2 初めまして、ユルク王国
隣国ユルク王国の伯父様が治めるドヤール領に辿り着いたサラナ・キンジェです、ご機嫌よう。
もしかして厄介者扱いされるかも、と疑心暗鬼でやって来た私でしたが、土下座して謝ります。伯父様一家、神様でした。
「お初にお目にかかります、お祖父様、伯父様」
正確には私が生まれたばかりの頃に一度お会いした事があるらしいのだが。赤子の頃の記憶は流石にないから、初めましてでもいいだろう。緊張しながら挨拶をした所、ドヤール領の領主ジーク・ドヤール伯父様以下、ご家族様からの熱烈ハグを頂きました。「可愛い〜」の大合唱とともに。やだ、大歓迎。
そして、伯父様は領主館の隣に、私達の住むこぢんまりとした一軒家を準備してくださっていました。使用人付き。なんですか、優しさの塊ですか?
伯父様一家はジーク伯父様、ミシェル伯母様夫婦と息子が2人、そして引退したバッシュお祖父様。お祖母様は随分前に亡くなっている。息子達は普段は学園の寮で暮らしているので会えなかったけど、長期休みには帰ってくるとのこと。可愛い妹が出来るって、サラナちゃんに会うのを楽しみにしてるのよー、とは伯母様の弁。
懸念事項だったお父様のお仕事も、伯父様の補佐役として即採用。チラリと見た伯父様の執務室の中には、書類の山が3つ、うん?4つ?いや、5つ……。領主の仕事って、あんなに溜めて大丈夫なのかしら。
伯父様は外で働く仕事や交渉は得意だけど書類仕事は苦手とのこと。コツコツ書類仕事が得意で社交が苦手なお父様は、伯父様にとってピッタリな補佐ですね。お父様は腕まくりして書類の山を捌いている。アレぐらいの量なら、お父様なら瞬殺でしょう。
伯母様とお母様は幼馴染な事もあり、娘時代に戻った様だとキャッキャと楽しそう。お母様が外国に嫁いでなかなか会えず、寂しかったのだとか。領主夫人としての仕事も手伝って貰えるわーと嬉しそう。良かったですね。
「サラナや。今日は白のリボンかぁ。可愛いのぅ」
デレデレというか、デロデロに溶けた笑顔なのは、お祖父様。伯父様に領主の地位を譲り、隠居の身とは思えぬほど矍鑠としているお祖父様だが、唯一の女孫である私にはデロ甘い。
「サラナはカーナの小さい頃にそっくりじゃ」
そう言って、ドレスは欲しくないか、宝石は、お菓子はと、隙あらば貢ごうとしてくる。もう13歳の私の頭を撫でては相好を崩している。お祖父様は大変な孫バカだった。伯父様も伯母様もお父様もお母様も、お祖父様の散財を止めてくれない。ダメですよ、孫を甘やかしすぎると三文安です。
それよりも、私、焦っています。お父様もお母様もドヤール家での役割があるけど、私は学園に行くには2年早く、この年頃の令嬢なら自宅で家庭教師から勉強を学ぶのだが、王子妃教育の賜物でその必要がない。社交デビューにも早いので、夜会などの参加もまだ。やる事が無い。ぶっちゃけ暇です。ニートです。お荷物です。
お父様のお仕事の手伝いも、繁忙期ではないので断られ、お母様には刺繍でもしたらと言われてチクチクしてましたが、飽きました。毎日刺繍か読書かお祖父様に愛でられるか。非生産活動ばかり。畑とか耕しちゃダメかな。はい、貴族令嬢なのでダメでした。ですよねー。
読書も、本より剣を振る方が好きな伯父様の、必要最小限に抑えた本棚は制覇した。本が少ないよー。伯母様の本棚には恋愛小説が多い。それも読み尽くした。お兄様達?本棚自体が部屋になかったわよ?学生でそれはどうだろう。大丈夫なのか?小さな村なので、本は王都に行った時ぐらいしか買えないらしい。ぐう、ドレスより本がいい。
という訳で、暇な私は領主館のある村の中を散策するのが日課になった。令嬢なので侍女と護衛付けられたが、村中が皆顔見知りで、見知らぬ人物が村の中を歩くだけで噂になる様な環境で必要なのかは疑問だ。
高貴な令嬢は侍女を通して平民と会話をするらしい。村の人は初めは見知らぬ私の姿に警戒していたが、最近は慣れたのかめっちゃフレンドリーに「あ、サラナ様、おはようー」とか声をかけてくるし、私も気楽に返事をしている。いるかなぁ、侍女と護衛。他の仕事をした方が有益じゃない?
