しての知識や接客は他の商会と比べて抜きんでている。つまり即戦力なのよ。
もちろん、それだけでべムス商会を選んだわけではないのだけど。もう一つの理由は、あまりはっきり言うのは憚られるのよねぇ。
そんな私たちの歯切れの悪さが、レアさんの疑心を余計に膨らませてしまったようで。結果、警戒させてしまった上に敵愾心を持たせてしまったようです。
「レア、失礼な事を言うんじゃない」
クルム会長が穏やかなのに有無を言わさぬ声で窘める。おおぅ。私たちの前だからと抑えているみたいだけど、怖いわ。優しいお爺ちゃんみたいな見た目は、やっぱりブラフね。
レアさんは、クルム会長の言葉に一瞬怯んだ顔を見せたけど、反発するように声を荒らげた。
「こんな、脅すみたいに! 強面の男たちなんて連れて来て!」
強面って。もしかしてダッドさんとボリスさんの事かしら。
まぁ、失礼だわ。とても気のいい職人さんたちなのよ、顔は怖いけど。奥さんの前では、まるで借りてきた子猫のように大人しいのよ、顔は怖いけど。
「お嬢。褒めてねぇぞ、それ」
ダッドさんの呆れた声に、ハッと我に返った。あら。口に出てたかしら?
「口には出してねぇけどよ。表情で丸わかりなんだよ」
ボリスさんの言葉に、首を傾げた。おかしいわ、長年の王子妃教育で、表情のコントロールは完璧な筈なのに。
「俺らはお嬢の表情を読むのが癖になっているからな」
「ああ。口に出すまでダメ出しを待っていたら、ダメージがデカ過ぎる。お嬢の考えそうな事を先回りして、商品の改良をしねぇと、予定が狂いまくるからな」
一瞬、上司の顔色を読みながら息をひそめる様に仕事をする、可哀そうな部下の姿を想像したけれど。
全然違うわね、この2人。私が1つ提案したら、いつも10以上は言い返してくるもの。ほほほ、全て打ち返してやるけどね。前世の中間管理職を舐めて貰っては困るわ。上司にも部下にも容赦なんてしないわよ。
そんな私たちのひそひそ話を他所に、アルト会長とレアさんの攻防は続いている。
こちらもムキになっているレアさんを、軽やかにあしらうアルト会長、そして時々、レアさんを窘めるクルム会長。という構図は変わっていないのだけど。
でもねぇ。たぶん、レアさんって、ご主人が亡くなるまで、商会で働いた事はなかったのではないかしら。嫌味一つにしても、悪意が感じられなくて、良いところのお嬢さんが、精一杯悪い言葉を使っているようにしかみえない。
今だって、アルト会長を必死に罵倒しているけど、まるで大人と子どもの喧嘩だわ。勝負にすらなっていない。そんな嫌味くらいじゃ、アルト会長には何一つ響いてませんよ、レアさん、頑張って!
あまりの圧倒的な力量の違いに、思わずレアさんを応援しそうになったけれど。ダメよ、サラナ。万が一にもレアさんが勝ってしまったら、べムス商会にお仕事を引き受けてもらえないじゃない。ノーモアブラック。今から信頼できる商会探しなんて間に合いそうにないし、なにより面倒だわ。
「……何が真面目な商談よ! 私は騙されないから! アルト、あなた、ウチを乗っ取るつもりなんでしょう? 老舗のウチを手に入れれば、新参のアルト商会にも、箔がつくものね!」
アルト会長に穏やかに宥められ、クルム会長に厳しく叱責されていたレアさんだったが、落ち着くどころか、ますますヒートアップしていった。
「これみよがしに、貴族の女なんか侍らせて。下品な成金の商会がやりそうなことだわ!」
途端に、その場の空気が凍り付く。あちゃー。
駄目よ、レアさん。私を攻撃するのは、商人的にも平民的にもアウト。最悪、貴族に不敬を働くと、無礼打ちもあるから。私はしないけど。
だけど私が許しても、私の周りまでそれを許すかと言ったら、答えはノーだ。
現にルエンさん、ダッドさん、ボリスさん、カイさんの顔から笑顔が消えているし、ひっそりと付いてきていた私の護衛さんからは、剣呑な気配を感じる。
「レアっ! 黙りなさい!」
レアさんよりよっぽど事態を理解しているであろうクルム会長が、先ほどより強い口調でレアさんを叱り、腕を掴んで黙らせようとするが、レアさんはクルム会長の腕を振り払った。
「いいえ! 黙りません! お父様、いくら昔馴染みだからって、他人を信用し過ぎよ! こいつらはね、ウチが落ち目だからって喰いものにしようと企んでいるのよ! アルト! 夫の仕打ちを恨んでいるのかもしれないけど、商談の場に、女連れでちゃらちゃらと現れるだなんて、それでも……」
「黙れ」
冷えた鋭い声が、レアさんの言葉を遮る。
部屋の中の空気が急に薄くなったような、そんな息苦しさを感じる。
以前、お祖父様が魔物と相対しているのを見た事があるけれど、その時に感じた圧に似ている。
視線一つで、魔物の足を止めた時と、同じ圧を。
真っ赤な顔で怒鳴っていたレアさんが、青ざめるを通りこして真っ白な顔で、後ずさる。
気持ちは分かります。私も横から感じる恐ろしい気配に、腰が抜けそうだったもの。意地でも立っていましたけどね。
「サラナ様」
横から呼ばれて、ソロソロと視線を向けると。
いつもと変わらない笑顔を浮かべているアルト会長がいらっしゃいました。が。
「残念ですが、べムス商会とのご縁はなかったようです」
いつもと変わらない笑顔ですけど。これはマズいわ。アルト会長がブチ切れていらっしゃいます。怖いわ。
「え、ええっと」
レアさんの無礼な言動は誤解から生じているものなので、私は気にしていませんよなどと、とても言える雰囲気ではなく。戸惑う私の手を取って、アルト会長はルエンさんとカイさんを呼ばわった。
「先に馬車に戻っていてください。サラナ様をお願いします」
「承知いたしました」
「はいっ」
アルト会長の言葉に、粛々と従うルエンさんとカイさん。そのまま連れ出されそうになって、思わず私は声を上げた。
「あ、えっと、あの? アルト会長?」
「私は少々、べムス商会とのお話があります。すぐに済みますので、先にお戻りください」
先ほどよりも雰囲気が柔らかくなったアルト会長に、ちょっとだけ、安心したのですが。
「これより先のお話は、貴女に聞かせたくありませんので」
続いた言葉には、不安しか残らなかった。ちょっと、大丈夫? べムス商会!
☆☆アーススター ルナ様の特集ページに、『特別CM』あります。お祖父様の声が……!☆☆
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