104 アルトの帰還
アルト会長が帰ってきました! サラナ・キンジェです。ごきげんよう!
10日程前に、キビリ―商会の丸石事業に目途がたったとお手紙を頂いて。とうとう本日お帰りですよ、アルト会長。当初の滞在予定を随分と短縮していたけど、大丈夫なのかしら。
事業の方も心配ではあったのだけど。カルドン領に同行したアルト商会の従業員によると。なにやら毎日、キビリ―商会の会長の末娘さんから熱烈アプローチを受けていたとか。それが嫌で仕事をちゃっちゃと終わらせたようです。アルト会長は最後まで末娘さんのアプローチには靡かなかったらしいのだけど。……ふぅん、そうなんだ。
まぁ、アルト会長がオモテになるのは知っていましたし。アルト会長宛の釣書を処理するのが大変だってカイさんが嘆いていたもの。今やユルク王国でも知らぬ人がいない大商会に成長しつつあるアルト商会の会長が独身なら、そりゃあ縁付きたい人は多いわよねぇ。
でも。アルト会長は縁談も綺麗なお嬢様たちからのお誘いもお断りになられていたし。今回のキビリ―商会からのお話も、お断りになったようだし。
こんなことで、私がくよくよ考え込むのは筋違いだと分かっているのだけど。頭では分かっていても、なんだか胸がもやもやする。寂しいような、悲しいような、切ない気持ちだ。
でもこんな事を考えるだけで、アルト会長に失礼だわ。アルト会長はお仕事でキビリ―商会をお手伝いにいったのに。しかも発端は私じゃないの。寂しいとか悲しいとか、何様のつもりなのかしら、私って。
どんどん落ち込んでいきそうになって、私はピシパシと頬を叩いて、気持ちを切り替えた。こんな時ほど、ゴルダ王国の妃教育で培った『淑女の仮面』の有難さが身に染みるわ。うふふ、私、内心を隠すの上手なんですよ。妃教育の先生方に褒められましたから。
そう思って、アルト会長をニッコリ笑顔でお迎えしたのだけど。嬉しそうに近づいてきたアルト会長のお顔が、段々と曇っていき。あら? どうしたのかしら。
「やあ。お帰り、アルト会長」
「ただいま戻りました、セルト様。詳しいご報告は後ほど。火急の要件がございますので」
先に声をかけたお父様を、アルト会長は丁寧に詫びつつ素通りして……? うん? ずんずんと私に近づいてくるわね。ど、どうなさったのかしら。帰ってきて早々、何か重要案件が勃発したの?
お父様は苦笑なさって、さっさと仕事に戻られるし。伯父様は「お帰り! アルト会長。また後でなー!」と軽快に討伐に行こうとしてお父様に捕まり、執務室に引きずられていく。家令のベイさんも、侍女さんたちも知らんぷり。ルエンさんは未だお戻りじゃないし。あら、重要案件なのに誰も対応しないの?
「サラナ様、こちらへ」
きゅっと手を握られて、久し振りの感触にほっこりしている間に、応接室に連れてこられました。侍女さんたちが神業の速さでお茶とお菓子を準備して、さささっと定位置の壁際に移動して空気と化している。あんなに何も聞こえませんみたいなおすまし顔をしているのに、内心はたぶんキャーキャーしているんだわ。プロの鑑ね。
「サラナ様。どうなさいました?」
私が侍女さんたちのプロ根性に圧倒されていると、私の向かいに座ったアルト会長からそう聞かれました。え。何がでしょうか。
「何かお気に掛かっている事があるのではないですか?」
そう聞かれて、ドキッとしました。思いつくのは、先ほどの嫉妬めいた感情ですけど。いやいや、私の『淑女の仮面』は完璧な筈。内心のもやもやや落ち込んでいたことなんて、アルト会長が気づくはずがない。
「気に掛かっている事なんて、何も……」
「何かお気に掛かっている事がありますよね? 」
穏やかですけど断定的に聞かれました。アルト会長は名探偵なのかしら。それとも心が読めるメンタリスト?
「……私には、お話ししていただけませんか?」
しょぼんと耳を垂れる子犬会長。
ヤメテ。そんな捨てられた子犬みたいな目で見られたら、色々と白状しちゃいそうになります。でもムリムリムリー。本人相手に、貴方に女性が言い寄っていると聞いて落ち込みましたなんて言えるわけないじゃない。
じっとアルト会長に見つめられて気づきました。アルト会長、私の事を心配しているのだわ。
私は心配事とか不満だとかは、口にしないようにしているから。アルト会長は普段から、私が溜め込み過ぎないように、気遣ってくれるのよね。ええ、気づけばいつの間にか色々と相談しちゃっています。有難い、有難いのだけど。
でも今回のは、絶対に相談出来ないぃ。でも絶対にあきらめそうにないアルト会長が目の前に居るのぉ。活路は、活路はどこなの?
