61 トーリの反省と罰
書籍記念の小話。
トーリ殿下への罰です。もう一話、続く予定です。
次話には、辺境伯家兄弟の婚約者のお姉さまたちが登場予定です。
もう何度目かも分からない魔物の攻撃に、剣を振るう。
呆気なく絶命し、屍の数が増える。弱い魔物なので手こずる事はないが、いかんせん、数が多すぎた。
「火炎で焼きますっ! 一旦お下がりくださいっ!」
後方でメッツの声が聞こえ、俺とバルは魔物たちから距離を取った。これだけ距離があっても、頬を焼く様な強力なメッツの火炎に、その一帯の魔物たちが焼き尽くされる。しかし、喜ぶ間もなく、その後方から、また魔物たちがゾロゾロとコチラにやってくる。
「いつまで続くんだ、これは……」
大量の沼ガエルを前に、俺は思わず呟いたが、そんな言葉に答えてくれる者は誰もいなかった。周りの兵たちも、一心不乱に剣を振るい、魔物を屠っている。時折、メッツの様な魔術師が放つ魔法による爆音が、あちらこちらで放たれていた。ここで目立つ魔物は沼ガエルだが、大人の腕ほどの大きさの吸血ヒルや、名前も知らないグニャグニャと長細い蛇のような水生魔物と戦っている騎士もいる。騎士と魔物が戦い、魔物と魔物が戦い、爆風と爆音が飛び交う。
これまで学園での模擬戦や、騎士団の演習でも対人戦ばかりで、綺麗な戦いしか知らなかったため、はじめはこの様な泥臭い戦いに大いに困惑した。しかしのんびり戸惑っている暇はなく、俺たちはあっという間に魔物たちに取り囲まれ、10日過ぎた現在は、何も考えずにひたすら魔物相手に剣を振るっていた。
騎士団の新人騎士たちの実地訓練を兼ねた毎年恒例の大討伐。今年は、西の領地にある大きな沼地で行われることになった。騎士団の実地訓練地の中でもダントツで人気のないこの沼地は、夏になれば数多の水生の魔物が大発生する場所だ。放っておけば近くの町や村、畑に魔物が溢れ出て、多大な被害を齎す。魔物自体はそれほど強くないのだが、やたらと数だけは多いのだ。
本来はまだ正式に騎士団に所属しているわけではない俺たちがこの大討伐に文字通り放り込まれたのは、ある失態のせいだった。主な失態は俺だが、止めることができなかったと、連座で側近たちも罰をくらうことになった。
元々、西部での討伐自体は決まっていたのだが、失態がダメ押しになって、懲罰的な意味で、一番過酷なこの沼地が選ばれたのだ。他の騎士団員にとってはとばっちりである。もし沼地での討伐が俺の矯正の為だと騎士たちに知られたら、王弟といえどタコ殴りにされるかもしれない。
自分の失態に、兵たちまで巻き込んで。本当に、私は至らない……。
ギュッと剣を握り込み、情けない思いで俯いていたのだが。
「トーリ様っ!」
己を呼ぶ声にハッと顔を上げたが、その時はすでに遅かった。
飛んできた沼ガエルが、顔にびったりと貼りつき。そのぬるぬるした身体が、顔の上を這いまわった。頭に飛び込まれ、べちゃべちゃと粘液をこすりつけられ、バランスを崩した俺は、見事にその場でひっくり返った。
◇◇◇
「カルドン夫人から、アルト商会の新製品のお話を伺いましたのよ」
長期休暇に入ってすぐ、王宮に戻った俺は国王夫婦の私的な部屋に呼ばれた。学園での出来事を報告した後、穏やかに会話を楽しんでいたが、その義姉の一言にピリリとした違和感を感じた。
「アルト商会の支店が、カルドン領に出来たそうなの。開店の目玉として、新商品を他に先駆けて売り出したそうよ」
穏やかに微笑む義姉。だが、その目は全く笑っていない。
その原因には、すぐに気づいた。カルドン侯爵夫人は、義姉と昔からライバル関係にあるのだ。
王太子であった兄には、正妃が決まる前、数名の婚約者候補がいた。カルドン侯爵夫人はその中の一人だ。
