3 バッシュとジーク
鋭い剣の一振りが、狼の魔物の首を落とす。
「今ので終わりだな、もう気配はない」
剣の血を拭ったワシに、息子のジークはもはや説教も口にするのを諦めた様だ。
「はあー、親父。いつまで現役のつもりだ?」
「まだまだまだまだ、若い者には負けん」
「勝とうとも思わないけどな。最近、ヤケにやる気だよなぁ。……あぁ、サラナちゃんか」
「ふっふっ。ワシが獲物を持って帰ると、凄い凄いと目を輝かせるからのぅ。あの娘はドレスも宝石もあんまり欲しがらんし。これぐらいしか喜ばせる事が出来ん」
最近のサラナは、魔物から採れる魔石に興味津々だ。旨味の多い魔物の肉も、喜んでくれる。
「初めは王都育ちのお嬢様だから、こっちの空気に合うか心配していたが、すっかり馴染んだよなぁ」
「ふ、ふふ。鍬を持って畑を耕すと言った時は焦ったぞ。あの小さな白い手が、豆だらけになるところだった」
「馬に乗るのも上手くなったよなぁ」
「1教えれば10覚える娘よ。早くワシと遠乗りに行きたいと、頑張ってくれててのぅ」
「書類仕事中に、お菓子を焼いて持ってきてくれるし。それがまた、食べた事ないものだし、美味いし」
「娘とはまた違った良さがある。孫娘というものは、何をしても可愛いもんだなぁ」
最近のジークとの会話は、孫娘のサラナの事が殆どを占めている。ジークにとっては姪だが、実の娘同然に可愛がっていた。
「セルト殿の仕事熱心さにも助けられる。今期は既に税に関する報告は出来上がったぞ」
「なにっ?!あの報告書がもう出来たのか?」
「ああ、さすが優秀さで評判のキンジェ領の元領主。複雑な計算も我が国の法もサラサラとこなして、報告書の書式を分かりやすく変えてくれた。お陰でこの俺でさえ、我が領の正確な税収や収穫高を理解したぞ」
「いや、ジーク。お前はワシに似て書類仕事や数字が苦手だったのは知っているが、ワシは少なくとも税収や収穫高くらいは理解しておったぞ」
「いやいや、セルト殿は各地方の収穫高や税収、豊作不作の原因、来期の予想まで作成してくれてな。どこをどう改良するかの検討も出来ているんだ。いつもは揉める各地の村長や代官たちも、この資料のおかげで会合でもさほど揉めずに終わった」
「ほう…」
各地方の村長達との会合は、揉めるのが常だった。どこも次の予算を自分たちの所に多く振って欲しいと主張してくるのだ。それを資料一つで黙らせるとは。
「ふうむ。キンジェ領のような不毛の領地が保っていたのも、セルト殿のおかげかもなぁ」
娘カーナがユルク王国へ留学中のセルトと恋に落ち、嫁いだのはもう十数年も前の話だ。その時のセルトの印象は、大人しく実直な好青年というだけだった。同じく大人しい性質のカーナには似合いだったため、結婚を許した。カーナから偶に届く手紙には、家族への愛が溢れていた。倹しくても実直な夫と可愛い娘に囲まれて、幸せそうだった。
そこに翳りが見え始めたのは、孫娘のサラナが第二王子の婚約者に選ばれた頃からだった。手紙には、娘が王子妃に選ばれた事の喜びはなく、過酷な王子妃教育を課される娘への心配と、他家からのやっかみや嫌がらせに苦悩する日々が綴られる様になった。身分がそれほど高くないセルトたちが、サラナを守る盾になる事は難しかった。当のサラナは気丈に王子妃教育をこなし、嫌がらせなども気にしていなかった様だが、後ろ盾もなく、まだ幼い娘には過酷な環境だろう。生まれた時に一度しか会った事のない孫娘の事が、心配でならなかった。
しかもその生活は第二王子との婚約解消と言う形で、唐突に終わりを告げた。厳しい王子妃教育や、他家からの嫌がらせに耐えた末のこの仕打ち。ジークに止められなければ、ワシは剣を持ってゴルダ王国に乗り込んでいただろう。しかもゴルダ王国は、サラナが病弱で子が産めぬと言う事実無根の婚約解消理由をでっち上げた。これでサラナの次の婚約者探しは絶望的だ。子がいらぬと言う年上の貴族の後妻か、商家の愛人ぐらいしか貰い手は望めない。サラナに何の恨みがあっての仕打ちなのか。
ワシが示唆するより早く、ジークはカーナに家族を連れてユルク王国に戻る様、手紙を書いていた。他家からの心無い中傷や、身内からの圧に疲れ果てていたセルトとカーナが、ユルク王国に移住する事を了承してくれて、心の底からホッとした。セルトとカーナに再会した時の憔悴ぶりは、見ていられぬ程だったが、サラナの存在が何よりの救いになった。
