106 デビュタント前の心構え
美味しい所はお祖父様が大体持って行きます。
自分の心と向き合っています。サラナ・キンジェです、ごきげんよう。
1か月のデビュタント準備期間。
美容と装飾品の準備と伯母様たちとのお茶会以外、特に予定もなく、ぽっかりと空いた時間が沢山あって。今まで後回しにして来た問題に、取り掛かっているのだけど。
私は一度婚約破棄された身であり、この世界の貴族令嬢としては傷物。しかも、婚約破棄の理由が子が生せないためという、令嬢としては致命的なものだ。そういう令嬢を娶るのは、嫡子が既にいて家政を取り仕切る後妻が欲しいだけの人とか、よほど嫁の成り手がない問題ありの人とか、若い娘なら何でもいい人とかになる。私にしてみれば、そんな所に敢えてお嫁にいかなくても、一生お一人様でいいと思っていたのだけど。でも、家族はそうではないのよねぇ。やっぱり、結婚はして欲しいみたい。
その理由は、前世の家族みたいに、結婚しない家族が恥ずかしいなんてことじゃなくて。純粋に、私を心配しての事だった。私がついつい、ネガティブに自分の事を卑下していることに、家族は敏感に察している。お父様もお母様も、そんな私に困った様に『お前は素晴らしい子なのよ』と抱きしめてくださるけど、私はどうしても自分というものに自信がもてなかった。だって、前世からずっと、私は選ばれなかったから。私が出会った人たちは、私以外の人を選んで去っていく。そんな事の繰り返しだったから。
もしもアルト会長までそうだったら。
そう考えただけで目の前が真っ暗になる。今までの比じゃないぐらい胸が痛い。
前世では何人か恋人がいた。でも、その始まりはいつだって、頼りない相手を放っておけなくて、世話を焼いている内にずるずると付き合ってという流れだった。別れる時もそれなりに辛かったけど、恋しいというよりはまた選ばれなかったんだという思いの方が強かった。
でもアルト会長は。彼が私じゃない他の人を選んだら、今までみたいに仕方ないって諦められるだろうか。彼の隣に他の人が並ぶのを想像しただけで苦しくなるのに。
「ああああー。なんだか考えていると暗くなってしまうわぁ」
自分の心と向き合うだなんて格好良いことを言ってましたけど、3分で心が折れました。カップラーメンを作る時間しか自分と向き合えないなんて。情けないわ。
「サラナや。一緒に美味い菓子でもどうだ」
そんなとき。絶妙なタイミングでお祖父様にお茶に誘われました。きゅるんとした眼で、お祖父様に誘われて断れる孫がいるかしら。断言します。いないわ。
卓の上には、侍女さんたちによる、厳しいカロリー計算を潜り抜けたオヤツたちが並んでおります。ええ。私の体重はデビュタントまでグラム単位で管理されておりますとも。私が一番映える形で作られているオートクチュールドレスが入らないだなんてこと、侍女さんたちが許すはずありませんもの。皆さんの眼が怖いわ。
「サラナや。デビュタントのエスコートのことで、悩んでいるようだな」
お祖父様が優しく問いかけて下さる。その声はふわりと、包み込むようで。
「は、はい……」
私は頬を染めながら、ついついその優しい声に促されるように頷く。ぐはぁ。お祖父様の包容力が半端なくて、逆らえる気がしない。
家族全員にアルト会長の事は共有されているのは確実だ。お祖父様とこの事を話し合うって、恋愛相談をしているみたいで、なんだか小っ恥ずかしいわ。
「ふんむ。セルトたちは、お前の好きにさせるつもりだと言っておったが。ワシらの時代では考えられん事だ。ワシらの頃は、今ほど自由ではなかったから、お前の祖母とは、家長同士が決めた政略だった」
私の前世でも、ちょっと前の時代は親が子どもの結婚相手を決めるのが普通だったものねぇ。恋愛結婚は稀だったようだし。
「貴族の婚姻というものは、政略ありきではあるが。最近は政略でも、本人同士の気持ちが尊重される。いくら家の為とは言え、嫌う者同士を無理に結び付ければ破綻するのは当然であろう」
