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第九十九章 枯れ木令嬢と三人の母親


 ヘイゼス=シュナウザーは、息子が逮捕されるところを遠目ではあるが目撃していた。それ故に息子を捕まえた人間の顔を覚えていた。

 まるでこの国の象徴である真紅の薔薇のような、真っ赤な髪と鮮やかな緑色の瞳をした、目を見張るように美しい若者だった。

 アサシンとして一流の腕を持つ息子の攻撃を、余裕の表情で華麗に(かわ)し、なんと剣だけで対抗し、精霊の力を借りることなく息子を後手に縛り上げた。

 そして息子の耳元で何か囁いていた。すると、息子は驚いた顔をしてその騎士を見ていた。

 

 その若い騎士の顔を目に焼き付けたヘイゼスは、母国から戻るとすぐにその若者が誰なのかを調べた。

 あれだけ目立つ容姿なのだから、すぐに見つかると思った。案の定その正体はすぐに判明した。

 そして息子が驚いていた理由もわかった。

 

 その若い騎士はなんと、花男爵と異名を持つプラント男爵だった。

 そう、息子が昔騙して没落寸前まで追い詰めた男爵家の後継者だった。

 その花男爵はまだ学生時代に跡を次ぎ、王太子の友人という伝手もあって、王室御用達の農園となり、今ではかなり羽振りがいいという。

 そして彼の婚約者は現ウッドクライス伯爵の一人娘だった。そう。孫娘のシンディーが苛め抜いたというご令嬢だ。

 

 さぞかしあの花男爵と婚約者のご令嬢は息子と孫娘を恨んでいることだろう。彼らが幼き頃から辛酸を舐めてきたことは想像に難くない。

 そう。彼らは我々とは全く関係がないのに、一方的に被害を被った完全な被害者なのだから。

 

 頭では理性的にそう思った。しかし、心ではどんな悪事をしていたとしても、自分は愛する息子と孫娘を守らなければいけない、そうヘイゼスは思った。

 紐で縛られ、罪状の書かれた板を背負わされ、市中を引き回されるなんてそんな醜態を晒させるわけにはいかない。絶対に許せない。どんなことをしても阻止してやる!とヘイゼスは決心した。

 そして敵情視察とばかりに王都の市場通り近くの路地裏を歩いていた時だった。ヘイゼスの足元に、風に飛ばされてきたチラシが張り付いた。

 何気なくそのチラシを手に取ったヘイゼスは目を見張った。それは近々市場の中にオープンする花屋の、プレオープンのお知らせだった。しかもその花屋は生花だけではなく、草花に関連する小物も置かれているという。

 

 しかしもちろんそんなことにヘイゼスが驚いたわけではない。

 なんとその店のオーナーの名はロマンド=プラントと記されていたからだ。

 しかも共同経営者はこの国一番の刺繍名人であり、一番人気の洋裁店のオーナーであるマダム=フローラだと。

 

 買い物をしてくれたお客様先着二十名様には、マダム=フローラの刺した刺繍入りハンカチを、本人から手渡される、と書かれてあった。

 

 マダム=フローラ……

 その有名洋裁店オーナーが、花男爵の産みの母だということは調べがついていた。

『これだ!』

 ヘイゼスは心の中でこう叫んだのだった。

 

 

 ✽✽✽✽✽

 

 

『マックス=ロック生花店』のプレオープンの前日、それほど広くない店内の中では多くの人々が忙しく動き回っていた。

 

 店のオーナーはロマンドとフローラだったので、プラント男爵家とマダム・フローラの店から手伝いが来ていた。

 しかし、フローラの商品がこの店に置かれることになったのは、プレオーブン五日前のことだった。

 店内のディスプレイを急遽変更し、チラシを作成し、拡声器を使って市場や大通りをそのチラシを配りながら練り歩き、それはもう大変だった。

 しかし、『マダム=フローラ洋裁店』の職人達が一番大変だったろう。突然予定になかった小物作りを、突貫作業で仕上げる羽目になったのだから。

 

