24 サラナちゃんお誕生会 さん
エスコートが変わりました、サラナ・キンジェです、ご機嫌よう。
あの後。
私の元に戻られた王弟殿下は、お祖父様にエスコートされている私を見て、硬直した。
「ワシは妻に先立たれ、エスコートする相手もおらんからのぉ。サラナも、こんな爺さんより王弟殿下の方が嬉しいだろうが、お忙しい王弟殿下の手を、いつまでも煩わせるのも申し訳ない。可愛い孫のエスコートを、譲って下され」
飄々とそう言って私を連れて歩くお祖父様。
「いや、私はっ、忙しくなどとっ」
「先程サラナは可愛らしいお嬢さん方に囲まれておってなぁ。王弟殿下のエスコートなど分不相応だと叱られてしまったのだ。確かに、我が孫娘は男爵家の娘。尊き王弟殿下のエスコートを受けられる身分では無いわ。身内の集まりの様な小規模なパーティーだからと気軽な気持ちであったが、認識が甘かった。ご容赦くだされ」
ジロリと王弟殿下を一瞥して背を向けるお祖父様。その顔は厄介事に私を巻き込むなと言いたげだった。
「サラナ嬢、そんな事があったのか?」
「ええ。ですが皆様にキチンとご説明いたしましたら、ご納得頂けたようですわ」
ホホホと笑えば、王弟殿下の眼がキラリと光る。
「そうか。流石、サラナ嬢だな。まあ、君の様な才女ならば、そこらの令嬢に何を言われたところで、平気だろう」
王弟殿下の言葉に、私の胸はツキンと痛んだ。どうしようもない、諦めに似た感情に支配される。
「ええ……。まぁ、そうですわね」
歯切れ悪く答える私に、トーリ殿下は不思議そうな顔をしている。私は反射的に、作り笑いを浮かべた。
あれぐらいの嫌味や揉め事なら、前世でも数えきれないぐらい、遭遇しましたし。
受け流したり、時には真っ向から対応したりと。その時々によって、対応の仕方を変えて、何とかこなしていましたけど。
前世では長女として生まれて。親からは子どもとして甘える事より、より下の弟妹達の姉としての役割を強く求められて。頼りにされるのが当たり前で、長じてからもその性根は抜けなくて。
しっかりしているとか、これなら僕も何の心配もせずに仕事に打ち込めるとか、初めは好意的に受け止めてくれた恋人達は、段々と君は一人で大丈夫だとか、僕が居なくても平気だろうとか、甘えられなくて寂しかったんだとか言い出して。結局、人生の伴侶には守ってあげたくなるか弱い人や、甘え上手な人を選んでいた。
好きで強くなったわけでは無いし、そう無理して振る舞っていたら、周りからそう見られるようになっていって。
今更甘え方も分からなくて、置いていかれても、縋り方も知らなかった。
ただ私だって守られたかった。疲れたと、怖かったと弱音を吐きたかった。無理をするなとか、もう大丈夫だと言われて、何も心配せずに身を委ねてみたかった。無条件に甘えられる場所が欲しかった。
でも今更、この性格も生き方も改めるなんて出来なくて。弱々しくて頼りないふりなんて出来なくて。
結局私は。誰かに頼られて利用されて、いつも最後は選ばれない、そんな人生を送るしかないのかしら。
前世みたいに、一人で生きていける、楽しいわと言いながら、将来の孤独に怯えながら生きていくのかしら。
「その言葉が本心ならば、二度とサラナのエスコートはお断りいたします、王弟殿下」
そんな私のどうしようもない思考は、お祖父様の冷えた声で遮断された。
「……平気であるはずがなかろう」
柔らかく私を支えるお祖父様の手は、冷えた身体に染み入るほど温かい。労わる様に肩を撫でられ、知らずに入っていた力が抜けた。
お若い王弟殿下は、突然のお祖父様の怒りに、理由が分からなくて、ポカンとしている。
無表情に、巌のような硬さで傍に立つお祖父様を見て、私はフッと頬を緩めた。
