49 バッシュ・ドヤール
お留守番のお祖父様です。
孫娘というのは、なぜこうも可愛いのか。
サラナが謁見の為にほんの数日王都へ出掛けただけなのに、もう心配で堪らん。ジークとミシェル、セルトにあの商会の小僧が付いていて、万が一にもサラナが傷の一つも負うはずがないだろうが。慣れぬ王都で不便はしておらぬか、誰ぞに嫌がらせでもされておらんかと、今すぐにでも駆けつけてやりたくなる。
「お祖父様。ほんの数日ですわ。すぐに戻って参りますから、その間、私の大好きなドヤールをお守りくださいね?」
ドヤールを離れるのは寂しいし、孤児院や村の事業も心配だと肩を落とすサラナにそう頼まれれば、否やはない。「お祖父様がいてくださるなら、安心だわ」とにっこり笑った顔のなんと可愛いことか。事業については詳しくは分からんが、請け負ったからには、万全を尽くさなくてはならん。
「ルエンよ。ワシに何か手伝えることはあるか?」
サラナの秘書にそう問い掛ければ、ヤツは卒なく笑う。
「先代様のお手を煩わす様なことは何も。些事については万端、私めが整えてございます」
「うむぅ」
なんだ、それではワシがここに残った意味はないではないか。ならば今から馬で駆って、サラナを迎えに行くか。
「先代様。当代様もヒュー様もマーズ様もいらっしゃらない今、先代様がドヤールを離れたとなると、領民の安全が脅かされてしまいます。領民たちを大事になさっているサラナ様が知ったら、お心を傷めてしまいます」
「……分かっておるわ」
ルエンに穏やかにそう言われ、ワシは苦い気持ちになった。何も言っておらんのに、勘の鋭い男だ。サラナが側に置くだけはある。
ワシは仕方なく屋敷を出て、散歩がてら、ブラブラと村を歩き回った。
思えばこの村も、随分変わったものだ。
サラナがモリーグ村に来る前までは、ここは何の変哲もない村だった。長閑と言えば聞こえはいいが、田畑と山ばかりの、何もない村。金よりも物々交換の方が多い、どこにでもある農村。畑だけでは生計が成り立たず、冬には男たちは出稼ぎに出掛ける。どちらかといえば、貧しい村だった。
領主とて、村民の全てに手を差し伸べる事は出来なかった。魔物の多いこの地で、領主の第一の責務は領民の安全を守る事。ドヤール家は武の家柄。守る事は出来ても、領を富ませる事までに、なかなか手が回らなかった。
だが、今やすっかり、村の様子は変わっていた。長閑なのは変わらぬが、まず、村民たちの顔が明るい。以前は小麦しか産物がなかったが、畑で小麦を作る傍ら、ニージェの内職やグェーの仕事の手伝いで、小麦以外の収入を得られるようになった。この冬は男たちの誰一人として、街への出稼ぎにはいかなかった。そのお陰か、女や子どもたちの顔つきも不安そうな様子はなく、穏やかだ。
孤児院で勉強を教える様になったおかげか、村民たちの中にも字を読める者や計算が出来る者が増えている。村長であるヤンマの息子も、前は辛うじて文字が書けるぐらいだったが、今やヤンマの後を継いで、小麦の日誌を書いているらしい。ヤンマの研究にも協力してくれるのだとか。自分の代で日誌が途切れなくて良かったと、酔っぱらったヤンマが男泣きしていたのは面白かったな。
村をこれほど明るく、良き方にかえたのは間違いなくサラナだ。
サラナは賢く、民のために身を粉にして働くことも厭わぬ、まさに王家に嫁ぐに足る逸材だと思うのだが。これほど素晴らしい娘を、ゴルダ王国の第二王子はよくも手放したものだ。まぁ、王家の方がサラナに足らぬという事だろう。
噂で聞いたが、サラナの後釜に迎えられた聖女とやらは、平民の出ながら贅沢を好み、マナーも教養もさっぱりで、評判はすこぶる悪いらしい。そんな娘を選んだ第二王子は、本人の出来も悪いのに婚約者がそんな有様なのでフォローどころか足を引っ張られ、周囲からの評価が下降の一途を辿っている。二度も婚約破棄などしたら、それこそ王家の威信に関わる醜聞なので許されないだろうが、どうするつもりなのか。まぁ、ワシらには関係のないことだな。