兄は幼馴染であった義姉を昔から好いていて、唯一人の妃と幼い頃から決めており、それは周知の事実だった。しかし、高度な教育を受けた有力貴族の令嬢たちが、王妃たる資質があるにもかかわらず、妃候補にすら選ばれず、王太子の一存だけで将来の王妃を決めたとあっては、王家が貴族たちを軽んじているととらえられかねない。名目上とはいえ、妃候補に名を連ねる事により、貴族たちの体面は保たれる。そのため、皆、誰が妃に選ばれるかは分かっていても、多数の貴族の娘たちが妃候補として選ばれたのだ。
もちろんカルドン侯爵夫人も、正妃については納得しており、選ばれたいという気持ちもなかったようだ。しかし、昔から王妃とは社交界での人気も、学園での人気も二分するほどの好敵手であり、二人とも、勝気な性格であったため張り合う事も多かった。王妃と公爵夫人という立場になっても、いまだにその大人げない関係は続いているのだ。
義姉は扇子を優雅に広げると、口元を隠す。そうすると、笑っていない目が強調されて、恐怖心が増した。
「ドヤール家が、急に西での販売に力を入れ始めたから、どうしたのかしらと不思議に思っていたのだけど……」
義姉の目が、獲物を定めたように鋭くなる。その目に射すくめられて、嫌な汗が背中を伝わるのを感じた。
「トーリ様。謁見の日、サラナ様を招いてガゼボでお茶を楽しまれたそうですね? その際、少し騒ぎがあったと聞きましたが?」
先日、ドヤール家との謁見の後。サラナ嬢を誘導して簡易な茶会を楽しめた。話も弾んだし、サラナ嬢も笑顔だったので、誕生会でのわだかまりも薄れたと感じた。
だが茶会の席で、俺は再び失態を犯してしまった。そしてそれを、兄夫婦に言えずにいた。令嬢に対して無作法だったことに気づけず、余りに情けなくて、言えなかったのだが。
茶会での騒ぎは、それほど大きくはなかった。ドヤール家が穏便に済ませてくれたし、謝る隙もないぐらい、そそくさと帰ってしまったからだ。だが、茶会には、給仕の侍女や護衛が少なくない数いた。ドヤール家の異変に気付いた義姉が、侍女や護衛たちから、事情を聞いたのだろう。
「騒ぎだと? 俺は何も聞いておらんぞ、トーリ」
兄が訝し気な顔で俺を見つめる。義姉の怒りに気づいたのだろう、どうせバレるのだから、さっさと洗いざらい白状しろと、その目は語っている。
「……実は」
俺は兄夫婦からの圧に耐え切れず、サラナ嬢との茶会の顛末を話していた。話している内に、兄の顔から表情が抜け落ち、反対に義姉の目が爛々と光るのが恐ろしかった。
話し終わった後、待っていたのは恐ろしい程の沈黙だった。
兄はだらりと椅子の上で脱力し、義姉は相変わらずこちらを凝視している。
「…………お前なぁ」
長い沈黙を破って、兄が地獄の底から響くような声で呟く。その声音に呆れを感じて、俺の身体はびくりとはねた。
「謁見で、サラナ嬢の後見になるという提案で、王家への不信感を和らげたというのに。お前が台無しにしてどうするのだ」
「……」
ドヤール家の功績に対する褒賞に、兄がどれほど時間をかけて議会や他の有力貴族たちと協議を重ねていたか知っている。ぐうの音も出なかった。
「……それにしても、確かに女性の腕を掴むなど無作法ではあるが。ドヤール家をあれほど怒らせるとは、どれほどの力でサラナ嬢を掴んだのだ」
兄にぐいと腕を突き出された。どれほどの力で掴んだのか、再現してみろという事なのだろう。
戸惑いながら、俺は兄の腕を掴んだ。あの時は焦っていたから、確かこのぐらいで、と記憶を頼りに力を籠めると、兄の目が大きく見開かれる。そして、後ろ頭に衝撃が来た。
「……っこの、馬鹿者! こんな乱暴に女性の腕を掴むとは何事だ!」
掴まれていた方とは反対の手で、久しぶりに兄に拳骨を落とされ、俺の視界がチカチカと揺らいだ。相変わらず、加減も何もない一撃だった。
「ああ、そりゃあ怒るだろうよ! 女性の腕をこんな力で掴んだのなら、痣が出来たに違いない。……まさかお前、サラナ嬢を傷物にして、無理に娶ろうなどと考えたのではなかろうな?」
