38.ファルター
俺は、小さい頃から兄という存在が苦手だった。
何をやらせても優秀な兄。
一を習えば十を理解する兄。
「兄殿下を見習って下さい」
「なぜファルター殿下は出来ないのですか」
「シルベスト殿下は、もうとっくに出来るようになっていましたよ」
勉強を習っても、剣を習っても、誰に習っても、言われることは同じだ。
兄はすごい。
俺は出来損ないだ。
そう言われ続けて、兄を好きになれるはずない。苦手だった。何をしても、いつも俺の上にいる兄の事が、嫌いだった。
いつからか、兄と比べられて反発するようになった。それを続けていったら、いつしか蔑むような目で見られるだけで、何も言われなくなった。
やっと静かになった。そう思ったけれど、「兄はすごい」「俺は出来損ない」と言われ続けた言葉は、何をしても俺を縛った。
「お前の婚約が決まった。お前は、メクレンブルク伯爵家に婿にやることにした」
国王である父のこの言葉も、ショックだった。
兄の婚約者は、公爵令嬢だ。しかも、婚約に当たっては兄自身の希望も反映されているらしい。
俺は何も聞かれてない。何も言われず、決定事項だけを言われた。相手は公爵家より格下の伯爵家。しかも、婿入り。お前は王族としてはふさわしくないのだと、そう言われているようだった。
だから、仲良くなんかするものかと思った。父の思い通りになんかならない。そう思って、婚約者の女が何を話しかけてきても、無視した。
その女が辺境の地に行ったと知った時、内心で喜んだ。辺境で死んでくれれば、俺の婚約はなくなる。俺が何もせずとも、父の思惑を崩すことができる。
後から考えれば、本当に子供っぽい感情だったが、それでもこの時は本気でそう思ったのだ。
それからも何も変わらない。俺は相変わらず出来の悪い王子で、学校で同世代の奴らからも先生からも、そんな扱いを受ける。
それが変わったのが、ピーアとの出会い。ピーアと一緒にいるのは心地よかった。
「お兄様なんて気にしなくていいんです。ファルター様はファルター様なんですから」
「ファルター様は王子なんです。もっと自信を持って良いと思いますよ?」
そうだ。俺は王子だ。俺はすごいんだ。
ピーアの言葉は、俺の自尊心をくすぐった。初めて俺は、自分自身の価値を見つけたような気がした。
そして、それをくれたピーアと、これからもずっと一緒にいたいと思った。それが叶えられるメクレンブルク家の当主という地位を、嬉しく思った。
父の決めた婚約を蹴って、ピーアと婚約すると決めた時は気持ちよかった。それを父が認めたときは、初めて「勝った」と思った。でも、それは完全に思い違いだった。
「穀潰しはいらぬ。今後さらに勉学に、剣術に励め。役に立たぬ場合は、王族の権利を取り上げる可能性もあることを覚えておけ」
父の言葉に、俺は自分の足元が崩れ落ちるかのような気分だった。俺に価値があるのは、俺が王子だからだ。じゃあ、王子じゃない俺に、一体何の価値があるんだ?
その恐怖から、俺はまた勉強や剣をやり出した。それでも、周囲の目は変わらない。
「シルベスト殿下は素晴らしいのに」
「なぜファルター殿下は、こうも出来ないのか」
また頑張れなくなる。それでも、ピーアが励ましてくれれば頑張れる。そう思ったのに、ピーアの態度が素っ気ない。
それを知ったのは、俺にわざと聞こえるような声でされていた噂話。
「ピーア嬢がハインリヒ様に声を掛けて誘ってるらしいぜ」
「ああ、知ってる。ハインリヒ様は断ってるらしいけどさ。でも、"聖女の再来"と"武神様のご子息"だぜ。お似合いだよな」
「出来損ないの王子が、邪魔だよな」
まさか、と思った。でも、剣術科と回復科の合同授業の時、ピーアは俺を見ていなかった。目を輝かせて見ていたのは、ハインリヒだった。
この男に勝てば、ピーアは俺を見てくれるんだろうか。
都合良く、手合わせの相手となったハインリヒに、がむしゃらになってぶつかっていった。だが、ハインリヒは余裕で俺の攻撃をいなしていく。反撃すらしてこない。お前なんか、その必要すらないと言われているようだった。
だから、驚いた。
「ずっと続けていれば、いつか俺に追いつくことも不可能ではないかもしれませんけどね。何もやらなかったら、可能性はゼロですよ」
ハインリヒが俺に言った言葉。
やっても無駄だと言わないのか。兄ならもっと出来ると言わないのか。
続けていけば、俺にも可能性はあると言ってくれるのか。
社交辞令かもしれない。それでも、今まで誰も、俺にそんな事を言ってくれた人はいなかった。
嬉しいのか悔しいのか、自分でもよく分からなかった。でも、またやってみようと思ったのは、確かだった。
