114 デビュタント①
デビュタント編漸く始まったと思ったら、まだ控室です。
デビュタント会場に参りました。サラナ・キンジェです、ごきげんよう。
新たな淑女を社交界に迎え入れる初めての夜会。初々しい薔薇のような令嬢たち祝うデビュタントの会場は、社交界の先輩方が見守る温かくも和やかな雰囲気に満ちている。
装飾も気品がありながらも、どこか可愛らしさがあって。デビュタントは王家主催ですから、もちろんこの会場の手配なさったのは王妃様でしょうけど。センスが良いわねぇ。
なんて何処ぞの評論家並みに上から目線の感想が出るのは、私もデビュタントの夜会の手配を何度かしたことがあるからだ。出る方じゃなくて主催の方を。
私がゴルダ王国で王子の婚約者をやっていた頃、王妃様からデビュタントの夜会の準備を丸投げ、いや、手伝いを命じられたのだ。ゴルダ王国の王妃様、華やかな催しは大好きだったけど、準備とか根回しとか地味なお仕事は大嫌いだったのよねぇ。それで未来の嫁である私に面倒な準備は全部押し付けてきたのだ。自分のデビュタントもまだだったのに、他人のデビュタントの準備を手伝っていたのよねぇ。世知辛いわぁ。
王家主催の夜会の準備の丸投げは、今思うと嫁イビリ、いや、息子の婚約者イビリの一環だったのだろう。王妃陛下は私の元婚約者、ミハイル第二王子殿下をそれはもう可愛がっていた。出来の悪い子ほど可愛いっていうからね。
嫁イビリといえば、前の世で親戚のおばさんの嫁イビリも凄まじかったわぁ。お勉強ができる自慢の1人息子だからって甘やかして、仕事はできるけど生活能力ゼロに育て上げてたわね。料理、洗濯、掃除は何一つ出来ないどころか、自分の着替えも用意出来ないって、何処のお貴族様かと思うぐらいだったわ。あら、そう考えるとこちらの世界のお貴族様って、自分では身支度一つ出来ないから、前の世ではあのバカ息子ぐらい役立たず…? いえいえ、深く考えちゃいけないわね。
まあそのバカ息子には大人しくて可愛いお嫁さんがいたのだけど、姑であるおばさんはイビリ抜いたのよねぇ。共働きでバカ息子と同じぐらいの収入があって、しかも家事全般プラスバカ息子の世話までしてくれていたのに、一体何が気に食わなかったのかしら。まぁ、息子の嫁ってだけで何もかも気に食わなかったのでしょうね。
バカ息子も母の言いなりで嫁の味方を一切しなかった。それどころか『女は幼にしては父兄に従い、嫁してからは夫に従い、老いては子に従え』なんて真顔で言ったみたい。お勉強が出来るのをひけらかしたかったみたいだけど、それ江戸時代の女性の心得よね? 行き過ぎるぐらいの平等を目指す現代社会に、なぜに通用すると思ったのかしら?