苦肉の策として、私は口を開く。
「お、お母様に……。お母様に相談しますから……」
「カーナ様に……」
アルト会長が目を見開く。そして納得するように頷いた。
「そうですか。カーナ様にお話しされるのでしたら安心です。男の私には話しにくい事もおありになるでしょう。申し訳ありません。不躾でした」
いいえぇ。男性がどうのというより、今回の事はアルト会長だけには絶対に相談出来ないだけです。
そしてお気遣い自体は大変ありがたいのです。謝らないでくださいな。
「本心としては、サラナ様に頼って頂きたかったのですが。まだまだ、精進がたりませんね」
そう仰る哀しそうな表情には、大変色気がありまして。
色々な意味でドギマギさせられて、再会を喜ぶどころじゃありませんでした。帰っていらしたのは、本当に嬉しかったのですけどねっ!
◇◇◇
にまにまにまにま。
音が聞こえそうな緩んだ表情をなさっていますよ、お母様。そしてなぜかいらっしゃる伯母様。
アルト会長はお茶を召し上がった後、すぐにお仕事に戻られた。帰って来た当日からお仕事なんて、忙しすぎて倒れないか心配だったけど、本人が『サラナ様にお会いできて、生き返ったような気分です』とか仰って元気一杯でしたから、大人しく見送りましたとも。沢山手も繋いでもらったしね。
でも、久し振りのアルト会長のリップサービスに、免疫力の落ちていた私は一撃だったことをご報告いたしますわ。
そんなアルト会長は、お帰りになる間際、お母様に『サラナ様からご相談があるそうです。私ではお力になれず……。カーナ様。よろしくお願いします』と卒なくご報告なさったようで。お母様と何故か伯母様にも取っ捕まって本日、二回目のお茶会スタートです。これでは、お祖父様との定例のお茶会は無理ですね。お茶でお腹がタポタポですもの。今は討伐に出掛けているお祖父様がお帰りになったら謝らなくちゃ。ああ、しょんぼり子犬顔の幻影が見えるわ。
「そうねぇ。確かにアルト会長には相談しにくい内容だわねぇ」
「サラナの異変には気づくのに、その気持ちに気づかないアルト会長も、ある意味、鈍感ねぇ」
コロコロと笑うお母様と伯母様。戦っても全く勝てる気がしなかったので、早めの全面降伏をした私。いまちょっと後悔しているわ。だって、揶揄われる予感しかないもの。
「でも嬉しいわぁ。夢だったのよねぇ。娘から恋の相談を受けるの」
お母様の一言に、動揺しました。恋って。いや、いい年して恥ずかしい。
アラ何とかまで生きた前世でも、恋の相談なんてした事ないわ。恋の相談をされたことはあったけど。昔から、なんでも自分でなんとかしてきたから。人に頼るのは苦手なのよ。
「私、相談する事なんてなにも……」
構えて尻込みする私に、お母様は優しい顔を向ける。
「あらあら、サラナ。ごめんなさいね。いいのよ別に、相談だなんて重く考えなくても。そうねぇ。愚痴でいいのよ。こんな事が嫌だったとか。ちょっとイライラしちゃったわーとか」
「そうよぉ。カーナなんてねぇ。学生時代、セルト様が他の女生徒に授業の事で質問を受けて、丁寧に教えていらっしゃったのに、嫉妬していたのよー」
「まぁ、ミシェル。そんな昔の事をバラさなくてもいいじゃない。貴女だって、夜会でお兄様が他の女性と義理でダンスをしただけで、扇子をへし折ったくせに」
まあぁ。お2人とも結構、ヤキモチ妬きなのね。
「好きな人が他の女性と仲良くしていたら、嫉妬するのは普通よ。嫌な気持ちを溜め込んでいては、気分が重くなっちゃうじゃない。そういう時は、私たちとか、仲のいいお友だちとかに愚痴って発散しちゃいなさいな。それは嫌な思いをしたわねーって、共感してもらえるだけで、気持ちは軽くなるものよ」
お母様にそう言われて、なんだか目から鱗な気持ちでした。あら。相談って、そんな気軽な感じでいいのかしら。それ、仕事で嫌な事があった時に、憂さ晴らしに同僚と飲みに行く時と似ているのね。
考えてみたら私、前の世では仕事の悩みは溢せても、プライベートな悩みは誰にも言えなかった気がするわ。家族にとって私はずっと『しっかり者のお姉ちゃん』で、恋人にとっては『頼れる自立した女性』だったから。そんな相手に、弱みっていうものを見せるのに抵抗があったし、相談したら失望されるような気がしていた。
でも今世では。お母様に言われて、素直に愚痴を吐きたいと思えた自分がいる。友だちと言われて、何人か思い浮かんだ顔がある。きっと彼女たちなら、私の愚痴を聞いて共感してくれたり、怒ったりしてくれるんだろうなぁって、自然と思えたわ。
そう考えたら、今の私って、前世よりも断然、家族に恵まれているのだわ。相談しても大丈夫って、安心できる素地を作ってくれたのは、間違いなく今の家族ですもの。
ちょっとすっきりした私に、お母様と伯母様は、顔を見合わせて安心したように笑っている。
色々とお母様たちにはご心配をおかけしていたようだわ。すみません。
「ふふふ。相手に素直に嫉妬したと告げたら、面白い事になるのだけどねぇ」
「そうそう。大慌てで、弁解してくるのが可愛いのよねぇ」
「その後、挽回しようと気を遣って、甘やかしてくるのが堪らないのよね」
クスクスと笑い合うお母様と伯母様。
ちょっとその方法は、私には高等テクニック過ぎるので、聞かなかったことにします。
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