125 アルトの幸せ
遅くなりました。
浮かれるアルト編です。
『好きだわ、アルト会長。貴方を想い過ぎて涙が出てくるぐらい、大好き。フラれたら、生きていけないかも』
そうサラナに言われてからずっと、アルトは夢の中にいる様な幸せを感じていた。
「いや、会長。ちょっと寝て下さい。さすがに死にますよ?」
「そうですよ。ニヤニヤ笑いながら倍速で仕事片付けないでください。気持ち悪いです」
「職人たちが怯えてましたよ? 幸せそうに笑っているのに、いつも以上におっそろしいダメだしを喰らったって」
頼れる部下であるカイ、ギャレット、ビンスに諫められるが、そんな忠告が耳を素通りするぐらい、アルトは幸せだった。端的にいえば浮かれていたのだ。
「まあ、気持は分かりますけど。俺らも会長とサラナ様が上手くいって、物凄く嬉しいですけど」
「未来のアルト商会の奥様がサラナ様なんて。女神と契約したようなもんですからねぇ」
「サラナ様、目ざとい奴らにえげつない程に狙われていたからひやひやしてたけど。本当に良かった、良かった」
最後の聞き捨てならない言葉に、アルトは思わず口を挟んだ。
「ビンス。その目ざとい奴らのリストを後で全て提出しなさい」
ビンスはイヤそうな顔をして返事をする。
「へぇーい。でも、会長も全部把握している奴らだと思いますよ?」
「それでも漏れがあってはいけませんから」
「うわー。嫉妬深い」
ビンスの言葉に、アルトは思わず動揺する。同じことを、セルトにも言われたことがあるからだ。
「……嫉妬深いでしょうか、私は」
そんな事はないはずだと思いながら呟けば、カイたちが呆れた視線を向けてくる。
「え。自覚が無いんですか? サラナ様に近づく輩なら、護衛さんだろうと、あれだけ牽制しておいて?」
「う。そ、それは。サラナ様の安全の為で……」
「いやいや。護衛ですよ? サラナ様の安全を考えるなら、護衛を遠ざけるなんて出来るはずがないでしょうが。それに護衛さんたちは、ドヤール家の分家筋の出身で人柄もバッシュ様が吟味した人たちですよ? サラナ様に不埒な真似なんて出来ませんって。俺ら、護衛さんたちから『アルト会長が怖い』ってめちゃくちゃ相談受けてたんですからね? 少しは自覚してくださいよ」
カイにうんざりした様に言われ。ギャレットとビンスはうんうんと同意している。
そんなにひどかっただろうかと首を傾げるアルトに、カイたちは呆れていた。
「あーあ。やっぱり自覚無いんですねぇ。ま。サラナ様もそんな会長の嫉妬深い所も受け入れてくださっているので、いいんじゃないですか? ほら、そんなことより、そろそろサラナ様とのお約束の時間ですよ?」
執務室から面倒くさそうに追い出されたアルトだったが、本当にサラナとの約束の時間が迫っていたので、素直にいそいそと出掛けた。そんなアルトの後ろ姿を、呆れた様な、だがどこか嬉しそうな顔で見送る部下には、全く気付いていなかった。
◇◇◇
「いらっしゃいませ、アルト会長」
はにかんだ笑みを浮かべて出迎えてくれたサラナに、アルトは顔が緩むのを必死でこらえた。
可愛い。サラナの全てが可愛い。アルトを見つけるとパッと顔が明るくなるところとか、上気した顔を誤魔化すところとか、手を繋ごうとそっと手を差し出すところとか、アルトが気づかない振りをすると不安そうにアレっという顔をする所とか、手を繋いだらふにゃっと笑うところとか、嬉しくて無意識にちょっと飛び跳ねるように歩くところとか、もう本当に可愛い。
「アルト会長? どうかなさいまして?」
サラナを見つめたままぼうっとしているアルトに、サラナが不思議そうな顔をする。
「サラナ様が可愛らし過ぎて見惚れていました」
アルトは素直な心情をポロリと吐露すると、サラナは慌てふためく。
「も、もうっ! そんな冗談ばっかり仰るのだから」
ポッと顔を赤らめるところもまた可愛い。可愛いで殺されそうだ。
「デビュタントまであと少しですね」
このままではいけないと、アルトは可愛いから思考を逸らすように話題を変えた。サラナのデビュタントは数日後に迫っている。サラナの体調も戻り、侍女たちによる最終仕上で連日、髪や肌を磨き込まれて、最近のサラナは可愛いだけでなく神々しいまでの美しさだ。正直、どこを見ても魅力的過ぎて、目のやり場に困る。
「この国での初めての本格的な社交ですから、楽しみですわ」
サラナがそう答えるのに、アルトはおやと思った。サラナは社交があまり好きではないと聞いていたからだ。
「サラナ様は、社交はお好きではないと思っていました」
