41 陛下と王妃と王弟殿下
お待たせしました。『25 港町シャンジャ』の『気の無い殿方からの贈り物を頂いた時の対処法』です。
伯母様方と侍女さんズ、裏方で頑張っていました。
学園の休日。陛下より王宮に戻る様にと命を受けた。執務室ではなく、兄の私室に呼び出された事に、嫌な予感がした。仕事の話なら、執務室に呼ぶ筈だ。それなのに私室。内輪の話という事だろう。
「サラナ嬢に振られたようだな、トーリ」
顔を合わせるなり、兄にそんな事を言われ、俺は反射的に答えていた。
「いえ、そうと決まったわけでは!」
叫んだ後で、ハッと気付くと、兄は人の悪い顔でニヤニヤしていた。
「な。なぜ、ご存知なのです?」
兄にはドヤール領視察の報告をしたが、サラナ嬢の事は簡潔にしか話していない。視察後も続く文通も、学園を休んで誕生会に参加した事も、秘密にしていた。だが、兄には全てお見通しだった様だ。
「お前は隠していたつもりかも知らんが、バレバレだ。視察の報告の段階から、いつになく浮かれていたぞ。それに、女性の好みそうな装飾品を調べていただろう」
兄の言葉に、俺は頬が熱くなるのを感じた。ここ最近の自分の行動を顧みれば、思い当たる事ばかりだ。
「それほど素晴らしい令嬢か、サラナ嬢は」
「ええ。これまで会ったどの令嬢よりも聡明で、誇り高く、慈愛に満ちていて。そして……」
あの時の、サラナの諦めた様な笑顔が浮かんだ。その顔に、胸が痛む。
「守ってあげたくなる様な……、人です」
俺はただ素直にそう答えた。
俺の言葉に、兄はにやにや笑いを引っ込め、こほん、と一つ咳をした。
「エルストも、サラナ嬢の事を素晴らしいご令嬢だと絶賛していた。ドヤールの片田舎に引っ込んでいるのは、もったいない逸材だとな。だが、お前と彼女との仲が拗れていないかと、心配もしていた」
「いえ!……ただ少し、気まずくなってしまっただけで」
そうであって欲しいと、願わずにはいられない。ただ、誕生会以来、サラナに何と言って謝ればいいのか分からず、あの日以降、手紙を送る事が出来なくなっていた。もちろん、サラナからの手紙も届いていない。こちらから手紙を送らなければ、返信も途切れてしまう様な、そんな存在なのだ。彼女の中の、俺は。
「落ち込んでいる所に、更に追い打ちをかける事になりそうだがな。ドヤール家から、お前宛てに、誕生日の贈物に対する、お返しが届いている」
「お返し……?」
なんだそれは。誕生日の贈物に対するお返しなど、聞いたことがない。
「サラナ嬢に、随分と高価なブローチを贈ったようだな。視察先で数日過ごしただけの令嬢への祝いとしては、重過ぎると判断されたのだろう。お前の個人的な資産から贈ったのだから、俺が文句を言う筋合いはないが、兄として言わせてもらえば、時期尚早だ。さほど親しくもない相手から、あまりに高価すぎる贈物を受け取る事は、逆に負担だという事を、覚えておきなさい」
そして、ドヤール家から送られてきたという、お返しを見せられた。それは、程よい大きさの女神像だった。その優美な身体の曲線や、慈愛の溢れる表情から、さぞ名のある工房で作られた一級品であろうと、思わせるのだが……。なんというか。
「高価なブローチのお返しとして、値段的には、釣り合っているがな。何とも、無難な返しだ。貴族御用達の高級店が、客から『お返しに困っている』と相談されたら、一番に勧めてくる様な品だな。後は、ああ、そうだな、屋敷の新築祝いなどに贈られていそうだな。どちらにしても、色気が皆無だ。こういうものを返されるという事は、お前、ドヤール家から敬遠されているぞ」
兄に苦笑と共にそう言われ、ドヤール家の前当主の冷えた視線を思い出し、嫌な汗が背中を流れた。
「あの、トーリ様。誕生会で、サラナ様が一度退室されて、トーリ様の贈られたブローチを身に着けていらっしゃったそうですが……」
義姉が、ためらいがちに話し始める。その言葉に、俺はハッと、胸に希望が灯ったような気持ちになった。
