7.昼休み
「ハインリヒ様、校舎をご案内致しますわ」
「ハインリヒ様、昼食はどのようなご予定で?」
「ハインリヒ様、武神様のご子息でいらっしゃるのですよね」
実技の授業が終わった昼休み。ハインリヒ様は女生徒たちに囲まれていた。
どうしようかな。こういう場面に慣れてるとは思えないから、助けてあげるべきか。
「ちょっとあんたたち、ハインリヒ様に近づくんじゃないわよ! ハインリヒ様はあたしの知り合いなのよ!」
囲んでる女生徒の群れを押しのけたのは、妹だ。……って、なにやってんの、妹は。
「ハインリヒ様ぁ。良かったら、あたしが校舎の中をご案内しますぅ」
さっきの女生徒を押しのけたときとは違って、猫なで声だ。はっきり言って気持ち悪い。
それにしても、ファルター殿下と正式に婚約者になったのに、なんでハインリヒ様に声をかけているわけ? ちょっと問題じゃないだろうか。
「お断り致します」
ガタン、と椅子が音を立てる。ハインリヒ様が立ち上がっていた。
「ピーア嬢、あなたはファルター殿下のご婚約者でしょう? そんな方と一緒にいるなど出来ませんよ」
「ええー、なんでですか? 誰と婚約してたって、別にいいじゃないですか。あたしが案内してあげるって言ってるんだから、遠慮しなくていいですよ?」
良いわけがない。
別に、婚約者以外の男性と話をしちゃいけないなんて事はないけど、行動を共にする……しかも話の流れからして、二人きりで一緒に行動するなど、問題しかない。
果たして妹のこの言動を、ファルター殿下はどこまで知ってるんだろうか。
ちなみに、ファルター殿下は私と同じ十六歳だ。普通に十五で入学しているから、学年が違う。
「お断りします。ピーア嬢はご存じですよね? 俺には好きな女性がいる。彼女以外の女性とご一緒するつもりはないから、そのつもりで」
周囲にいる女性陣も見回して、はっきり宣言してのけた。助けなきゃと思ったけど、必要なかった。女性陣は「ええーっ!?」と悲鳴を上げてるけど。
……って、あれ? 好きな女性って……。
「マレン、案内してよ」
ですよね。そうなりますよね。
笑うハインリヒ様は、見慣れた笑顔ではあるんだけど。気持ちを知ってしまった今、その笑顔を真っ直ぐ見返すのは難しかった。
*****
周囲の悲鳴を完全に無視して教室を出て二人になると、ハインリヒ様は大きなため息をついた。いつも通りというか、予想通りの反応に、恥ずかしかったことを忘れて、普通に話しかけた。
「疲れた?」
「ああ。……想像以上だよ。行った所で害になるだけだっていう先輩たちの言葉の意味が、よく分かった」
私はクスッと笑って、校舎内のある場所に向かって歩き始めた。
*****
「リスベス先生、こんにちは」
「あらマレン、いらっしゃい。……と、そちらは」
私が足を運んだのは、回復室。具合が悪いときとか、怪我したときに訪れるべき場所だ。
そこにいたのは、三十代も半ばを過ぎたかと思われる女性。笑顔で迎えてくれたその女性が、一緒にいるハインリヒ様に目をとめた。
「ローベルト様のご子息のハインリヒ様です」
「ああ、あの時の男の子ね。――お初にお目にかかります、リスベスと申します」
淑女の礼で挨拶したリスベス先生に、ハインリヒ様も敬礼する。
「ハインリヒと申します。何となくですが、顔を覚えてます。マレンの母上のお弟子さんですよね? そして、ウラ隊長の姉弟子ではなかったでしょうか?」
「あら、嬉しいです。本当に少し顔を合わせただけで、言葉を交わしたこともなかったと思いましたけど」
リスベス先生が朗らかに笑った。
辺境の地にいた回復隊の隊長で、私の上司だったウラ様。そして、リスベス先生。二人とも回復術士をしていた母のお弟子さんだ。リスベス先生が一番弟子。そして、ウラ様が二番弟子。私も小さい頃からの知り合いだ。
リスベス先生も最初は辺境の地で回復術士として働いていたんだけど、足が不自由になってしまった。
私とハインリヒ様が出会った場所。そして、母が命を落としたあの場所で、リスベス先生は魔獣に襲われて片足が完全につぶれてしまったのだ。
そうなると、辺境の最前線にいるのは難しくなる。
何かあって撤退するときもあるからね。その時、自分の足で動けない人は足手まといになってしまうから、リスベス先生は前線を離れたのだ。
「それで、武神と名高いシラー将軍閣下のご子息様が、なぜこの学校に? マレンもそうだけど、この学校で学ぶものなど、何もないでしょう?」
「仮にもこの学校に所属している先生が、それを仰っていいんですか?」
「心配ないわ。他の人の前では言わないもの」
オホホホ、と笑うリスベス先生に、私もハインリヒ様も苦笑したのだった。
何もなければ、明日も更新する予定です。