ピーアがハインリヒに近寄っている。俺の方には来ない。
それはショックではあったけれど、何もしようとしない男が相手では、それもしょうがないと思えた。
だから、その日の昼休み、ピーアを誘った。伝えようと思ったのだ。これからは頑張ると。真面目に取り組むと。だから応援して欲しいと、そう言おうと思ったのに。
――ダンジョンが、現れた。
呆然としている間に、ダンジョンから魔獣が出てきた。その魔獣が、ピーアを害そうとしているのを見て取った途端、俺の足は動いた。
気付けば、ピーアの前に体を投げ出していた。俺が代わりに魔獣の攻撃を受けたのだ。
それからの記憶はない。
気が付けば近くの教室に横になって寝かされていて、俺の傷をマレンが治してくれた、という話を聞かされた。
マレンが治療している姿を見る。すごかった。
ピーアは、俺の傷を見て逃げ出したらしい。マレンは全くひるんでいない。怪我人に優しく声を掛けて、回復魔術を発動させている。
俺がマレンと婚約破棄をすると言ったとき、父がショックを受けていた事を思い出した。
ああ、そうだな。俺は何を見ていたんだろうか。父は、俺のためにこんな素晴らしい女性を婚約者としてくれていたのに。これじゃあ、出来が悪いと言われても、仕方がない。
ようやく、俺はその事実を認めた。
俺は出来が悪い。それでも頑張りたいと思ったのだ。
ダンジョンから解放された。
兄が、ハインリヒと一緒にダンジョンに乗り込んだという話を聞かされた。そんな兄のことを、周囲はますます褒めそやす。評価が上がっていく。
俺は何もしなかったと言われる。こんな時まで出来損ないかと、少しくらい役に立って見せろと言われる。頑張りたいのに、その気持ちが萎んでいく。
だから、父に言った。
*****
「「留学!?」」
ハインリヒとマレンの声が重なった。
モンテリーノ学校の相談室。
よほど大声じゃなければ、外には聞こえない。
「ああ。父の了承は得ている。近いうちに、俺は留学することになる」
ハインリヒとマレンは戸惑っている様子だ。それもそうか。急にそんな事を聞かされれば、そうもなるだろう。
「……ずいぶんと急ですね」
「最初は、もう少し時間をかけて準備する予定だったが、ピーアの件があったから、早めたんだ」
ピーアのことを思い出すと、心が苦しくなる。俺が婚約者だったのに、ピーアの暴走を止めることができなかった。
何もできないまま……何も気付かないまま、ピーアは暴走し一人罰を受けて、平民に落とされた。
俺は何も罰を受けていない。何もしていないのだから当然だろうけど、周囲はそう見ない。婚約者をちゃんと見ていなかった俺が悪いのだと、陰口を叩かれているのを知っている。
ますます俺の評価は下がった。あえて言うなら、それが罰だろう。
分かっているが、それでも辛い。だから、話を早めてもらった。
「頑張りたいと思っても、俺は弱いから。周囲の目が怖い。兄と比較されるのが怖い。何をしても無駄だと言われるのが怖い。だったら、兄と比較されない場所に行ってやると思ったんだ」
その考えも、人によっては"逃げ"だと言う人もいるかもしれない。でも、少なくとも俺にとっては違う。それは、一歩前進だ。
「きっと俺にも何かできることがある。為せることがある。留学して、それを見つけたいんだ」
この二人ならきっと俺を応援してくれるだろう。そう思えるから、俺も素直に自分の思いを口に出来る。
「そうですか。殿下がそう決められたのなら、それが一番良いのだと思います。頑張って下さい」
案の定、ハインリヒは俺の考えを支持してくれる。
マレンは、少し心配そうだった。
「私も応援します。しますが……国王陛下が寂しがりそうですね」
マレンのこの言葉には、複雑な気持ちになった。息子の俺よりも、ずっと正確に父の感情を悟っている。
「正直、泣かれた。留学したいと言ったとき、俺の考えていたことも全部ぶちまけたら、何も気付かず悪かったと謝られた。父を嫌いになってくれるなと泣かれたときには、どうしようかと思った」
嫌いにならないでくれ、はむしろ俺の言葉だったはずなのだ。
父に愛されていると知って嬉しかったが、ギュッと俺を抱き締めたままオンオン泣いて泣き止まない父に、誰か助けてくれと思ったもんだ。
でも、そうやって抱き締めて泣いてくれる父がいるから、立派になりたい。その姿を見て欲しいと思う。
「俺は、一から学び直す。今度こそ、俺に出来る精一杯を頑張る。それを、どうしても二人には話しておきたかったんだ」
真っ直ぐに、二人を見た。
この二人にもいつか変わった俺を見て欲しいと、そう思う。