「は、はい!サラナ嬢が一度退室され、装いを改められた時に、確かに胸元に、俺の贈ったブローチを身に着けていました。だから、少しでも喜んでくださっているのではと!」
あの美しいブローチを受け取って、サラナ嬢は本当に嬉しそうだったのだ。あの可憐で可愛らしい笑みを思い出す度、胸が早鐘の様に打つのだ。
俺の勢い込んでいった言葉に、義姉は、ためらう様に兄を見た。
「いい。こいつにもきちんと意味を教えてやらんと。勘違いしたまま、浮かれていても困る」
義姉の視線を受け、兄が苦笑して頷く。今のやり取りからして、嫌な予感しかしない。
「その。誕生会に出席した私の友人から、お聞きしたのですけど。サラナ様が、再度、会場に入室なさった際、お誕生会で贈られた装飾品を、全て身に着けていらっしゃったとか。つまり、『皆様から贈られた装飾品は、全て気に入りました』という事を示していらっしゃるので。『トーリ様だけが特別ではない』という、意味になります……」
「は……?」
俺はサラナ嬢のあの時の装いを思い出した。確かに、俺の贈ったブローチを胸元に着けていた。そして、結い直された髪には、三連の真珠の髪飾り。あれは、当主夫人の姉から贈られたと言っていた。艶やかな黒髪に映えるその美しい海の宝石を見て、彼女には真珠も似合うと思ったのだ。
そして、腰に巻かれたサッシュリボン。鮮やかな羽で飾られたそれは、どちらかというと大人しめな彼女のドレスのアクセントになっていて、思わず目を惹かれたものだ。あれも、たしか『伯父様と伯母様から頂きました』と嬉しそうにしていた。
それ以外の招待客からの贈物は、美しい花や、高価なお菓子や文具だった。未婚の令嬢へ装飾品を贈るのは、身内や、ごく親しい者だけなのが通例だ。俺はあえて、『ごく親しい者になりたい』という意味を込めて、装飾品を贈ったのだが。
「で、では、あの、ブローチは……」
「『贈物の一つとして、感謝しています』という事ですね……。頂いたものを全て身に着けても、決して華美にはならず、上品でお美しかったと、友人は褒めておりましたわ」
確かに、沢山の装飾品を身に纏っていても、少しもうるさく感じなかった。全てがサラナ嬢の美しさを引き立てていた。髪型や羽織りなどで調整したのだろうが、あれほど上手く調和させるとは。あの一瞬の退出の間、舞台裏でどれほどの苦労があったのか。
「見事なドヤール側の牽制だな。お前、歯牙にもかけられていないぞ」
こちらを思いやって言葉を選んでくれる義姉に比べ、実の兄は容赦がない。だが、それぐらいの失態をやらかしているという事だろう。
「それと『頂いた装飾品をその場で身に着ける』という事は、男性から『装飾品を着けた貴女をお誘いしたい』というお申し出を、前もってお断りする手段です。『貴方とのデートはお断りです』という意味です」
前言撤回だ。義姉も容赦がなかった。そこまできっぱり意思表示をされるなんて、どれだけ嫌われているのだという呆れた視線が、身体に突き刺さる様だ。
俺は目の前が真っ暗になる様だった。あの誕生会で、サラナ嬢の気持ちは、はっきり示されていたということか。ああ、でも。
「諦めたくない……」
ぽつりとつぶやく俺の言葉に、兄と義姉は、顔を見合わせる。
「エルストからは、大まかな話しか聞いとらんが、お前、一体、何をやらかしたんだ?」
兄に促され、俺は途切れがちに誕生会での出来事を語った。話す間も、あの時感じた後悔が、胸を突き刺した。
全てを話し終えると、兄と義姉は「あーあ」という顔をしていた。
「うーん、普通ならなぁ。何とか挽回出来そうな気はするのだが……」
「えぇ。しかし、サラナ嬢の場合は、難しいかもしれません。ご本人様のお気持ちもありましょうが、どうしてこれほどドヤール家側の警戒心が高くなったのか、理解出来ました」
兄と義姉は頷き合い、揃って俺に同情の眼差しを向けてきた。どういう意味だ?