嫌だわ、私、馬鹿ね。
こんなにも全力で守られている事に、気付かないなんて。
お祖父様だけじゃないわ。伯父様も、伯母様も、お父様も、お母様も。
私がやる事に一度だって反対した事はないし、全力でフォローしてくれるし、失敗しても笑い飛ばして下さって、悪意からは一丸となって守ってくださるじゃない。
私、ちゃんと、手に入れていたじゃない。無条件に甘えられる場所を。前世では得られなかった、溢れるような溺愛を受けていたわ。
「お祖父様」
見上げたお祖父様の瞳に、呆れるぐらい過保護な色が浮かんでいるのを見て、私は甘える様に寄り添った。
「ずっと見ていてくださって、嬉しいわ」
お祖父様は私の言葉に、ちょっとドキドキする様な、ワイルドな笑みを浮かべる。
「ワシら騎士からすれば、お前はか弱き女だ。ワシの全てで、お前を守ろう」
キュン。
まぁぁぁぁ。お祖父様ったら。素直になれない強がり女子に、なんて殺し文句を。
「やっぱり、格好良いですわ、お祖父様」
「はっはっはっはっ」
お祖父様の腕にギュウと抱きつけば、お祖父様は先程の不機嫌はどこへやら。豪快に笑った。
「王弟殿下。やはりエスコートは、あらぬ誤解を受けてしまいますから、ご遠慮申し上げますわ」
「サ、サラナ嬢」
「王弟殿下の大事な方にも、誤解させてしまっては申し訳ありませんもの」
露払いぐらい自分で出来なくては、伯父様に振り向いてもらう事なんて出来ないわよねぇ。いや多分、振り向く事はないと思うけど。伯父様への叶わぬ恋に同情しすぎて、甘やかしちゃったわ。
「ほう。王弟殿下には意中の方がいらしたか。それならば、他にかまけずにその方を大事になされ」
「な、何の事だ?私にはそんな人……」
王弟殿下がチラチラと私を見ながら、顔を赤らめる。いや、チラチラ見られても、もう隠れ蓑にはなりませんよ。
今までのように、都合よく利用されるのはもう嫌だわ。私のためだけでなく、私の事を大事に思って下さる人の為に、自分の事を大事にしたい。
私は扇子で口元を隠し、ニッコリと笑った。
「本日はご参加頂きまして、嬉しゅうございましたわ。どうぞ、ご存分に、お楽しみくださいませ」
◇◇◇
「ふっふっふっ。振られてしまいましたなぁ、トーリ殿下」
呆然と離れていくサラナ嬢の後ろ姿を見つめていたトーリに、ニヤニヤしながら宰相のエルストが近づいてきた。
「ふ、振られた?」
トーリは狼狽えた。花も贈り物も、慎重に選んで完璧な筈だった。途中までは、喜んでいてくれてたのに。
だが、サラナに、はっきりとエスコートを断られた。素直な、可愛らしい笑みではなく、貼り付けたような、作り笑いに変わっていた。一時、側を離れた間に、一体何があったのか。パーティに出席している令嬢達との間で何やらあったらしいが、それは問題なく解決したと言っていたのに。
「あー、あのですなぁ。トーリ殿下」
余りにショックの大きいトーリを、流石に見てられなかったのか、エルストは口を開いた。
「こういった社交の場で、あの程度のやり取りは日常茶飯事。サラナ嬢はお若くていらっしゃるが、さすがはゴルダ王国で『完璧な淑女』と呼ばれただけはある、見事な場の収め方をしていらっしゃった」
エルストはトーリや息子のレックと歓談中だったが、サラナ達の揉め事にも気付いていたらしい。どういう耳をしているのかと驚いたが、この老獪な宰相なら、それぐらいは朝飯前なのだろう。トーリは、全く気付けなかった事に、恥ずかしくなった。
「私が気付いていたら、令嬢達を止められたのに……」
「ああ、いや。そうではない。そうではないですぞ」
落ち込むトーリに、解答を間違えた生徒を正す様に、エルストは首を振った。