前の婚約は決定的に本人同士の、というか、お相手が私を徹底的に嫌っていたので、破綻しましたものねぇ、確かに。それにしても、キンジェ家にとっては、災厄なみに迷惑だったわ。お陰で爵位返上までしましたもの。今はユルク王国に来れたので、逆に良かったと思いますけど。
「お前の前の婚約が無くなったのは、相手との相性が悪かっただけよ。いや、相手の女子の趣味が悪すぎたのだ。でなければ、お前の様に聡明な淑女との縁を解消する筈がない」
お祖父様に断言され、私は苦笑した。お祖父様の安定のじじバカに、なんだか安心する。
だからついつい、お祖父様に聞いてみたくなった。
「でもお祖父様。殿方は、守ってあげたくなるような、可愛らしい女性が好きなものではないですか? 私は男の方並みに仕事ばかりで可愛げもないから、好かれるとは思いませんわ」
特に、お祖父様のような強くて逞しい男性は、自分で生きていけそうな女性より、か弱い女性を守らなくては! という気になるのではないかしら。
「ふんむ? 女性はワシら男より弱い。守ることは当たり前だ。だが守る事と好意を持つ事は、別問題であろう? 」
お祖父様は心底不思議そうに仰った。しまった、お祖父様クラスの強さになると、人類はすべからく庇護対象だわ。そりゃぁ、庇護対象を全員好きになっていたら、全人類がお祖父様の恋人になってしまうわ。お祖父様の魅力をもってすれば、それも仕方がないけれど。なんて納得してしまう私も、相当、お祖父様好きだと思うの。
私がそんな事を考えている間に、お祖父様は懐かしそうに語りだした。
「そうさなぁ。他の男の気持ちなど分らんが。ワシの妻は、確かにか弱き女であった。だがこのドヤール領を守るワシの片割れでもあった。魔物を屠る力はなくとも、ワシの留守を守り、家を守り、領内を纏める知恵と胆力を備えた凛々しき女であった。ワシが妻を守ることもあれば、妻がワシを守ることもあった。ワシはそんな強い妻を心から尊敬し、愛した。先立たれてずいぶん経つが、ワシは今でも妻を恋しく思う。妻以外の女は、目に入らん」
ひゃあああ! なんて情熱的なの! お祖父様の哀愁が漂うお顔が素敵! ドキドキしすぎて、心臓が。心臓が痛いぃ。お祖母様ぁ。こんなにお祖父様に想われていて、羨ましすぎますぅ。
「他所から見れば、ワシの妻も、賢しげな可愛げのない妻だったかもしれん。だがなぁ、ワシにとっては強く美しい、最愛の妻であった。相手のどんなところを好きになるかは、その男しだいであろうよ。少なくともワシは、妻より弱い女に惚れるという事はない」
恋しい人を想うお祖父様の眼は、情熱的で、それでいてどこか寂しそうだった。お祖母様は私が生まれる前にお亡くなりになっている。お話でしか聞いたことがないけれど、とても素敵な方だったらしい。お祖父様は今でもそんなお祖母様を変わらずに想っていらっしゃるんだわ。
「ううう、むうぅぅ」
お祖父様の一途な想いにうっとりしていたのだけど、お祖父様が凶悪な顔で急に唸り声を上げ始めた。
え、急にどうしたんですか、お祖父様。なんだか物凄く機嫌が悪そうなんですけど。
「だ、だからだなぁ。一概に弱い女を守ってやりたいという理由で、伴侶を選ぶ奴ばかりではないといえる! ワシは、あの小僧もそういう奴ではないと、……見込んでおる! 」
あの小僧というのは、もちろん、アルト会長の事だろう。
お祖父様。アルト会長の事を評価していらっしゃるのに、それを認めたくないのか、アルト会長の話題になると、いつも凄い不機嫌になるのよね。
「だからといって、サラナが嫌なら、別に無理にあの小僧を選ぶ必要などないのだぞ! だいたい、まだデビュタントではないか! 婚約など、まだまだまだまだ早すぎる! サラナがずっとワシの側に居たいというのなら、ずっと、ずうっと、ワシの側におればよいのだ。サラナはワシがこの命をかけて守るから、何も心配はないぞ! うん、そうしよう! そうした方がいい! 」
いつものお祖父様らしい言葉に、私は思わず笑ってしまった。
ああ、残念だわ。もしもお祖母様が、ここにいらっしゃったなら。
お祖父様を叱って下さるのかしら。それとも、一緒に笑って下さるのかしら。
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