「俺達にとって、お前の誕生会での言動は、単にお前がこれまで女性と真摯に向き合った事がない故、思慮が大幅に足りなかっただけで、悪気など無かったと言うのは分かるのだがな。ドヤール家は、ゴルダ王国の二の舞になる事を恐れたのだろう」
「ゴルダ王国の、ですか?」
「あぁ。お前、彼の国でのサラナ嬢の事を、どれぐらい知っている?」
「第二王子の婚約者として『完璧な淑女』と呼ばれながらも、王子からは疎んじられ、周りからも評価されていなかったと。そして、第二王子が聖女を寵愛し、婚約破棄に……」
「それだけではない。サラナ嬢はその優秀さ故、妃教育の傍ら、王妃や王子の政務の一部を担っていた様だ」
「はっ?」
サラナ嬢は現在14歳。ゴルダ王国にいた頃はまだ13歳だ。成人もしていないのに、王族の政務を担っていた?どういう事だ?
義姉上が兄と婚約していた時、公式な夜会等で兄のパートナーを務めていたが、政務を行う事はなかった。兄の正妃として嫁ぐまでは、あくまで、一貴族家の令嬢でしかないのだから。
「サラナ嬢は語学が苦手な王妃や王子の代わりに、他国の重鎮を招いた夜会や晩餐会の通訳だけでなく、その準備も多く担っていた様だな。他国のマナーや文化に造詣が深く、来賓達からの評判も良かった。我が国の大使も、彼の国でのサラナ嬢をよく覚えていたよ。成人前の令嬢とは思えぬ程洗練された所作で、もてなしも完璧だったと。使用人達や文官たちも、彼女の指示の下、素晴らしい働きをしていたそうだ」
俺は自分の13歳の頃を思い出していた。王族の一員として、政務を担うのは当然だったが、その時は必ず兄や義姉が後ろ盾となり、文官達が手助けしてくれていた。俺の行動一つで我が国の落ち度となるかもしれないのだ。優秀な者を周りに備え、万全の体制を整えてようやく、政務に携わる事が出来たのだ。
それでも、初めの内は、成人前の未熟な俺に出来ることなど、彼らの整えてくれるものを見て覚えて、必死に学ぶぐらいだったと言うのに。使用人たちや文官たちを、指示していただと?
「お前にはその異常さが分かるだろう。俺もこれを聞いた時は身震いがしたわ。他国の来賓を招いての正式な場を、わずか10を過ぎた王族でもない娘が取り仕切るなど。少しでも作法を違えたり、言質を取られる様な事があれば、国同士の争いの種にもなりかねん。それがどれ程の重圧か、想像に難くない」
サラナ嬢の穏やかな笑顔が思い浮かんだ。
いつもの、柔らかな笑顔で、煌びやかな夜会に一人、堂々と立っている。まだ幼いその姿が、夜会に在るだけでも異質だというのに。怖くなかったはずがない。どれ程重い責任が、その細い肩に伸し掛かっていたのか。それが理解出来ぬ程、彼女は愚かではない。
その周りには、誰か、彼女の助けとなる者はいたのだろうか。
彼女の婚約者は。王子として、真にその責務を果たすべきだった男は、彼女に寄り添っていたのか。
……寄り添っていたのなら、彼女があの国で『王子に愛されない婚約者』などと、軽んじられる筈がない。彼女は、たった一人で、立ち向かっていたのか。
「サラナ嬢は、確かに王家に嫁するに値する、逸材であろうよ。だがなぁ、もしも我が国が、彼の国と同じ様に、彼女の優秀さを利用しようとすれば、彼女の家族は、特に父親は、黙ってはおるまい。娘の為に、爵位も領地も国も捨てる男だぞ。あっという間に国外に逃げられてしまうわ」
サラナ嬢の父、セルト・キンジェ・ラカロ。どこかサラナ嬢と似ている、柔和な笑顔が絶えぬ男だ。だが、あの笑顔の下には、強かな獣が隠れている。娘の為ならば、相手が誰であろうと、狡猾に立ち回りその牙を剥くだろう。
「それになぁ。我が国の英雄バッシュ・ドヤールが殊の外、サラナ嬢を可愛がっていると聞いているぞ。その息子のジークも同様にな。トーリ。あの二人を敵に回す事は、絶対に許さんぞ。ドヤール家が万が一我が国から離反するような事があれば、我が国の戦力が半減すると思え」
ドヤール家の前当主バッシュ・ドヤール、そして現当主であるジーク・ドヤール。この二人に関していえば、ラカロ卿よりも明け透けだった。俺がサラナ嬢に近付くだけで、分かり易く敵意を漲らせていた。