「あれぐらいは、サラナ嬢は自分であしらえるのですよ、トーリ殿下。あれぐらいの些事は、高位貴族の令嬢ならば、あしらえて当然なのです。そうでなければ、社交界を渡ってはいけない」
「だったら、何故」
「……ワシの妻は、侯爵家の妻として、それはもう、強いのですよ」
エルストは突然、声を潜めるようにして、トーリに囁いた。
「は?」
エルストの妻で、レックの母親である侯爵夫人は、社交界で密かに女帝と呼ばれている。トーリの義姉である王妃の懐刀にして、現宰相の妻。楚々とした見た目とは裏腹に、敵に回せば恐ろしい女性だ。
「妻は大抵の事ならば、己で解決してくれます。お陰で、私は些事に惑わされる事なく、宰相として、領主として働けるわけです」
「そ、そうであろうな」
突然、何の話だと、トーリは曖昧に頷く。今はエルストの妻の話より、サラナの事に集中したかった。
「ですが、いくら強く完璧でも、妻も一人の人間です。悪意に晒されたり、諍いに巻き込まれたりすれば、心細くなる。誰かに、寄りかかりたくなる。しかし、そんな心の内は微塵も外に出さず、凛として立たねばならぬ立場です。妻が傷付いた心を曝け出せるのは、夫たる私の前だけなのです」
トーリはエルストを見つめた。漸く、彼の言わんとしている事を理解出来た。
「強く、賢く、気高くある事を、伴侶たる女性に求めるのは構いません。だが、同時にそれは彼女達の矜持によって保たれているのだと、ご理解下さい。そして、それを当たり前と思わず、常に感謝と気遣いを。そうでなければ、夫婦など成り立ちませぬ」
エルストの言葉に、トーリは漸く合点がいった。
前ドヤール卿、冷えた怒りと、排除。
そして、サラナの、あの表情の変化。諦めとも、哀惜ともとれる表情をほんの一瞬浮かべた後、完璧なまでに上辺だけの笑みにすり替わった。
失望されたのだ。あの一瞬で。
側近達は、ゴルダ王国でのサラナの事を、詳しく調べていた。
幼くして『完璧な淑女』と称される才女。王子妃教育も前倒しで修了した逸材。
だが、サラナはゴルダ王国の王子妃として、尊ばれてはいなかった。婚約者であるミハイルがサラナを軽んじていたからだ。婚約者としての最低限の関わりすら持たず、それを隠しもしなかった。
サラナはそんな状態だったにも関わらず、茶会などでは王子の婚約者としての嫉妬と、王子に顧みられないお飾りと、嘲笑に晒されていた。そんなサラナを、王子は守る事も労わる事も、一度もなかったのだろう。
あの一瞬に垣間見えた表情は、そんなサラナの心の奥底だったのではないだろうか。誰にも守ってもらえないのだという、絶望と諦めだったのでは。
そして、そんなサラナの心を救ったのは、前ドヤール卿だ。トーリに怒りを表した一言。その言葉は、限りなくサラナの心に寄り添っていた。
トーリは片手で目を覆い、自分の失態に打ち震えた。
令嬢達に何を言われたところで、平気だろうなどと。自分よりも高位の令嬢達に囲まれて、緊張し、気疲れしたであろうサラナに、一人で大丈夫だろうなどと。突き放す様な言葉ではないか。あの時、一番言ってはいけない台詞だ。
「知者の言葉は、千金に値するな……」
「ふっふっふっ。トーリ殿下はまだまだお若い。色々と、偏る事なく精進なされよ」
女心に疎い事を婉曲に指摘され、トーリは声にならないうめき声を上げた。
聡く、賢く、思いも付かない発想力と、それを実現する実行力。そんな所に惹かれ、妃にしたいと望んだ人だったが。
垣間見えた思い掛けぬ脆さに、愛しさが募るなどと、誰が想像しただろうか。
ますます、サラナという女性に惹かれていく自分に、戸惑いを隠せないトーリだった。
書籍化作品
「追放聖女の勝ち上がりライフ」も連載しております。ご一緒にいかがでしょうか。