領主館のあるモリーグ村はなかなか大きな村だが、畑ばかりで長閑な所だ。ドヤール領内では港町シャンジャが一番栄えていて、王都にも劣らぬ華やかさらしいが、ドヤール領主は魔物が多いこの村に代々住むのだという。伯父様一家はゴリゴリの武闘家一家だ。ただの伯爵家だと思っていたら、辺境伯だったよ。魔物が出たら領主自ら瞬殺だってさ、怖ー。
「しかしお嬢様は毎日毎日飽きないねぇ。それのどこが面白いのかね」
村特産のモリーグ茶を淹れてくれながら、どこか面白がっているのは前村長のヤンマさん。私が読んでいるのはモリーグ村の村長が代々引き継いでいるという日誌だ。
「面白いわぁ。モリーグ村の事がよく分かるもの」
活字に飢えていた私は、モリーグ村の歴史とも言える日誌を読み込んでいた。主な記録はモリーグ村で作られる小麦の農作日誌なのだが、毎日のちょっとした出来事や、村で起きた事などが簡潔に書かれている。奥さんと喧嘩した、なんて記述も時々あって面白い。5代前まで遡って読んでいるけど、ヤンマさんの家系って、代々、恐妻家みたいだ。
「息子は筆不精だからなぁ。その記録も、俺の代でお終いだろうよ」
「あらー。勿体ない」
魔物討伐の時に足を怪我したヤンマさんは、息子に跡を譲って隠居の身だ。足以外は健康なのだが、杖がないと歩けないため畑仕事も難しい。家の中の仕事はヤンマさんの奥さんとお嫁さんが取り仕切っているし、ヤンマさんも暇を持て余している。息子さんに畑の様子を聞いて、日誌を書くぐらいしかやる事がないのだとか。私と同じ暇人だ。仲間だわー。
「村長さんのお仕事じゃないの?この日誌は?」
「いやぁ、何代か前の先祖が始めた趣味さぁ。これがあると、小麦に何かあった時、昔の記録を辿れるからね」
小麦に異常があった時、記録を読み返して対処法を探すのだとか。趣味と実益を兼ねた日誌なのね。
「この日誌のお陰で、小麦の全滅を免れた事があるからなぁ。息子にも書けと言ってあるんだが、あいつは3日と続かんのよ。字もあまり得意じゃ無いからね」
しょぼんとしたヤンマさん。代々の日誌が途切れるのは寂しいのだろう。
しかしこの日誌、興味深い。そしていくつかとても気になる箇所がある。
テーブルの上に広げられた、歴代の日誌達を眺めながら、私は思案した。このままでは玉石混交だ。読み辛いしこの膨大な量から必要な情報を探すのは大変な作業だろう。
私はパラパラと日誌を流し読みしているヤンマさんに目を向けた。ふむ、暇人が2人。やってみるか。
「ねぇ、ヤンマさん。ちょっと、お小遣い稼ぎしない?」
◇◇◇
夕食はいつもドヤール家で一緒に頂く。私達の家もあるのだが、お祖父様が「サラナと一緒に食べたいっ!」と駄々をこねるので、もうずっとドヤール家で食べている。朝食と昼食は自宅で頂いているけどね。伯父様夫婦も、息子達が普段いないから寂しいらしく、喜んで招いてくれるのでお言葉に甘えている。この国に来てから、お父様もお母様もどこかホッとしていて、イキイキとしている。おおらかで頼もしい伯父様と優しい伯母様のお陰だろう。ちょっと若返った様に見えるのは、気のせいではないだろう。
「サラナは最近、ワシと遊んでくれないのぉ。ヤンマの家に通っているそうだが、何をしているんだ?」
お祖父様が唇を尖らせながら拗ねている。老人と言う年齢にしては若々しいお祖父様がそんな顔をなさると、無性に可愛くなる。
「ヤンマの家に?おや?あの家にはサラナと同じ年頃の娘などはいなかったと思うが?」
伯父様は不思議そうだ。うん、ヤンマさんのお宅はヤンマさん夫婦と息子さん夫婦だけ。息子さんのお嫁さんも私よりは7つも年上だもんね。現在、初めての子を妊娠中だ。
「あら、何をしているの?サラナ」
お母様が心配そうにしていらっしゃるが、他所様にご迷惑はおかけしてませんよ、私。ちゃんとオヤツ等の手土産持参でお邪魔しています。
「代々の村長さんの日誌を読ませていただいてます」
「村長の日誌?あぁ、あの小麦の記録の事かい?」
伯父様が思い当たったのか、怪訝な顔をなさっている。何でそんな物を?と言いたげだ。