つまり、兄は王命で俺とサラナ嬢との縁を繋ぐ事は無いと言っているのだ。ドヤール家の離反という国の存続に関わる事と、俺の身勝手な恋心。どちらに天秤が傾くか。王ならば当然の判断だ。そして俺自身にも、王族の権威を以て、無理やりサラナ嬢に迫るような真似をするなと、釘を刺している。
俺は、頷く事しか出来なかった。どれほど俺が彼女を想っていても、それは、許されない事なのだろう。
「まぁ、それはともかくな。シャンジャの話は聞いているか?」
俺は落ち込む気持ちを押し込めて、のそのそと顔を上げた。
シャンジャで始まった画期的な輸送船。通称ルイカー船。大型船への対応策として、今一番注目を集めているものだ。輸送だけでなく、遊覧船としても素晴らしいと、早くも貴族の間で噂になっていた。領地に港を持つ貴族たちは、それこそ目の色を変えて、シャンジャに殺到しているという。
「此度のシャンジャの件だけでなく、サラナ嬢の功績は大きい。それでな、彼女に褒美を授けようと思っている」
「褒美……ですか?」
「ああ。サラナ嬢がラカロ家を継ぐことになるのなら、ラカロ男爵家の陞爵か、それとも新たな爵位を授けるか。まぁ、そこはドヤール家との相談だな。あの家は権威に興味がないから、いつも褒美に困るんだよなぁ。爵位や領地を望んでくれれば、楽なんだがなぁ……。それとな、サラナ嬢の後ろ盾になってもいいと思っている」
「後ろ盾……」
「サラナ嬢の功績が大きい分、余計な事を考える輩が増えそうでな。国内ならば、ドヤール家に歯向かう者はそうそうおらんと思うが。彼の国では、第二王子とその妻である聖女の不仲が、日に日に深刻化している様だ。政務をサラナ嬢に頼っていた分のしわ寄せもあるのだろう。厚顔無恥にも、サラナ嬢を返せなどと言ってくる可能性もあるからなぁ」
兄はそこで、すっとぼけた笑みを浮かべた。
「本来ならなぁ。サラナ嬢が良き伴侶を得ていれば、流石に彼の国も、サラナ嬢を第二王子の元に嫁がせろなどと言えんだろうが。どこかに良い相手はおらんかなぁ。彼の国にも文句を言わせないような度量があり、ドヤール家にも認められ、サラナ嬢の心を掴めるような、気概のある男が」
そう言って、兄が見せてくれたのは、ドヤール家への謁見の命だった。期日は明日になっていた。
「久々の再会であろう?このまま諦めろと言っても、お前も治まらんだろう。せいぜい、サラナ嬢の心を掴めるように、足掻いてみせよ。見事に振られたら、酔いつぶれるまで付き合ってやるわ」
兄の笑顔は、俺が当然に振られるだろうと言わんばかりの、清々しいものだった。
「……彼女の信頼は、必ず取り戻してみせます」
力は貸さないが、応援はしているという、兄なりのエールなのは理解しているが。それでもそのニヤニヤ笑いには腹は立った。
だが、そんな事よりも。久々に、サラナ嬢に会えるのだ。俺は心が、浮き立つのを感じた。
会えない日々、彼女を想わぬ日はなかった。心無い言葉で傷つけてしまい、謝罪することもできず、心に大きな楔が刺さった様な毎日だった。
きっと。俺の心を、余す事なく伝えることが出来れば。聡く賢いサラナ嬢は、応えてくれるだろう。
王族に嫁ぐ事は、以前の様に、再び、重責を担う立場になるという事だ。それを彼女に強いるのは、心苦しかった。だが。それでも、彼女と共に在りたい。彼女が弱音を吐きたいというのなら、自分は受け止められる度量もあるつもりだ。
俺は、この時まで、本気でそう思っていた。サラナ嬢の心を掴み、彼女が俺の妻になるであろうと。自分こそが、彼女の最大の理解者であり、庇護者になれると。
だが俺のそんな驕った考えは、ある男を知る事で、どれほど独りよがりなものだったかを、思い知らされる事になった。
地位も、身分も、財産も。俺は奴よりもはるかに恵まれているというのに。
彼女の幸せを願うという一点で、奴に勝つことは出来ないのだと。俺は、思い知らされたのだった。
★書籍化作品「追放聖女の勝ち上がりライフ」
★「平凡な令嬢 エリス・ラースの日常」(完結済)
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