15 トーリ殿下と側近の皆様のあれこれ
「良かった…!手紙のやり取りは許されたっ…」
ぐったりとトーリ殿下がソファに沈み込む。我々側近も、同じくソファに深々と座り込んだ。
「サラナ嬢。朝の勉強会以外は、全く接触出来ませんでしたからね。ドヤール家の守りが堅すぎる…!あの前辺境伯の視線の恐ろしさといったら。私は生きた心地がしませんでした」
その勉強会ですら、ドヤール家の年子の兄弟が目を光らせていた。本当に、ひたすら課題をこなす事しか出来なかった。
私がそう言うと、メッツとバルが激しく同意した。
「怖かったよー!それに、ユルク王国の英雄っ!あのお年で現役バリバリじゃないか!」
「全く隙がない。視線一つで魔物を射殺すという噂は、本当かもしれん…」
メッツは魔術師として、バルは騎士として、王弟殿下の護衛も兼ねるほどの実力を持っているが、前辺境伯や現辺境伯は次元の違う強さだと2人は口を揃えて言う。ドヤール家の年子の兄弟も、確かに学園で実技は負け知らずだ。絶えず他国や魔物の脅威に晒されている辺境では、領主自らこの強さがなければ周りも着いてこないのかもしれない。
視察で出会った、ドヤール領の領民の事を思い出す。職人や子どもや女性まで、何というか、逞しかった。王都の民と比べガサツで、優雅さには欠けるが、生きる力に満ち溢れ、大らかで非常に力強い。小山程の大きさの魔物の死骸に全く臆する事も無く、大人も子どもも男も女も関係なく、ナタや包丁を手にワラワラと羽や毛を毟り解体していく。その中には小さな小刀を持った3歳児もいて、巧みにグェーから羽根を抜いていた。魔物も珍しいものではなく、日常的に目にしているからか、皆、扱いにも慣れていた。
「レック。エルスト領はモーヤーンの取引で今後もドヤール領とやり取りがあるのだな?」
「はい。父から必ず事業への協力を取り付けろと厳命を受けています」
我がエルスト領を襲うモーヤーンという魔物。肉も不味くこれといって使える素材は殆ど無く、しかも獰猛で群れで行動する厄介な魔物だ。冒険者ギルドにも討伐依頼を常時出しているが、初級冒険者には強すぎ、中、上級冒険者にとっては危険度の割に旨味が少ないモーヤーンは敬遠されがちだ。モーヤーンの出現数が多い緊急時など、冒険者ギルドにも討伐義務を課しているが、冒険者からはハズレ依頼と揶揄され、くじ引きで受注者を決めているという。
その為、エルスト領ではモーヤーンは領兵による討伐に頼っている状況だが、奴らが現れると討伐に人員を割かねばならぬし、かといって治安の維持は必要であるわけだから、奴らが多く出る年は、人手が足りないだけでなく、領の財政を逼迫する事も多々あった。
「モーヤーンの肉の調理法が見つかっただけでなく、毛の利用方法があると知って、父は狂喜乱舞してますよ。事業提携の話を詰めたいと、明後日にもエルスト領から駆けつけるでしょう」
「…お前はここに残るんだよな…。羨ましい…」
視察も全て終え、ドヤールに残る理由のないトーリ様と私以外の側近、侍従達は、明日、王都に戻られる予定だ。私は事業提携の話し合いのため、残る事を許された。
「なんとか王都に来てくれないだろうか…」
ため息と共に漏れた切なげな声に、私たち側近はそっと視線を交わす。誰の事を言っているかなんて、聞くだけ野暮だ。軽く咳払い一つした後、私は意を決してトーリ様に問い掛けた。
「トーリ様。サラナ嬢の事をどう思われますか?」
「どう、とは?」
ゆるりと顔を上げたトーリ様の銀の瞳には、いつもの冷静さはない。どこか熱に浮かされた様にボンヤリとしている。
「随分と御興味を持たれている様ですが」
なんとかサラナ嬢と交流を持ちたいトーリ様とは対照的に、サラナ嬢の表情や態度は、上手に取り繕っていたが、明らかに辺境伯や彼女の父親と同じだった。つまり、厄介な上司が視察に来たので、部下として対応しようといった、色も欲も絡まぬもの。何も隠していないから、好きなだけ見て穏便にお帰りくださいという、仕事の一環といった対応。
学園でトーリ様に群がるご令嬢達や、ワザと気の無い態度で振り向かせようとするご令嬢達とは明らかに熱が違う。13歳という年齢にしては、余りにビジネスライクなそれに、どれほど我らが戸惑った事か。わざわざ初日にトーリ様が牽制し、私が釘を刺したのが恥ずかしいぐらいだ。
「サラナ嬢は…、聡明な人だ。知恵者とは、あの人の様な方を言うのだろう。あれ程の叡智を持ちながら、それなのに少しも驕る事もなく、惜しみなく周りにその恩恵を与える。あれほど民に慕われる令嬢も、珍しい」
確かにトーリ様の仰る通り、サラナ嬢の話題は、視察先でも尽きる事はなかった。特にルエンという王宮の元文官は、サラナ嬢への賛美を口にしたら中々止まらなかった程だ。彼はサラナ嬢を慈悲深き女神の如く崇拝していた。