それにしても、サラナのやつめ。王都でも何かやらかしたようだ。王都のドヤール邸の家令たちから、嬉々として報告が来ておったが、さっぱり何をするつもりなのか分からんかった。
いつもは「もう少し王都のお屋敷もご利用ください」と愚痴しか言わん家令が、若人の様に張り切っておったが。まったく、何をやらかしたのか。帰ってきたサラナからの報告を聞くのが楽しみだ。
何か褒美をやりたいところだが、サラナは普通の令嬢が欲しがるようなものには、あまり興味を持たない。豪華なドレスも宝石も観劇も、望めばなんでもかなえてやりたいのに、全く強請られない。毎日欲しいものは無いかと聞いているが、『お祖父様と一緒にいられるだけで楽しいですわ』などと言い、無欲なものだ。そうなると増々、サラナの喜ぶものを知りたくなるではないか。
そんなサラナが、ある時から毎日、同じリボンを使うようになった。サラナの髪に映える真珠色の美しいリボン。なかなか凝った刺繍が施されていて、その美しいリボンを、サラナは殊の外気に入っているようで、毎日大事に使っている。
どこで手に入れたのかと探ってみれば。なんと、あのアルト商会の小僧からの贈物だと言う。孤児院の子どもたちと一緒に作り上げたとかいうそのリボンに、サラナは大事な宝物のように触れて笑った。
「あの子たちが心を込めて作ってくれたのが嬉しくて。私の一番のお気に入りなんです」
サラナの嬉しそうな表情を見て、その優しい心根を嬉しく思ったのだが。ただ一点、気に入らんことがある。サラナを喜ばせたのが、ワシではなくあのアルト商会の小僧だという事だ。
アヤツは、なるほど確かに目端が利くし、頭の回転が速い。人柄も悪くなく、肝も据わっている。何より、サラナを大事にしてくれている。セルトがあの小僧をサラナの婿にと考えたのは、良い選択だと思う。ワシとて、サラナがいつまでも嫁に行かずに一人でいるなどとは思っておらん。あの子は、一番に幸せになるべきなのだから。
だが、たとえそうだとしても。可愛い可愛い孫娘を喜ばせるのは、まだまだまだまだ、ワシの役目だ。あの小僧が婿に確定したわけでもないのに、その役目まで譲るのは、絶対に納得がいかん。
サラナには孤児院の子たちは忙しいから、くれぐれも無茶な注文などしてはいけないと止められてはいたが。あの童どもが作るもので、サラナが喜ぶならば、是非ともワシも注文したい。サラナが王都から戻ったら、アッと驚いて喜ぶような、そんなものを、なんとしても作らせてみよう。
そう思って。モリーグ村の孤児院を訪れたのだが。
孤児院の童どもの代表だとかいうマオが、ワシが現れたのを見て、深いため息を吐いた。
「いけません。先代様」
「ぬ?」
「サラナ様から、もしサラナ様の留守の間に、先代様がいらしても、ご注文はお受けしてはいけないと申しつかっております」
「むう」
なんと。サラナに先手を打たれていた。
「アルト会長が我々にリボンをご注文なさったのは、孤児院の子どもたちの成長を感じられるようなものが一番喜ばれるからと考えられたからです。我々も、サラナ様への感謝を形にしたくて、皆で考えてあのリボンを作ったのです。ただ、サラナ様は、贈り物の作成が、我々の負担になってはいないかと、それは心配なさっていたのです。だから、これ以上贈物の依頼は、お受けできません」
マオという小僧に淡々と諭され、ワシはぐっと押し黙った。
確かに。サラナならそこまで考えて心配しそうだ。あの子は優しくて思慮深く天の使いの様な素晴らしい子なのだ。孤児院の童どもに負担をかけるのは、本意ではないだろう。
