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101 シャールの受難①

最初はアルトの受難というタイトルにしようと思ったのですが。

思った以上にアルト会長が淡々と仕事をしているので、降って湧いた大仕事に翻弄されるキビリ―商会長シャールの受難にしました。アルト会長の存在が薄めな気がしますが、早くドヤールに帰りたいと頑張っています。

 キビリー商会にて。商会長のシャールはようやくここまできたかと安堵の息を吐いていた。

 紆余曲折がありながらも、丸石事業はなんとか順調に軌道に乗り始めている。


 王家とカルドン侯爵家の共同で行われる一大事業。その販売を担う商会として抜擢された時には、余りの規模の大きさに一度は辞退しようとも思ったが、長年にわたって恩義を受けてきたカルドン家に是非にと頼まれては、無碍にすることも出来なかった。

 

 全く勝手の分からぬ中、失敗すれば商会を畳むぐらいでは済まないと肝を冷やしつつ、ドヤール家お抱えのアルト商会の助けを借り、利益登録やら職人の確保やら販売ルートの確立やらと、次々と振って来る仕事をがむしゃらにこなして、なんとかここまでやってきた。キビリー商会から販売される丸石製品は、どれもユルク王国の貴族や平民たちの間で熱狂的に広まっている。


 一つの事業を起こすという事はこれほどの労力が必要なのかと、シャールはこの年にして初めて知った。老舗の商会に生まれ、主にカルドン侯爵家を相手に手堅く商売を続けてきたシャールにとっては未知の世界だった。アルト商会の助けがなかったらと思うと、ゾッとする。

 

 だが、軌道に乗り始めているからといって、安心するのはまだ早い。丸石製品の開発者であるロックは、未だにドヤール領の研究施設に留まっている。研究施設の方が設備も整っているため、試作品の制作がし易いというのがその理由だが、そのせいか、ドヤールからは毎日のように新たな試作品が届いていた。次から次へと良く思いつくものだと驚愕を通り越してもはや無の境地だ。いくら仕事をしても終わる気がしない。


 つい最近送ってきた試作品は、丸石を使った『保存容器』なるものだ。丸石の食器を応用して作られたようだが、蓋がついていて、中に液体を入れても溢れないように密閉できるのだ。台所仕事などしたことがないシャールにはピンとこない商品だったが、シャールの家の侍女たちは揃って大絶賛していた。虫の付きやすい穀物や野菜などの保存に最適らしい。保存容器の利便性には王都の騎士団やカルドン領の騎士団も注目していて、まだ量産体制も整っていないのに両者から大量の注文書が届いた。遠征や緊急時に兵糧を運ぶのに、密閉出来て軽い容器は大変便利らしい。


 目新しく画期的な商品は確実に大きな利益を上げると分かってはいるのだが、喜んでばかりもいられない。ドヤールから送られてくる全ての製品には、辞書の様な厚さの仕様書が付いているのだ。安全性を高めるために分厚い仕様書を作成するのがドヤールの流儀らしく、小さな部品一つ一つにまで細かな説明がついている。販売するには、これを読みこまなくてはならない。お陰でキビリー商会の従業員たちはここ数週間、家に帰る暇もないぐらい仕事に忙殺されている。


 それでもシャールや従業員たちがここまでやってこられたのは、()のサポートがあったからだ。


「アルト会長に来て頂いて、本当に、本当に良かった。我がキビリー商会だけでは、事業は失敗していただろう」


 シャールがしみじみと感謝の言葉を伝えると、アルトは困った様に苦笑した。


「いえ。シャール会長と従業員の皆様が頑張ったお陰ですよ」


 アルトの言葉に、シャールは感心する。仕事が出来るだけでなくこの謙虚さ。これほどキビリ―商会の為に尽力してくれているというのに、アルトは恩を着せる様な事は一つも口にしないのだ。 


 アルト商会の若き商会長。ドヤール家の事業を一手に引き受ける彼は、王都で幅を利かせている老舗の商会からはすこぶる評判が悪い。新参の商会のくせに老舗の商会を蔑ろにし、傲慢にも市場を独占していると批判されていた。


 だが実際のアルトからは、噂の様な傲慢さを全く感じなかった。アルトがやり手であることは確かだが、商会の利益を独占することなく、共に働く職人たちにきちんと分配している。彼らを尊重し、仕事をしやすい環境を整えている。

