107 体調不良とシャンジャの嵐
間が空いてしまいました。すみません。
女は度胸です。サラナ・キンジェです。ごきげんよう。
私の長いようで短かったシンキングタイムは終了し、色々と心の整理がつきました。
お母様の助言やお祖父様にお話を聞いて、私も腹を括ることにしました。女は度胸だわ。
ええ、ちっとも乙女っぽくない覚悟をしておりますが、要はアルト会長に告白をする事に決めたのです。
自分の可愛げのなさとか、男運の悪さとかは、最早どうしようもないと思うし。最後はいつも守ってあげたいか弱い系女子に恋人を奪われてばかりだったけど。
それでも、アルト会長を諦める事は出来ないわと、思い知ったのよねぇ。
いつだって穏やかで、少し疲れていて、私のちょっとした変化に気づいてくれて。
でも怒ると怖くて。嫌われたかと思うと泣きそうなぐらい悲しくて。甘い言葉を吐かれると恥ずかしくて、でもドキドキして嬉しくて。
それに私、無意識にアルト会長を心の頼りにしているのだもの。
気性の荒い職人たちと真っ向勝負する時も。気の張る高位貴族と対面する時も。仕事で壁にぶち当たって迷う時も。
後ろでアルト会長が控えてくれていて、私を見守ってくれていると思うと、何も怖い事などなくなるのだ。アルト会長なら私を信じて寄添ってくれて、失敗したら慰めて、一緒に解決策を考えてくれると分かっているから。だから私は立っていられるのだ。
アルト会長が他の人にそんな事をしたら、私はきっと平常心ではいられない。他の女性の手を取って、微笑んだりしたら、たぶん泣く。いや、絶対泣く。嫉妬で怒り狂って、キーキー泣きわめく。ううう。想像しただけで泣けたわ。ちょっと色々考えすぎて、最近、情緒不安定なのよねぇ。はぁぁ。
「サラナ様。その涙目と色気をしまってください。悩まし気な溜息は、アルト会長がいる時に吐いて下さいな」
「んもう。脳筋の護衛騎士たちまで、サラナ様の色香に動揺しているじゃないですかぁ。アルト会長に知られたら、血の雨が降りますよぅ」
デビュタントの宝飾品を選びながら、侍女さんたちにブーブーと文句を言われています。
なんですか、私、色気なんて出していませんよ。出せるほど女子力高くないです。
前の世では、彼氏が出来るとすぐに友人にバレたけれど、その理由は『オカンっぽさが増してるから』だったもの。彼氏が出来てオカンっぽくなるって、女子として致命的ではないかしら。
「自覚無しですか。恋に悩む乙女は綺麗になるんですよ。貴女たち、しばらく屋敷内のサラナ様のお部屋付近はご家族以外の男子禁制です。幸いなことに外出は控えているから、人目に晒されることはないけれど。ああ……、デビュタントに向けて磨き上げている効果が、こんなところで悪影響を。そんなに目を潤ませないでくださいませ。若い男には目の毒ですよ」
ウルウルしている目元を優しく侍女長さんに拭われる。何だか結構酷いことを言われている様な気がするけど、侍女さんたちには甘やかされているわねぇ。
「こんな時にアルト会長はシャンジャにお出かけなんて! タイミングが悪いですねぇ」
そうなんです! もうこのモヤモヤした気持ちのままいられないわ! と告白を決意したのに、アルト会長はシャンジャにお出かけしていてお留守。ルイカー船の丸石加工についての調整があるとかで。しばらくお帰りになれないようなのよね。ぐふっ、元凶は私だわ。アルト会長を責めるのはお門違いね。
アルト会長がいないので、告白は保留となり。そうすると告白失敗の悪いパターンばかり想像してしまって情緒不安定になるを繰り返し。気を抜くと溜息を吐いて、涙が流れます。私こんなに打たれ弱い子だったのかしら。
感情に支配されて、まるで自分が自分でないようで、ますます不安になる。こんな事は初めてで、どうしていいか分からないわ。
「それだけ、本気で想っていらっしゃるってことですよ」
侍女長さんがが優しくそう言ってくれますが、恋なんて初めてじゃないはずなのに。アラ何とかの前世の記憶があるのに情けない。とか考えて、はたっと気づいた。
そう言えば、私から好きになって告白するのは、初めてではないのかと。
今までの恋愛は、どちらから告白する事もなく、なんとなく相手を放っておけなくて始まって。終わる時もそりゃあ落ち込みはしたけど、悲しいとか苦しいとか、そう言う気持ちは薄かった気がするわ。『仕方ないわ』ってすぐに諦めがついたもの。
え。実は私の恋愛スキルってゼロじゃないの。どうしましょう。告白ってどうしたらいいの。それで断られたら、どうしたらいいの。
今ですら駄目だった想像するだけでこんなに苦しいのに、本当に断られたら、苦しくて死ぬんじゃないかしら。
