イン・イン水の販売店①
神殿から平民街まではかなり距離がある。
神殿で用意してくれる馬車は割高になるので、本当にお金に余裕のある人でないと乗れない。やや余裕のある人は神殿を出た途中の道からでも馬車に乗る。
ユージンのお金入れの巾着袋はお腹を空かせている状況なので、歩いて帰るしかなかった。
家まで休まず歩いて帰るのは10才の子供には大変なはずなのだが、ユージンは治療水で弟と妹が治ると思うと何だか元気が出てきた。寝床に横になって苦しんでいる弟のユンタと妹のユレアを考えると、こんな足の痛みや喉の渇きは我慢できた。
ユンタとユレア!
もう少し頑張っていてくれ…
お兄ちゃんも頑張るから!
ユンタとユレアはまだ3才と2才だ。
お腹の痛みが発生した日、家族みんなが同じ症状で苦しんだ。
お腹の痛み、吐き気、下痢、悪寒など…食中毒のような症状だった。母親のユミルは数日で症状が和らぎ普段の生活に戻れたが、子供たちは中々治らなかった。
ユミルは貯蓄しているお金が少ないので、一日でも仕事を休むとその日の食事は一食しか食べれない。それも1人前を分け合うようなものだった。
体調の悪い中、ユミルは針仕事を続けていた。それに少ない貯金を崩しユージンを神殿に行かせた。神殿で治療を受けられず、戻ろうとしたところ聖女が特別に治療をしてくれた上、再度神殿を訪問してくれたら、ユンタとユレアまで治療してくれると言っていたとユージンに聞いた。
正直こんな都合のいい話をユージンに持ちかけた理由は分からなかったが、このままだと子供たちの身が持たないと思ったユミルは残りの全財産を使いユージンを神殿に行かせた。
本当に治療してもらえるか不安でいっぱいだったが、信じて待つしかない。
ユミルは手仕事をしながら、時々窓の外を見つめた。
遠いところから、小さな影がみえたので、ユミルは急いで外に出ていく。
そんなユミルに気づいたユージンが何かを大事そうに抱えて走って来る。
「お母ちゃん、帰ってきた。」
「お帰り、ユージン。」
「お母ちゃん、この治療水飲ませれば治るって!」
ユージンから水筒を受け取ったユミルは急いで、キッチンに向かいコップに治療水を注いだ。1つのコップはユージンが、もう1つのコップはユミルが持って寝床にいるユンタとユレアに向かった。
ユージンがユンタに治療水を飲ませ、ユミルがユレアに治療水を飲ませた。
ユンタとユレアは瞬時に治療水が全身に周り、ほんのり光った。
「ママ。」
「ユレアまだ痛い?」
「ううん。もう痛くない。でもずっと寝てたのにまだ眠い。」
「そう。もう少し寝なさい。夕飯の用意ができたら、呼ぶから。」
「はーい。」
ユンタも同じ反応だったので、ユレアと同じように寝かせて部屋をそっと出て行った。
ユミルの後ろにユージンが付いて部屋をでた。
彼女はユージンをぎゅっと抱きしめた。
「神殿まで大変だったわね。」
「ううん。これでもう安心だね!」
笑顔で話すユージンをみてユミルはそうだねと頭を撫でてあげた。
「お母ちゃん、僕、エリカ様と契約した。」
「エリカ様?」
「聖女様の名前がエリカで、エリカと呼んでいいって!」
「そう。契約ってどんな?」
そろそろ神殿の聖女の裏の顔がでるのかなと、心配になって聞いたユミルは意外な内容にびっくりする。
「治療水を販売する!インインと言っていた。」
「販売?インイン?」
「うん!エリカ様は天使だと思う。」
「ちょっと落ち着いて話をしてくれる?」
今日あった話をし始めるとユージンは自分の気づかないうちに興奮してしまい、順序よく話ができなかった。話の順番もめちゃくちゃでところところ話が抜けていたが、さすが母親!理解できないところを何度も質問して内容を理解した。
「なるほど〜聖女様は治療にきて治療を受けられず、帰る患者を不憫に思って治療水を作って売りたい。神殿で販売をせず、販売価格の10%を私たちに支払う代わりに販売をしてということだね。」
「そう。名前はもう考えた。いんいん水販売店!」
「いんいん?」
「多くの人が幸せになることを「いんいん」と言うよ。へへへ」
話しながら笑っているユージンをみながら、ユミルは考えた。
一体聖女様は何を考えているの?
100年くらい前、神殿で治療水を販売していたと聞いたことがある。何らかの理由で販売が中止になったのに、聖女様は無許可で販売しようとしている。
もしかしたらこれでユージンはもちろん私たち一家はどうなるか分からない。
でも危険かも知れないけど…
治療を受けられず、亡くなる人も多くいるし…
ユミルが販売をするべきだろうかと悩んでいると、何かがドアを叩く音がした。
トン。タンタン!
「何だろう?」
ユージンがドアを開けてみると、20㎝ほどの赤ちゃんカンガルーが片足を上げていた。
右足でドアを叩いていたカンガルーがドアを開けたせいでバランスを崩して転んだ。
コロンと一回、回転して立ち上がった赤ちゃんカンガルーがぴょんぴょんジャンプして家に入り込んだ。
赤ちゃんカンガルーは顔をぐるっと回して、ユージンとユミルに小さな手を振った。