 それは王都の大手の商会の手法とは大きく外れたものだ。彼らは職人を使い潰すことを何とも思っていない。職人など、安く使えて、壊れれば新しく買い替られる消耗品のように思っているのだ。彼らからしてみれば、アルト商会のやり方は、職人を甘やかしている様に見えるのだろう。


 しかしアルトは職人たちを優遇した方が、長く利益を得られると分かっているのだ。その証拠に、アルト商会の傘下にある職人たちはアルト商会に強い恩義を感じ、一致団結して良い商品を生み出している。よその商会がいくら高い報酬で職人を引き抜こうとしても、皆、頑として首を縦に振らないらしい。

  

 それを面白く思わない古参の商会から、色々と嫌がらせを受けたり、脅されたりするらしいが、アルトはそれを飄々と受け流し、時には容赦なく叩き潰す。そのくせ利益をきちんと叩き出しているのだから、アルトの手腕がどれほど優れているのか分かるだろう。


 長く商人を続けてきたが、こんな商人もいるのだと、シャールは感銘すら受けていた。先祖の代からカルドン家との取引があり、波風のないか決まり切った商売をしてきた自分とは、全く違う生き方だ。なんと逞しく頼りになることか。


 国とカルドン家の大事業に抜擢されて肝を冷やしたものだが、アルトとの出会いは良き出会いだったと、シャールはしみじみと思っていたのだが。


 コンコンコンとタイミング良くノックの音が響く。シャールはビクッと身体を強張らせた。

 アルトの方に目を向けると、笑みが深くなっている。これだけ一緒に仕事をしているのだが、彼の表情を読むのはとても難しい。だが今は何となくわかる。機嫌が悪くなっている。

 ノックの音に応えないわけにもいかず、シャールは入室を許可した。待っていましたと言わんばかりに、やけにめかし込んだ末娘のカティがイソイソと部屋に入ってきた。先ほどまでの穏やかな時間が、ピリリと引き締まった気がする。


「お父様、アルト様。そろそろ休憩なさってはいかがでしょう。お茶のご用意が出来ました」


 ここのところ連日でキビリ―商会に顔を出す末娘の目的を、シャールは勿論分かっていた。

 カティは頬を染めてアルトに笑みを向けている。その目線には隠し様がないぐらい、恋情が込められていた。


「お、おお。カティ。ありがとう。ア、アルト会長、少し休憩にいたしましょう」


 可愛い末娘の誘いである。嬉しい筈なのにシャールの胃はキリキリと痛み、動揺で声が震えた。だが断るのもおかしいので、そうアルトに声を掛けると、アルトは微笑んで頷いた。


 カティ促され使用人がワゴンにお茶と茶菓子を乗せて運んできた。当然の様に、シャールの妻ユリアも一緒に執務室にやって来た。あっという間に応接スペースに茶菓子が用意され、当然の様にユリアとカティも席につく。シャールにとって、息抜きとは到底言い難い、緊張の時間が今日もやって来たようだ。


 ふんわりと薫る茶葉、甘さは控えめで小腹を満たすにはちょうど良い菓子。暫しの間、仕事から離れ、気分転換の会話を楽しむ。昔から、客との商談の合間に妻はよくこうして茶を振舞い、気分を和らげてくれるのだが。どうしたことか気分転換とは程遠い雰囲気だ。新たな商談が始まったような緊張感がある。 

 

「アルト会長。毎日お仕事ばかりに根を詰めるのはよろしくないわ。たまにはメルドの街の散策でもなさってはいかがかしら。この街には色々とお勧めな場所がありましてよ」


 優雅な所作で茶を楽しむアルトに、ユリアは優し気にそう勧める。『それでしたら私が案内しますわ』と切り出そうとしたカティを絶妙なタイミングで遮って、アルトは穏やかに微笑んだ。


「奥様の仰る通り、メルドは素晴らしい街ですね。私も仕事が終わった後は商会のビート君と一緒に羽を伸ばさせて頂いています。彼のお陰で随分とこの街の飲食店には詳しくなりました。彼は美味しい店をたくさん知っていて、本当に助かります」


「あらまぁ。そうですの。ビートが……」


「まぁ、ビートが……」


 ユリアの言葉が勢いを失って小さく消え、カティが不満そうに顔を曇らせる。ビートというのはキビリ―商会に勤める成人したての若い従業員だ。カラッと明るい性格で、目端が利いて、きびきびと仕事を熟すので、商会でも弟の様に可愛がられている男だ。彼はこの街で生まれ育ったので、それはもうこの街の事には詳しいだろう。