 フローラはこのお詫びとお礼は必ずするから、頑張ってと皆に発破をかけた。そして自らマーガレットやリアナとともに、ポーチやハンカチに刺繍を刺し続けたのだった。

 

 みんなが必死に頑張って、ようやく全ての作業を終わらせたのは、深夜になってからだった。

 フローラの洋裁店の食堂には、プラント男爵家の厨房とカフェレストラン『ジュリア・ガーデン』のスタッフが夜食を準備してくれていた。 

 それをみんなと一緒に食べ、ハーブティーを飲んでいたリアナがこう言った。

 

「美味しかったわ。うちのシェフが一番だと思っていたけれど、プラント男爵家やジュリアのところの料理も負けてないわね」

 

「ありがとうございます」


 ジュリアが礼を言うと、リアナは今度はこう呟いた。

 

「これがいわゆる最後の晩餐っていうものかしら?」

 

「リアナ様、縁起の悪いことを言わないで下さい。それに、リアナ様はここまでで結構ですから。

 かわいいお坊ちゃまが三人もいるリアナ様を危険に晒すわけにはいきませんもの」

 

 フローラがこう言うと、リアナはキッとして片眉をつり上げた。

 

「私はジュリアの母だと自負しています。息子と変わらなく愛しているの。

 貴女のジュリアへの思いはロマンド様へのものとは違うの? ジュリアは貴女のただの義理の娘なの?」

 

「違います。嫁としてではなく、娘として愛していますわ。

 ただ私は、人質となるなら人数が少ない方がいいのではないかと思っただけです。

 それなら私だけでいいかと。だって、敵が恨んでいるのは仲間を捕まえたロマンドなのでしょう? それなら狙うとしたら母親の私ですよね?」

 

 フローラがこう言うと、マーガレットが静かに口を挟んだ。

 

「ロマンド様とフローラさんのお店が開店するなら、ロマンド様の婚約者のジュリアさんも絶対に来ると思っているはずですから、ジュリアさんも狙われる対象でしょう。

 ですから母親として私とリアナ様も娘を守ろうとするのは当然ですわ。確かに人質が多いと却って邪魔だとは思いますが。

 ねぇ、ヴィオラさん、貴女はやはり途中で他のサクラ(・・・)の皆様と一緒にお店から離れた方がいいのではなくて?

 何かあったら貴女のお母様や弟さん達に申し訳ないわ」

 

 するとヴィオラはニッコリと笑ってこう言った。

 

「お気持ちはありがたいのですが、まさかこの店の店長が、お客様と一緒に逃げるわけにはいきません。

 そんなことをしたら、父の名誉まで傷付けてしまいます。せっかく男爵様がこの店に父の名前を付けて下さったのに」


 そうなのだ。明日、いや日付けが変わったので今日プレオープンする『マックス=ロック生花店』のマックス=ロックとは、ヴィオラの亡くなった父親の名前だった。

 

 植物の目利きでは並ぶ者がいなかった花屋だった。しかも誰よりも植物に詳しく、植物に愛情を持っていた人物だった。彼の店に草花を卸せる農家になることが、かつては園芸家の目標だったくらいだ。

 もちろんプラント農園もそうだった。残念ながら認めてもらう前に主が亡くなって店は潰れてしまったが。

 

「リアナ様が最後の晩餐とおっしゃったのは、決して怯えていらっしゃるからではなく、それくらいの覚悟で臨むのだという意味だったのですよね?

 ジュリア様も準備だけで十分だと私に何度もおっしゃって下さいました。

 でも、ジュリア様が側にいて下されば、命の危険などはないと私は思うのです。何故なら、ジュリア様は本当にお強いからです。そのことをルフィエさんの次くらいには私も知っています。だから皆様も、何の心配も要りませんわ」

 

 ヴィオラは本当に晴れやかな表情でこう言った。

 それを聞いて、ジュリアはちょっとだけ困ったように微笑んだのだった。




 読んで下さっでありがとうございました!

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