もちろん可愛くて大人しいお嫁さんは、早々にバカ息子に見切りをつけた。バカ息子はモラハラ、暴言、経済DVと、もろもろの証拠をバッチリ押さえられ、あっという間に慰謝料取られて離婚されてたわぁ。お嫁さん側の弁護士さんに、『証拠が豊富で楽な案件だった』とニコニコ笑顔で言われたらしいわ。
私がなぜここまで詳しく知っているかというと、おばさんに借金を申し込まれたからだ。バカ息子はおばさん自慢の高学歴、高収入だったのに、浪費家だったから貯金が無くて慰謝料が払えなかったらしい。モラハラは会社内でも遺憾無く発揮されたらしく、降格と左遷のダブルパンチで、節約しても生活するので精一杯なんだって。
もちろん借金の申し込みは断ったわよ。おばさん、私の事を結婚もしない親不孝者なんてバカにしていたくせに、どうして親戚ってだけでお金を貸してもらえると思ったのかしら。『お金なら都会で稼いでいるからいくらでもあるでしょ』なんて言われたけど、お前のバカ息子の為に稼いでいたわけじゃないわ。
「サラナ、そろそろ入場だよ。ぼんやりしているが、緊張しているのかな?」
お父様の声ではっと我に返った。そうでした。今は他のデビュタントのご令嬢たちと一緒に、控え室で入場を待っているのだったわ。控え室にいるのはデビュタントの令嬢とエスコート役だけだ。私のエスコート役は勿論、スペシャルダンディなお父様だ。他の家族は会場で待っている。
お父様に心配そうに覗き込まれたけれど、緊張どころか前世の親戚の離婚騒動を思い出していたなんて言えないわね。周りの緊張している初々しいご令嬢たちに比べて、自分が擦れ切ってしまった様に感じるわ。反省。
「大丈夫ですわ。お父様とのダンス、楽しみです」
淑女の微笑みを浮かべて誤魔化しましたが、お父様は『やれやれ、困った子だ』という表情をなさっていたので、前世のことはさすがに気付いていないと思いますが、初々しい令嬢らしからぬことを考えていたのはバレているみたいです。
「サラナ。今日は仕事じゃなくて社交だよ?」
お父様に優しく諭すように言われましたが。いえいえ、さすがにこんな時は仕事をしようだなんて考えませんよ。誤解です。社交ですわよね、分かっています。
お父様は私に同世代のお友だちが少ない事を心配なさっている。ダイアナお姉様たちの繋がりで、派閥のお嬢様たち数人とは仲良くなったけど、まだまだ少ないのよね。お姉様たちのお友だちは、年齢的にもちょっと上だし。私は学園に通う予定はないので、お父様はこういった夜会などで同年代の友だちを作って欲しいと思っているようだ。
「分かっていますわ、お父様。私、お友だち作りを頑張りますわね」
そうお父様を心配させないように話していたら。クスクスと笑う声が聞こえてきた。
「まったく、下位貴族は気楽でいいわね、お友だち作りですって」
「田舎貴族は、王都にいらっしゃる機会なんてないから大変ね」
「あらそれじゃあ、こんなに煌びやかな会場では気後れなさっているんじゃないかしら。無理をなさらず、辞退なされば宜しいのに」
ついうっかり聞かれちゃったというわけではなく、こちらに聞こえる様にしっかりとひそひそ話をなさっているのは、同じくデビュタントを迎える令嬢たちのようだ。ドレスや装飾品を見る限り、高位貴族、少なくとも伯爵家以上の令嬢とその取り巻きたちといったところか。
私は伯母様から教えられたデビュタントのご令嬢たちの情報を思い出す。ええ、勿論私の他9名のご令嬢たちのお名前、お家柄、派閥、派閥の中の立ち位置等、『それって必要ですか?』と聞きたくなるような細かな情報まで叩き込まれましたよ。それぐらい頭に入れてないと話にならないそうです。そうですよねー。
今日のデビュタントで高位なのはホイット侯爵家のご令嬢とスタンド侯爵家のご令嬢だ。ホイット侯爵家のソフィア様は婚約者がいらして陛下と踊られる予定だ。スタンド侯爵家のイザベル様はまだ婚約なさっていなくて、王弟殿下と1番目に踊られる予定となっている。ホイット侯爵家は中立、スタンド侯爵家は王家寄り。西のカルドン侯爵家を中心とする派閥と王家を中心とする派閥がユルク王国では大きな勢力だけど、そのどちらにも属していない中立派もそこそこ発言力があります。ホイット侯爵家はその筆頭ですね。
デビュタントの令嬢の中には、その中立派と王家派のご令嬢たちが多い。カルドン侯爵家寄りの家はいらっしゃらないみたいね。
えーっと。今堂々と悪口を仰ったのは、スタンド侯爵家のイザベル様とそのお友だちの令嬢たちですね。ソフィア様とお友だちの令嬢たちは、冷たい目でイザベル様たちを睨んでいらっしゃるけど、特に口を出す気はないみたいです。