 出鼻をくじかれてしまったが、商会長夫人として普段から貴族相手でも卒なく社交を熟すユリアが、こんな事でへこたれるはずがない。その目はアルト(大物)を捕らえ、爛々と輝いていた。


「ですが……。男性のビートの案内だけでは、案内するお店に偏りがあるのではないかしら。メルドの街は武防具を扱う店が多いのですが、装飾品などの品ぞろえも悪くなくてよ。そう言った店はやはり女性の案内の方が……」

 

「いえいえ。ビート君はとても勉強熱心で。丸石製品を扱うようになってから、色々な事に興味を持ち、女性従業員や友人から情報を収集して、女性の好む店もいくつか開拓しているようですよ」


 ユリアの攻めはまたしてもアルトにヒラリとかわされる。全く付け入るスキがない。


「まああ。そうですか。またもやビートが……」


「ビート……。余計な事を」


 ギリリとユリアが握っているナプキンから不穏な音が聞こえ、カティが淑女らしくない事を呟いたが、シャールは気づかないふりをした。2人の様子に気づかぬように、アルトは手放しにビートを褒めた。


「彼の誰とでもすぐに打ち解ける性格は商人向きですね。男2人では躊躇するような可愛らしいカフェでも、物おじしないでずかずかと入っていきますから。お陰で、私の様な朴念仁でも、女性向けの店や流行りのカフェを楽しむことが出来ましたよ。キビリ―商会には本当に良い従業員がいらっしゃいますね」


「は、はは。お褒め頂きありがとうございます、アルト会長」


 ユリアとカティから痛いぐらいの視線を感じたが、シャールに他に何が言えたというのだろう。こんなに褒めて貰っているのに、『いやいやビートよりウチの娘の方が案内が上手ですよ』なんて言える筈がない。


「そういえば。ビート君と一緒にカラナ染めの職人の元に行きました。モーヤーンの糸をカラナ染めで染めたものも素晴らしかった。あれはきっと人気が出ますよ」 


 エルスト領のモーヤーン糸は、その絶妙な肌触りで最近、貴婦人からの人気が高まっている。エルスト領のメンフェイ染めでは淡く染まるが、カルドン領のカラナ染めでは色鮮やかなハッキリとした色に染まる。同じ材質でも全く違った様相になるのだから、面白いものだ。

 カルドン領にきたばかりの頃、アルトからモーヤーン糸をカラナ染めに使ってみてはと勧められ、職人に試してもらったのだが。思った以上に美しい色に染まり、さっそく製品化に乗り出している。

 

「アルト会長にエルスト侯爵と縁を繋げて頂いたお陰ですよ」

 

 シャールは本心でそう思っている。アルトは製品化の為に、人気のモーヤーン糸の取引をエルスト侯爵に打診してくれて、エルスト侯爵もアルトの紹介ならとすぐに取引に応じてくれたのだ。

 そもそもアルトがカラナ染めなどというマイナーなカルドン領の伝統工芸を知っていたのにも驚いたが、モーヤーン糸とよく結び付けたなと感心した。こういった小さな商売の種を見つける才能が、アルトには備わっているのかもしれない。


「丸石事業とカラナ染めで、カルドン領が今まで以上に賑わっていくといいですねぇ」


 にこにこと我がことのように嬉し気なアルトに、シャールはつられて微笑む。

 ごく自然に、話題は仕事の話へと移っていき。女性2人は殆ど笑顔で相槌を打つしかなくなり、本日の休憩時間も和やかに終わりを告げたのだ。




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11/12 コミック発売! 転生しました、サラナ・キンジェです。ごきげんよう。~婚約破棄されたので田舎で気ままに暮らしたいと思います①

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9/2アース・スター ルナより発売決定
転生しました、サラナ・キンジェです。ごきげんよう。~婚約破棄されたので田舎で気ままに暮らしたいと思います③~


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― 新着の感想 ―
丸石事業、マオや孤児院にも噛んで欲しかったですな〜
冷静に考えたら事業の開拓ペースが殺人的なんよ XとYouTubeとメルカリとAmazonとFacebookを 1年そこらで中小企業に新規事業開始させてる感じよ
大丈夫?ビート君の受難にならない?
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