「そ、そんな事は決してっ!」
兄の疑念に、これだけは断固として否定せねばと、俺は勢いよく答えた。
「そのような事は、決して考えておりませんでした。ただ、サラナ嬢からの返事が欲しくて……」
王都案内について、明確な答えがもらえなくて焦り、つい夢中で、腕を掴んでしまったのだ。傷物にして娶ろうなどと、そんな卑劣な事、考えてもいなかった。
「もしもそんな恥知らずな事を考えていたのなら、許すことは出来んが……。そんなにショボくれているのを見れば、嘘ではないのだろう。その点は、お前の言い分を信じてやろう。しかしお前、焦っていたとはいえ、怪我をさせてしまうとは思わなかったのか?」
「……それほど、力を込めたつもりはありませんでした。それに、鍛錬の時よりは加減をしたつもりです」
「筋肉の塊の兵士たちと、一般的な女性を同列視するな。そんな事も分からんのか、お前は」
呆れかえった兄に加え、義姉が冷ややかに追い打ちをかける。
「トーリ様は夜会でも茶会でも、ご令嬢たちと接することがありませんからね。学園でも、側近の子たちや、同性の学友とばかり交友を深めていると聞いていますから。ダンスの一つも踊らないので、女性への接し方が分からないのでしょう」
確かに今まで女性と接することは避けてきた。学園でも夜会どころか、ちょっとしたエスコートの為ですら、その手を取ったことは一度もない。
「はぁ。女性を寄せ付けない事で、こんな弊害がありますのね。男色の噂だけでも、厄介だというのに」
女性とはそんなに脆いものなのかと、心の底から反省していた俺の耳に、とんでもない言葉が聞こえた。今、義姉は何といった?
「だ、男色?」
動揺して、声が震えた。兄が、義姉をみて、あーあ、といった顔をしている。
「ええ。トーリ様には男色の御趣味があると、実しやかな噂があるのです。身目の良い男性ばかりを侍らせて、女性が近づくだけで睨みつけ、親族と言えど女性をエスコート一つしたことがない。そう面白半分に噂されていたことが、今では信じている方も多くて……」
「わ、私は、そういう趣味はありませんっ」
何という事だ。そんな噂が流れているだなんて、知らなかった。側近たちも知らないのではないだろうか。そんな事、一言も聞いたことがない。
それに、まさか。まさか、サラナ嬢も、俺が男色などという噂を信じているのだろうか。
「知っていますよ。ですが、そういう噂を立てられても仕方ない言動を、貴方はしていたのです。本当に、貴方たち兄弟ときたら、女性に対して妙に潔癖で。軟派になれとは申しませんが、もう少し柔軟に紳士的に対応なさい。昔から、陛下が冷たくやり込めた女性に、私がどれ程フォローをしてきたと思うのですか!」
怒りの矛先が自分だけでなく、昔の兄の振る舞いにまで及び、俺たちは揃って首をすくめた。
「ドヤール家との交渉は、今後私が行います。多分、今回の西の領地に絡んでいるのは、辺境伯夫人でしょうから」
殊勝な態度の俺たちに、義姉は怒りを治め、冷静にそう告げた。暗に女の戦いに首を突っ込むなと言われ、俺は頷いた。ここは義姉に任せるしかないのだろう。申し訳ない。
兄はゴホンと咳を一つして、居住まいを正した。
「トーリ。此度の件に関しては、お前が全面的に悪い。よって、謁見の際にも申した通り、騎士団の大討伐に参加することを命じる。今年の大討伐は、過酷なものになると覚悟せよ」
義姉が兄の後を引き取って、言葉をつづけた。
「トーリ様。此度の長期休暇の間、遠征以外は、可能な限り社交を頑張っていただきます。そこでご令嬢たちとの接し方を、一から勉強しなおしてください」
俺の長期休暇は、サラナ嬢を構う暇などないということが、決定した瞬間だった。
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