失恋って、皆こんな苦しくて恐ろしい気持ちを乗り越えているの? 前世にはよくあった失恋ソングに、今まで全く共感できなかったけど。うわー。分かる―。苦しいとか悲しいとかごちゃ混ぜで分かる―。
そうしてまたホトホト泣いていたら、とうとう、侍女長さんから白旗が上がった。
仮想失恋で食欲も落ち、眠れなくなって。磨き上げた肌艶と完璧な体重コントロールに綻びが。
「奥様、カーナ様。緊急事態です。このままではデビュタントに障りが! 」
目を腫らして泣く私に、ミシェル伯母様とお母様が顔を見合わせる。
「あらあら、サラナ。大丈夫? 折角恋をしたのに、そんなに最悪な可能性ばかり考えることないわよ?」
「サラナは将来を見据えての未来予測が得意なのが裏目に出たわねぇ。最悪の状態をシミュレーションするから、悪いことばかり考えてしまうのよ」
「どこからどう見ても両想いなのにどうしてこんなに心配できるのかしらねぇ」
溜息を吐くお母様に、伯母様がにやにやと笑う。
「あらぁ。サラナは母親似なんじゃないかしら。セルト様に告白すると決めたカーナも、決行前はメソメソ泣いていたじゃない。あの時は皆、呆れていたわよぅ。どこからどうみても想い合っている2人なのに、何を心配しているのかしらって」
「ミシェル!」
伯母様とお母様が何か仰っていますが、情緒不安定な私には何一つ耳に入りません。ううう。
私が自分の事で一杯一杯な時に、他の事に気を回せるはずがなく。
そんな時に、人知れず動き出したあの人を止める事は、誰にもできなかったのだ。
◇◇◇
シャンジャの港町にて。アルトはシャンジャの代官であるルータスと、船職人ロダスとルイカーさんの改造について、直接港に係留しているルイカー船を見ながら話し合っていた。サラナの自称右腕と左腕であるダッドとボリスも、勿論一緒である。
「面白いなぁ、この丸石ってやつは。ボリスの言う通り、一部にこの丸石を変えれば、重量が大分軽くなる」
「船だけではありませんよ! 荷自体もこの丸石を使った梱包材を使用すれば、大分軽量化できるじゃないですか!」
ロダスとルータスの大絶賛にアルトは満足そうに頷く。この調子ならルイカー船の改良やシャンジャだけで進めていく事が出来そうだ。腕利きの職人であるロダス、代官のルータスも、無茶振りには大分慣れてきているし、任せてしまっても大丈夫だろう。
「いやいやいやいや、アルト会長! 何をサラッと帰ろうとしているんだ。キビリー商会との契約はこれからなんだぞ。べムス商会と開発した、ウチの果物を使ったミンティジュースの報告もまだだ」
ルータスが慌てた様に止めると、アルトは怪訝そうな顔になる。
「それは私でなくても商会のシャンジャ支店の方で……」
「会長自らシャンジャに来ているんだ! 会長は滅多に支店に来ないじゃないか! いや、仕事は全く滞ってないから文句をつけるわけではないが、ウチにも付き合いというものがあってだね」
近隣の貴族や他の商会からアルトへの紹介をせっつかれているルータスはなんとしてもアルトを引き留めたかった。久し振りにアルトがシャンジャにやって来るというので、様々な招待状がルータス宛に届いているのだ。シャンジャ支店にも同じように招待状が届いていると従業員たちからも聞いている。その報告だって、受けているだろうに。
「必要な社交はこなしていますよ」
「必要最小限過ぎるだろうがぁぁぁ! 矢のような催促を受けている私の身にもなってくれ!」
ルータスは思わずアルトに向かって叫んでいた。冷静沈着なルータスにしては珍しいことだが、ルイカー船によってシャンジャの代官としての社交も増えただけでなく、それ以上にアルト商会やドヤール家と繋がりたい者たちからの誘いも増え、ルータスとしても手一杯なのだ。
「まぁまぁ、そう言うなよ、ルータスさん。アルト会長は早くモリーグ村に帰りたいんだよ」
「そうそう。ようやくカルドン領の長期出張から戻った途端、こっちに来ているからなぁ。全然足りてないんだよ」
ダッドとボリスが意味ありげにニヤニヤと笑うのに、アルトは冷ややかな目を向ける。
「ダッド、ボリス。余計な事は……」
アルトの言葉は、鋭い馬の嘶きと悲鳴にかき消された。
「なんだ?」
「どうした!」
近づいてくる重い蹄の音。巻き起こる砂煙。大きくなる人々の悲鳴。怒声と、子供の泣き声。
まるで魔物の襲来にあったような騒がしさだ。警備の者たちが剣を抜いて警戒をする。
「あ、あれは!」
恐ろしい速さで土ぼこりを巻き上げながら駆けるのは軍馬だ。普段乗っている馬が仔犬に見える様な巨大さで、小型の魔物ならその筋肉の盛り上がった前足で踏みつぶしてしまうような、歴戦の軍馬。
そんな軍馬に跨るのは、巌のような大男だ。大型の魔物も拳一つで屠る、ユルク王国随一の英雄。