赤ん坊だったサラナは、小さくて可愛らしい淑女に成長していた。久しぶりの対面に緊張した面持ちで挨拶をしていたが、すぐにお祖父様、お祖父様と慕ってくれて、孫娘の破壊力に日々癒されている。可愛らしくクルクルと表情が変わるが、思慮深く時に驚く事をしでかすサラナに、毎日、楽しく振り回されている。
「ヤンマの日誌には驚いたなぁ」
「ヤンマ本人が一番驚いていたぞ」
前モリーグ村の村長であるヤンマが書いていた農作物日誌。それが、今年の大雪の予想を導き出した。毎日何気なく書いていた日誌が、こんなに役に立つなんてと、ヤンマはサラナの慧眼に最早、崇拝する勢いだ。
「怪我による引退でくさっていたヤンマが、今じゃ張り切って日誌をまとめているからな。サラナからの助言で、周辺の村から同じような日誌をつけている者に記録を貸してもらい、地域毎の違いも研究を始めたらしいぞ」
「もとは暇潰しに始めた事なのに、今じゃ国も注目しているからな。今年は大雪の予想が出ているからな」
サラナからの進言を受け、ジークはセルトとも相談して、日誌の記録をまとめたものをユルク王国に報告していた。季節はまだ秋に入ったばかりで、大雪の予想はまだ実証されていないが、小麦の病気や対策についてまとめた記録は、大いに評価されていた。国の研究機関でも、検証されていると言う。周辺地域の更なる資料を集め研究を続けていると報告した所、なんと、研究費も貰える事になった。国から派遣された文官が数名、ヤンマの作業を手伝うようになった。
「初めはサラナがヤンマに手間賃を払っていたと聞いて、驚いたぞ」
「婚約解消の慰謝料の管理を、サラナに任せているとセルト殿に聞いた時は耳を疑ったな」
サラナは第二王子との婚約解消で、口止め料を含んだ高額な慰謝料を受け取っている。通常、未成年であるサラナの財産の管理は父親のセルトが行うが、セルトは初めから全額をサラナの管理下に置いていると言う。セルト曰く「サラナならば大丈夫」と。使い慣れぬ大金を子どもに持たせる事に、セルトは何の躊躇いもないようだった。サラナはサラナで、その金を散財する事もなく、商業ギルドに作った口座に全額入れており、ヤンマへの手間賃もここから払われていたのだ。若い娘の好みそうなドレスや宝飾品などで散財した事は一度もないらしい。
「これを作ったのも、サラナだからな」
ワシは腰に下げた水筒を開け、中の水を一口飲んだ。ヒヤリとした冷たい水が喉を潤す。軽い金属製の円筒形をした、変わった水筒だ。魔物狩りに行くワシに、サラナがプレゼントしてくれたものだが、水筒の表面にはドヤール家の家紋が彫られている。冷たいものは冷たいまま、温かいものは温かいまま保存出来る優れものだ。魔法かと聞いたら、中が金属の二重構造になっていて、温度を保つ事が出来るらしい。仕組みを聞いたが、ワシにはサッパリ分からんかった。魔石で湯を沸かしたり、冷水を作ることが出来る、同じ構造のポットは、ドヤール家では既に必需品だ。手軽にお湯が沸かせて、冷めにくいと侍女達に頗る好評なのだ。他の家でも欲しがるに違いない。
村の鍛冶屋と細工職人に依頼して作ったこの水筒の構造は、商業ギルドで利益登録をしており、何件か商会から販売についての打診がきた。サラナはセルトと相談して、アルト商会という新参の商会と契約をしていた。大商会を差し置き、新参で、実績の乏しいアルト商会を選んだ決め手は、商会長の人柄が誠実で、まだ商売の規模が小さく小回りが利き、こちらの要望にも柔軟に応えてくれるからだそうだ。これは商会との面談にも同席した、サラナの意見である。本当に13歳の子どもの意見かと、ギョッとしたものだ。
「その商会を巻き込んで、また何か考えているぞ」
「んんっ?またか?」
「あぁ。セルト殿がサラナがまた何か作っていると言ってたからな。あの娘はちっとも大人しくしていないな」
笑うジークをワシは睨みつけた。サラナがまた忙しくなったら、ワシと遊んでくれないじゃないか。
「おい、ジーク。早く戻ろう。今日こそはサラナとお茶をするんだ」
「はいはい」
盛大に吹き出しながら、ジークが魔物の死骸を荷台に積み込んだ。これだけ土産を持って帰れば、サラナが喜ぶ事間違いなしだ。
「まったく。伝説の騎士と呼ばれた親父が、骨抜きじゃないか」
「ふんっ!お前こそ」
ワシらはお互い罵り合いながら、家路を急いだ。可愛いサラナの喜ぶ顔を想像しながら。
書籍化作品
「追放聖女の勝ち上がりライフ」も連載しております。ご一緒にいかがでしょうか。