「面白いのです。この村の歴史が紐解けるようで。開拓間もない時からの記録が残っていて、どのように村が拓けて行ったのかも分かります、それに…」
ヤンマさんに手間賃を払い助手として、日誌を整理していく内に、色々と判明した事もある。
「まだ、確証はありませんが、今年は大雪が降ります。薪と食糧の備えを、充分になさった方がよろしいかと」
私の発言に、お祖父様達の目が丸くなった。
「え?え?まだ夏だよ?サラナちゃん、どうして分かるんだい?」
伯父様が驚いている。すいません、後でゆっくりご相談しようと思ってたのですが。
「ヤンマさんのお宅にある日誌を、分析した結果です。今年の初春は、雪解けが早かった。ニージュの花が大量に咲いている。いつもよりゼンデの数が多い。過去の記録から、その3条件がそろうと、大雪になる確率が高いのです」
私はあの大量の日誌から、情報を整理する事をヤンマさんに提案したのだ。あの日誌には様々な情報が散りばめられていた。そこから、まず一つ目は小麦の病気について、その種類と対処法を。膨大な日誌から探すより、まとめておいた方が楽だろう。二つ目に村の年表。その年にざっくりと何があったかを年表にしたのだ。年表を作っていた時、ハテ?と気づいた事がある。15〜20年に一度、大雪が降る年がある。その年の日誌を読み込むと、雪解けが早く、ニージュの花がいつもより大量に咲いたという記録と、ゼンデという虫が増え、駆除に難儀したという記録があった。大雪の年には、必ずその記録がある。そして今年も、その3つの兆候があり、前回の大雪から16年経っていたのだ。
他にも長雨や逆に雨の降らない年の兆候などもあった。これ、役に立ちそうじゃない?
夕食が終わって、まとめた資料をお祖父様、伯父様、お父様に見て頂く。3人とも、物凄い真剣に読んでくれた。
「これは、凄いな。確かに周期的に大雪が起こっている。長雨も日照りも、予め分かっていれば、対策も立て易い」
「物資も高騰する前に揃えられますね」
「サラナは賢いのぅ」
伯父様とお父様が熱心に話し合う横で、お祖父様は私を褒める事に忙しい。もう13歳だし、子どもの様に褒められたり、頭を撫でられたりするのは気恥ずかしいのだけど、熊の様に大きなお祖父様にしたら、5歳も13歳も変わらない様だ。断るとこの世の終わりの様な顔をなさるので、甘んじて受け入れていますよ。
「凄いのはヤンマさん達です。こんな記録を書き続けていたんですから。私は中身を読んで纏めただけ。それに、あくまでも過去の例からの推測ですので、確実に起こる訳ではありませんが、備えるに越した事はないかと思います」
過去の大雪の際、備えが足りずに多くの死者を出した領もある。薪や備蓄食糧を備えておけば、そういった事も防げるだろう。
「偉いのう、サラナ。民の事を考えてくれるか。惜しいのう。ヒューかマーズに婚約者が居らんかったら、嫁にしたのに」
ヒューとマーズは伯父様の息子達の名前だ。婚約者も決まっていて仲も良好だと聞いている。
「駄目ですわ、お祖父様。冗談でもそんな事を仰っては。お兄様たちの婚約者様が悲しみます。お祖父様は勝手に婚約者を変更するなんて、あんな酷い事をする人達と違いますわよね?」
ぽっと出の女に婚約者を奪われた孫の悲しげな訴えに、お祖父様はアタフタしております。いけませんよ、そういう笑えない冗談は、誰が聞いているかも分かりませんから。私、お兄様たちの婚約者さんを泣かせたくなんてありません。
「…っ!すまない、サラナ。そうだな、冗談でも言ってはならんかったな。ワシはサラナが可愛くて堪らんのだ。あー、どこにも嫁に出したくない」
お祖父様にぎゅうと抱き締められ、私は笑い声を上げた。
「どこにもお嫁には行けませんわ。いつまでもお祖父様のお側にいます」
前世はお一人様でも平気だったし、今世も縁遠そうだ。お祖父様やお父様達と生きていくのも悪くない。楽しいしね。
お気楽な私に、お祖父様達が複雑な顔をしていたのにも気付かなかった。
書籍化作品
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