「バ、バッシュ様?」
こちらに向かって一直線に駆けてくるバッシュを認め、ルータスは腰を抜かしそうになった。シャンジャが何かバッシュの不興を買い、滅ぼされるのではと本気で思った。それぐらい、鬼気迫るバッシュは恐ろしかった。何故不興を買ったのかは分からないが、自分の首を懸けてでも、許しを乞わなくては。
怯え、腰を抜かすルータスや警備の者たちに比べ、アルトは平然とした様子でバッシュを迎える。否、何故、バッシュがここに居るのかと、怪訝な様子ではあった。
アルトの目の前に立ち止まったバッシュは、馬上から忌々し気にアルトを睨みつけた。視線だけで人を殺せそうだったが、アルトは全く動じていない。
「バッシュ様。どうかなさいましたか?」
「小僧、仕事はまだ終わらんのか?」
「仕事は終わりましたが……」
アルトがルータスに視線を向けると、ルータスはガクガクと首を縦に振った。ここで「社交がありますから」なんて言ってアルトを引き留め、バッシュの邪魔をする度胸など、ルータスにはない。
「ならばすぐに戻れ。サラナの一大事だ」
「サラナ様の?」
「食事もとれず、眠れず、泣いてばかりいる」
「なんですって? もしやお身体の具合が? 医者はなんと?」
アルトが真っ青になってバッシュに詰め寄る。周囲から声にならない悲鳴が上がった。殺気立つバッシュに喰って掛かるとは、死ぬ気なのかと。
「医者は役に立たん! だからお前を呼びに来たのだ! さっさと行け! 」
バッシュの怒声に、弾かれたようにアルトは動いた。留めてあった馬に飛び乗り、凄い勢いで駆け出して行く。どんどん小さくなるアルトの背中を見送って、バッシュは忌々し気に舌打ちした。
「バ、バッシュ様。お嬢は病気なんですか?」
「医者には診せたんですか?」
ダッドとボリスが、こちらも青い顔でバッシュに詰め寄る。ルータスやロダスも、バッシュの剣幕が恐ろしかったので遠巻きにではあるが、サラナの容体が心配で必死に聞き耳を立てている。
「医者には治せん病だ。治せるとしたら、あの小僧だろうよ」
憮然とするバッシュに、ダッドとボリスが怪訝な顔をしていたが。言葉に意味に気づき、ぱあっと顔を輝かせた。
「あのお嬢が、とうとう自覚したか!」
「こりゃぁめでたい!」
喜ぶ2人を、バッシュが睨みつけた。
「何がめでたいものか! あの忌々しい小僧め! サラナを泣かせおって! 」
本気でブチギレているバッシュに、ダッドとボリスが呆れた顔をしている。
「いや、その忌々しい小僧を、わざわざ先代様御自ら呼びに来たんじゃないですか」
「どれだけ全力で駆けたんですか。コイツ、何か非常事態が起きたって勘違いしてますよ。興奮しきっているじゃないですか」
いきり立つバッシュの馬に、ボリスは呆れた声を上げる、バッシュの愛馬は生粋の軍馬だ。その猛々しさは主人にそっくりで、まるで魔物を目の前にした時の様に興奮している。そんな荒ぶる愛馬を、バッシュは片手で難なくいなす。
「サラナが泣いていたのだ。仕方がなかろう」
開き直るバッシュに、ダッドが平坦な声で言う。
「シャンジャの街を騒がせたってお嬢が知ったら、怒りますよー」
「サ、サラナには内緒だ! 」
泣く孫娘にも弱いが、怒る孫娘にもとんと弱いバッシュは、慌ててダッドとボリスに口止めをしたが。
「いやー。アルト会長があんなに血相変えて帰れば、バレるでしょうよ」
「だなー」
「ぐっ!」
焦るバッシュに、ダッドとボリスはにんまりと笑った。
「そういえば、お嬢はシャンジャのグロマが美味しかったって言ってましたね」
「ああ。頬っぺたが落ちそうなほど美味かったって言ってたな」
「む! 確かに、サラナがシャンジャでは珍しくグロマを強請っておったな」
前回のシャンジャ滞在時、サラナの仕事が忙しくなり、バッシュが暇を持て余しているのを見かねてサラナが強請っただけなのだが。サラナのオネダリは珍しく、バッシュは喜んで海に潜り、グロマを狩りまくったのだ。
「よし! グロマを獲って、シャンジャの土産にしよう!」
そう言うなり、バッシュは愛馬をダッドに押し付け、上衣を脱ぐとざぶんと海に潜っていく。春とはいえ気温はそれほど高くないが、バッシュには全く気にならない。真冬の雪山で上半身裸でも風邪一つ引いたことはないのだ。
「今日は美味いグロマにありつけそうだな」
「ちょっといい酒を奮発するか! お嬢の前祝だ!」
まるで海の魔物のような速さで深海に潜っていくバッシュを見送り、ダッドとボリスは上機嫌で手を叩く。ルータスとロダスが呆れた様に見ているが、2人はグロマに夢中で全く気にならなかった。
その日、再びシャンジャのグロマ水揚げ量の記録は、英雄によって更新されることとなった。