他の下位貴族の令嬢たちは、心配してくれているのかこちらをチラチラ見て悲しそうな困った顔をしている。大丈夫!微塵と傷ついていませんから! という気持ちを込めてにっこり微笑んだら、ホッとした顔をしていたわぁ。あら、この子たちとは仲良くなられそうだわ。
いや、下位貴族の令嬢たちの中、クルゼル子爵家の令嬢ミア様は、心配どころか、意地悪そうな笑みを浮かべていらっしゃいます。あー。他人の争いが好きですか、そうですか。でもその表情、少しは取り繕った方がいいですよ。
それにしても。イザベル様もそのお友だちたちも、アルト商会をご贔屓くださっていたと記憶しています。ギャレットさん作成の対応要注意貴族家リストのトップに載っていたわ。ゴリ押し、強要、他の客への圧力が顕著で出入り禁止も検討中だったような。とくに我儘娘たちの美容品への執着が尋常じゃないらしく、親も甘くて娘たちの言いなりだとか。
そのツヤツヤと手入れされた肌も、クルンクルンと巻かれた髪も、我が領の特産品であるニージュの化粧水とオイル、ヘアアイロンのお陰ですよね。
ほほほ。化粧水とオイルの供給を止めて、他の美容器具の販売を止めてやろうかしら。カサカサお肌とボサボサ頭で笑われるといいわ。
あらいけないわ、うっかりデビルサラナが降臨していたわ。さきほどの前世修羅場が脳内に残っていたせいか、攻撃的になっているみたいね。折角の楽しいデビュタントなのに、報復計画を練るなんてやめましょう、そうしましょう。相手はまだ10代の子どもじゃないの。大人気ないわ。
そうだ、こんな時はお父様の余裕のある態度を見習うべきだわ。きっと悪口なんて何も聞こえなかったような、優雅な佇まいでいらっしゃるはず。
そう思って笑顔でお父様を見上げたのだけど。おおぅ。なんてことなの。魔王が降臨しているわ。お父様、とても穏やかな笑顔なのに、何か怖いものが滲み出ているぅぅ。目が全く笑っていないぃ。
他の人が怒っているのをみると、逆に冷静になれるものなのね。こんな形で知りたくなかったわ。
「スタンド侯爵家とギブス伯爵家とアレン伯爵家のご令嬢だったねぇ」
私に聞こえるかどうかの小さな声で、お父様が呟いていらっしゃいます。なんらかのリストにイザベラ様たちはめでたく追加されたようです。何のリストかは考えたくないわ。
「お、お父様。私、あれぐらいの陰口は慣れていますわ」
イザベラ様たちのことが心配になって、私はお父様にコソッと話しかけたのだけど。ほら、生国では王子に愛されない婚約者として有名でしたから、もっとひどいこと言われていたじゃないですか。地味だとか小賢しいとか可愛げがないとか。婚約破棄されてからも、あれじゃあ婚約破棄されても仕方ないとか、全方向敵だらけでしたし。それに比べれば、イザベラ様たちの陰口なんて可愛いものですよ?
でもお父様は、ちょっと悲しい顔をされて。私をそっと抱き寄せた。
「サラナ。私は二度と君をあんな目に合わせる気は無いよ。今度こそ守り抜くと誓ったのだから」
その言葉に、ゴルダ王国でのお父様とお母様を思い出す。どれだけ他の貴族たちに嘲られようとも、おお父様とお母様は微笑みを絶やさなかった。私の立場がこれ以上悪くならないように、必死に耐えていてくれたのだ。
「後悔しているんだよ、私は。王家の意向に逆らう事になろうとも、さっさと国と爵位を捨てて君の婚約を破棄しなかったことを。家族3人で苦労しても、幸せに過ごす道はいくらでもあっただろうにとね」
「私は幸せでしたわ。お父様やお母様がずっと側にいて下さったから……」
それは嘘偽りない気持ちなのよ。だって、どんなに馬鹿にされようとも、お父様とお母様が私の事をずっと信じて支えてくれていたから、少しも苦じゃなかったわ。
「ふふふ。ありがとうサラナ。でもね、私は同じ轍を踏むつもりはないよ。これからは、ドヤール家のやり方を見習って、もっと積極的に君を守るつもりだからね」
あ、ダメだわこれ。ドヤール家の流儀でしたら、骨も残りませんね、多分。
私の脳裏に、ドヤール家全員が戦闘態勢になる幻が浮かんだ。
ちらりと先ほどの嫌がらせの筆頭である、イザベル様に視線を向ける。お友だちと楽しそうに話しているのを見て、これからの嵐を思うと、ちょっとだけ憐憫の気持ちが湧いたけど。もうどうしようもないと思うの。
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