「……ええ。ゴルダ王国では本当に嫌でした。どれほど頑張っても、正当に評価されることがありませんでしたから。誰も彼も、表ではニコニコ笑っていても、裏ではずっと馬鹿にされていて」
何かを思い出すように、サラナが視線を彷徨わせる。ギュッと無意識に手を握りしめているのに気付いて、アルトはサラナの手をとる。
「アルト会長……?」
「……手をそんなに握り締めては、痛めてしまいます」
掌についた爪の跡を優しく撫でると、サラナの表情がふっと緩む。
「でも、この国では楽しい事が多くて。人とのお付き合いも、それ程苦手ではないと、思えるようになったんです」
事業を起こす度に、接する人は増えて行った。身分も立場も違う人たちと関わる内に、嫌なことや面倒なこともあるけれど、楽しいこともまた多いのだと思えるようになっていったのだという。
「うふふ。お姉様たちのお友だちとご一緒させて頂くのも、楽しくて」
ダイアナやパールの友人たちとは、例えば恋の話など、女性同士の楽しい話が出来る。それはサラナにとっては、前の世の気の置けない友人たちと過ごした頃を思い出せるもので。いや、こちらの方が圧倒的に品が良い付き合いなのだが、やはり同性の友人でないと味わえない楽しさというものがあるのだ。
そんな前世のような関係を築ける友人を、夜会や茶会で得られるかもしれないと、サラナはちょっとだけ期待しているのだ。
「それに。アルト会長も社交の場に出る時があるでしょう? そんなときはご一緒したいもの」
「私は、それほど社交の場に出る事はありませんよ?」
「でも、機会が少なくても、全くないとは言い切れないでしょう?」
確かに、断れない社交というものはある。身分を盾に強制的に参加を求められるようなものは適当に躱して逆に相手を追い詰めて回避しているが、例えばお世話になった人に頼まれてだとか、そういう社交は受けるようにしているので、皆無ではない。
商会がどんどん成長している今、人との縁を無下にすることは出来ないので、そういう社交は増えていくだろうが。元々、アルトは一人で参加するつもりだったのだ。
「無理に私に合わせていただく必要はありませんよ?」
「あら。貴方に面倒なことは全て背負わせて、1人で安全圏にいるなんて嫌だわ」
キリッとした顔でそう言って。サラナは恥ずかしそうに俯く。
「だって、私たち、ふ、夫婦になるのでしょう?」
「……っ! 」
心臓を、鷲掴みにされたようだった。普段は照れ屋なくせに、突然、こちらを揺さぶるような言動をするのはやめて欲しい。いや、やっぱり、そんなサラナも魅力的なので、やめて欲しくない。千々乱れるアルトの心をよそに、サラナはぽつぽつと語る。
「ゴルダ王国の夜会で、どれほど嘲笑されていても、お父様とお母様はいつだって毅然とした態度で私を見守ってくださったんです。それがとても心強くって。そしてそんなお2人に、ずっと憧れていたんです。あんな風に、お互いを思い合って守り合える人が、いつか出来たらいいなぁって」
嬉しそうに、サラナは笑う。
「いつだって、私はアルト会長を頼りにしていますもの。だからアルト会長にも、私を頼りにしてほしいの」
その言葉に、アルトはガツンと殴られた様な気分になった。
アルトはサラナを守ろうと思っていた。奇跡のように自分の想いが通じて、サラナの側にいる事を許されたのだから。自分の腕の中でどんな風にも当たらない様に、守り抜いて見せると。決して悲しませたり傷つけたりしないと。
だけどそれは、アルトの思い上がりに過ぎなかった。サラナは、とっくに覚悟を決めていたのだ。悪意だろうと中傷だろうと、アルトの隣で受け止める覚悟を。アルトと共に歩く覚悟を。
分かっていたじゃないか。ただ大人しく守られている人じゃないってことは。
いつだってサラナは、顔を上げて、1人で凛と立っていた。
でもそれが、虚勢と矜持で保たれていると、アルトは知っていた。だからいつでも手助けできるように。サラナが不安になってそっと振り返った時に、安心してもらえるように。ずっとその小さな背中を見守っていたのだ。
でもこれからは、彼女の隣に堂々と立つことが出来る。
彼女の弱音も心細さも、受け止める事ができる。傷ついた時は慰め合うことが出来る。
そして彼女も、アルトの弱さを受け止めてくれるのだろう。
「アルト会長? どうかなさいまして?」
両手で顔を覆って動かなくなったアルトに、サラナが心配そうに気遣う。
「……敵いません、本当に。貴女には」
万感の思いを込めて呟くアルトは、しみじみと自分の幸せを噛み締めていた。
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