「もう少しサラナ嬢と話してみたい。これ程興味をそそる女性は、初めてだ。私は彼女を見極めたい。それに、彼女の発想は素晴らしい。なんらかの繋ぎをつけておけば、必ずや国の為になるだろう。あぁ、やはり私も滞在を延ばして……」
「ダメですよっ!星降祭の儀までに帰れと、陛下から命じられたと仰っていたではありませんか。今から帰ってもギリギリだというのに!」
メッツに止められたトーリは、やはりとため息を吐く。
「だが、このまま王都に戻れば、接点がなくなってしまう」
その言葉にはサラナ嬢を見極めるという言葉以上の、明らかな熱が篭っている。ほんのり赤く色づく頬、愛しげに潤む瞳、幼馴染の我らが動揺するほどの色香。
トーリ様、その色気はサラナ嬢のいる時に発して欲しい。男しかいない場所で出されても、気持ち悪いだけだ。
「なんとか、手紙のやり取りだけでも続けて…。長期休暇の間は、辺境伯の元で武者修行をしたいと、兄に願ってみよう」
確かに、そうでもしないとあのサラナ嬢は、一生辺境伯領から出ず、トーリ様との接点がないまま終わってしまいそうだ。貴族の子女の義務である学園でさえ、その優秀さで通う事なく終わりそうだ。本人やその両親も、王都に全く興味を持っていなそうなのだ。ラカロ男爵夫妻はまだしも、サラナ嬢の若さであそこまで王都や社交界に興味がないのは、どういう事なのか。
しかし、サラナ嬢の優秀さなら、例え本人に興味がなくても問題なく社交や貴族の生活を熟せるだろう。我らに対応した時の心遣いや態度、あしらい方は13歳の子どもとは思えぬほどだった。
特に、あの、淑女の礼。全身から漂う気品と美しさに、思わずため息を吐いた。隣国で王子妃教育を受けていたと聞いたが、あの年であれ程までに完璧な所作を身につけているとは。
この一週間、トーリ殿下と我らはサラナ嬢に圧倒されっぱなしだった。メッツとバルがサラナ嬢を試すように投げ掛けた質問にも、自分の意見を織り交ぜて回答する。表面的なだけでなく、色々な事を深く考え込んで理解しているようだった。
トーリ様が、はっきりと明言はされていないが、サラナ嬢を妃候補にと考えているのは明らかだ。考えているというよりは、求めているといえるのか。サラナ嬢はトーリ様の理想とする女性像にピタリと当て嵌まっているのだ。それでいて全くトーリ様に欲の絡んだ目を向けず、興味すら持っていない。
トーリ様は追いかけられるより、追いかけるのを好むのだと、私は今回のサラナ嬢の件で改めて理解した。長い付き合いだが、初めて知った主人の性分に、これまで、トーリ様が女嫌いと噂される程、女性を避けていた理由が腑に落ちた。ギラギラした目の令嬢達に、獲物として追いかけられるのに辟易していたのだろう。
「明日が最後…。会えるだろうか」
ポツリと呟くトーリ様。悩ましげな目で、ボンヤリとされている。
「お見送りには、いらっしゃるでしょう」
トーリ殿下達は早めの朝食後に直ぐに発つ事になっている。サラナ嬢が共に朝食を取る可能性は低い。流石に、最後の見送りぐらいには顔を出してくれるだろうが、いずれにせよ、大した時間はないだろう。
「レック。滞在中のサラナ嬢の様子を知らせてくれるか?俺も王都に戻ったらすぐに彼女に手紙を書くが…。あぁ、返事をくれるだろうか」
「殿下からの手紙に返事を書かぬはずがありませんよ」
殿下ほどの熱量を持って返事を書く事はないだろうとは思ったが、口に出すほど阿呆ではない。
「そうか…!そうだよなっ!」
途端にパァッと明るい顔になるトーリ様に、罪悪感が刺激された。
毎日手紙を書くのは流石に失礼か、いや、短い文書なら問題ないだろう、とかブツブツ呟くトーリ様をよそに、我ら側近はそっと視線を合わせる。
俺は出来る限りドヤールとの関係を密にし、サラナ嬢との接点を作る。あのドヤール前辺境伯と、現辺境伯、そしてラカロ卿を攻略しない事には、サラナ嬢との交流は無理だ。
メッツはキンジェ家の出身である、ゴルダ王国の情報収集。メッツ家は代々魔術師団長を務める家系だが、彼の叔父は外交を担う家に婿入りしている。その伝でサラナ嬢の情報が得られるだろう。
バルは国内の情報収集と牽制。ドヤール領は最近目覚ましい活躍ぶりだ。その活躍がサラナ嬢だという事を知り、彼女を狙う輩も、今後出てくるだろう。私がドヤール領を出るまでは、彼に頑張ってもらわなくては。
多分、本人はまだ気付いてないかもしれないが。
仕える主人の初めての恋なのだ。
側近たるもの、全力を尽くさねばならない。
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