「……そうか。すまなんだ。ワシは、サラナの喜ぶ顔が見たかったのだが、短慮だった」
反省を込めて謝れば。マオはむっと何かに耐えるように、口をへの字に曲げた。
「こ、これが。サラナ様の仰っていた子犬顔……。サラナ様が何を仰っているのか、全く理解できなかったが、なるほど。こういう事か」
何やらマオがぶつぶつと犬がどうとか言っておったが、ワシはがっかりしたまま立ち上がった。サラナが喜んでくれそうなものは、別で探さないといかん。
その時、ツンと、袖を引かれた。目をやると、マオよりも小さい童が、ワシの袖を握っていた。
「あ!チビ。こら、こっちに来たらダメだって言ったろ。申し訳ありません、先代様。コイツは、ウチの孤児院の一番小さい子で、行儀も勉強中なので……」
マオが慌ててチビと呼んだ童を部屋から追い出そうとしたが、小さな童はマオの手を掻い潜り、腕に抱えていたものをどん、とテーブルの上に置いた。
「これ」
指で摘めそうなぐらいチビっこいくせに、やたらと不遜な態度で、小さな童は胸を張った。
「おじょう、よろこぶ」
机の上には、不揃いの紙の束にまっすぐな線やらぐるぐるの線、汚い文字や数字や計算があちらこちらに書かれていた。
「もじ、すうじ、けいしゃん、できる!みせでやさい、ねぎった!おじょう、いっぱいれんしゅうしたら、たくさんよろこぶ」
ニンマリ笑って、童はワシに紙を押し付けた。
「これが、おじょうのよろこぶもの」
「こらっ、チビっ!先代様に失礼だろっ!」
小さい童は、マオに怒られ首を竦めたが、誰かに呼ばれたのか、ピュンッと走り去ってしまった。ほおう。小さいのに、随分とすばしっこいのう。
ワシは小さい童が置いて行った書付を眺めた。汚い字だが、白い紙を黒く塗りつぶすように何度も何度も重ねて書かれている。一枚の紙を無駄なく使っていた、何度も何度も。裏も表も真っ黒になるまで。
すこしだけ空白があった。赤いインクの見慣れた綺麗な字で『よくできました。つぎはふたけたのたしざんよ。がんばって』と書かれていた。
「俺たちが頑張れば頑張るほど、お嬢は誉めてくださいます。お忙しいのに、俺たちの頑張りを見て、一言ずつ、言葉を下さいます。どんなご褒美を頂くよりも、その赤い文字が、俺たちは嬉しいんです」
マオが頬を赤く染めて、恥ずかしそうに、だが誇らしげに言い切る。
「あのチビが、いまやウチのエースですからね。あいつの舌鋒で、市場で値切れないものはありません。グェーの解体だってあの小さな体で、器用にこなすんです」
「あの小さい童がか?」
ワシの膝くらいまでしかなさそうな、あんなに小さい童が。
「先が恐ろしいヤツです。度胸もあるし頭の回転が早い。俺も負けてられませんよ」
マオが燃えるような目を小さい童が出て行った方へ向ける。こいつも相当、負けん気が強い。
ワシは、童どものそんな様子を、眩しいような気持ちで見ていた。
この村で、一番変わったのは、村民たちの、特に、子どもたちの、心の在り様だろう。
子どもたちは、己の力で未来を変える事に、今や、何の疑いも持っていない。努力次第で道は開けるのだと、石に食らいつくようにして毎日、必死で学んでいる。それがどれほど凄い変化なのか、サラナは、たぶん気付いておらんのだろう。ただ領主の、貴族の義務として、養い、慈善を施すのとは違う。こんなやり方があるのだと、何十年もこの地を治めていたワシも、目から鱗が落ちる思いだった。
そうして、童どもを見ていたら。ふと、思いついた。
これならば。サラナは、喜んでくれるのではないだろうかと。
「ふぅむ。おい、マオ。ちょいと話を聞きたい」
ワシの最愛の孫娘。
サラナの、驚き、喜ぶ顔が、今から楽しみだ。
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