第九十三章 枯れ木令嬢と花男爵の再会
ずっと思い続けていた方と婚約ができて本当に良かったわね、と母親から言われたジュリアは頷いた。そしてこう言った。
「はい。でも、お母様とお父様もずっと思い合っていたのですよ。私達のようにずっと離れていても」
ジュリアの言葉にマーガレットは悲しい顔をした。
プラント男爵家で世話になるようになってから、娘やロバートから夫だというハーディスの話を聞かされたが、未だに何一つ思い出せないからだ。
それに記憶のない彼女からすると、客観的に見て、本来の自分が置かれていた立場が幸せだったとはとても思えなかったからだ。
夫婦といっても正式に認められた婚姻関係ではなかったようだし、一緒に暮らしていたわけでもない。
しかも逢えるのは年に数日……
夫だったというウッドクライス伯爵の立場や事情を聞かされて、お気の毒だとは思うし、過去の自分もきっと恨んだり憎んだりはしていなかったとは思う。
しかし本当に夫を愛していたのかしら、と疑問には感じた。いくら国家秘密とはいえ、彼の実情を一切知らされず、ただひたすら耐え続けていたとするなら、哀れな女だなとも思った。
もしかしたら元伯爵夫人に騙されたというより、騙された振りをして、夫の元から逃げ出したのではないか……そうマーガレットはふとそんなことを考えたのだった。
マーガレットが物思いに耽っていたら、いつの間にか姿を消していたジュリアが大きめの四角い缶を持ってきた。
「お母様。お母様が大切にしていた宝物をお返しします。ずっと私が預かっていたので」
「宝物?」
マーガレットはジュリアからその缶を受け取りながらも小首をかしげた。
「はい。お母様がとても大切にしていたものですよ。どうかお部屋に戻って確認してみて下さい」
それは、ジュリアが何よりも大切にしていた物で、ウッドクライス邸に住んでいた頃は、薔薇園の花壇の土の中に埋めておいていたものだ。
あの場所は、無闇に人が入れない場所だったので、大切なものを隠しておくには最適だったのだ。
母が父からの手紙の入った缶を手にして自分の部屋へ向かった後、ジュリアとロマンドはどちらともなく手を結んで庭に出た。
そしてジュリアはこのところずっと通っていた薔薇園へロマンドを誘導した。
「ロマンド様、この薔薇なのよ、貴方と私を繋いでくれていたお花は」
ジュリアは一際大きな花を咲かせている薔薇の木の前に腰を下ろして、ロマンドを見上げながら言った。
「ああ、この薔薇なのか。道理でこの花だけが一段と真っ赤に輝いているわけだ」
「えっ?」
「僕の愛の囁きを聞かされてばかりいたから、きっと照れて赤味を増したのだろう」
ロマンドの思いも寄らないキザなセリフにジュリアは驚嘆した。
しかし、ロードでは似合わないであろうそのセリフも、今のロマンドには不思議と違和感がなかった。
いつの間にか彼は立派な大人の男性になっていたのだと、ジュリアは今更ながらに気付いて、胸の動悸が激しくなった。
確かにこんな素敵な人に愛の言葉を語られたら、誰だって赤くなってしまうだろう。
ジュリアは握られていた手を離すと、ロマンドの背にその両手を回して、真っ赤になった顔で見上げた。
「ずっとずっと貴方の帰りを待っていました。無事に戻ってきてくれてありがとう。貴方にやっと逢えて嬉しい」
ジュリアの方から抱き付かれる日が来るなんて、想像もしていなかったロマンドは仰天した。
そして、それと同時に天にも昇るほどの幸福感に包まれた。
ロマンドはいつもジュリアから、貴方はまるで真紅の薔薇のようだと、男としては少々抵抗感のある比喩をされてきた。なんなのだ、真紅の薔薇みたいって…と思っていた。
しかし、今自分を見上げて真っ赤になっているジュリアを見て、ああ、確かに真紅の薔薇だなと思った。
まだまだ固い蕾だと思っていたのに、こんなに美しく咲き始めていたなんて。
ロマンドは花を散らさない程度にジュリアをギュッと抱き締め返した。
「早くジュリアと結婚したい」
「私も」
「だけど、マーガレット様とようやく再会できたのだから、閣下と三人で家族として一緒に暮らしたいだろう?
まあ、お二人が復縁されるかどうかはまだわからないが」
言いにくそうにロマンドがこう言うと、ジュリアは首を振った。
「父と久し振りに逢った時はそんなことも考えましたが、別に私が結婚しても、家族であることに変わりはないですよね。
それに、父と逢えなくなるわけではありません。むしろ、独身時代より逢えるのではないでしょうか?」
ジュリアがクスッと笑ったので、それはそうだねとロマンドも笑った。
「ありがとう、そう言ってくれて。でもね。やはり一年くらいはジュリアにご両親と共に過ごしてもらいたいんだ。それ以上はとても待てそうにないけれど」
「私の方こそありがとう。そう言ってくれて。でも、両親と一緒に暮らすにはまだ時間がかかるのでしょう?」
ジュリアが辛そうな顔をしてロマンドを見つめた。すると、彼は微笑みを浮かべながら、ジュリアの髪を優しく撫でながらこう言った。
「実はね、五日ほど前にウッドクライス伯爵家の人間の判決が下りたんだよ」
「えっ? そうなの? 知らなかったわ」
「国王陛下は閣下との約束を破ってね、今回の裁判を非公開にするつもりだったんだよ」
「そんな! それでは何も変わらないわ」
「その通り。さすがにも閣下も静かに切れてね、防衛統括大臣を辞職すると宣言されたのだ。
陛下は慌てて宥め賺そうと、閣下を王城に召喚したが、閣下は一切それに応じなかった。
そして、閣下が防衛統括大臣を辞職されたことが、あっと言う間に王城に広まってね、大騒ぎになった」
「お父様が皆さんの前で公言されたの?」
「いいや。ルードルフ侯爵やザッカード公爵が、高位貴族の方々を一堂に集めて今回の件について説明したんだ」
ザッカード公爵とは、王太子殿下の婚約者であるエバーロッテの父親であり、近衛騎士団長である。
「この国を外敵から守っているのは、主に我々特殊部隊だ。
確かに我々は一小隊くらいの人数しかいないが、少数精鋭で、他の騎士団が束になっても敵わない力を持っている。
それは高位貴族なら皆承知している。
閣下は国の防衛のトップだが、特殊部隊の長でもある。閣下がいなければその他の将軍達では特殊部隊を指揮できない。
つまり国力は半分以下になるってことなんだ」
ロマンドの説明にジュリアは目を丸くした。父は本当にこの国にはなくてはならない人だったようだ。それなのに、どうしてここまで王家は父を蔑ろにし、踏み付けるような真似をするのか。
王家への怒りで、ジュリアがブルブルと体を震わせていると、ロマンドがこう言った。
「ねぇ、ジュリア、王侯貴族のもっとも大切な役目ってなんだと思う?」
「大切な役目?
そうねぇ。色々あるのでしょうけれど、最終的にはやはり国民の生命と財産を守ることかしら?」
「その通り。そして国王は今、その一番大切な国民の生命と財産を危機に晒しているってことなんだよ。
閣下が防衛統括大臣を辞任せざるを得ない状況に追い込んだのだからね。
これまでも高位貴族の方々は国王陛下に色々と苦言を呈してきたらしいのだが、とにかくとらえどころのないお方で、飄々としていて、全く埒が明かなかったらしい。皆ホトホト参っていたらしい。
でも結局陛下は愚かだよね。このままのんべんだらりと誤魔化していけると思っていたのだからね。
息子が立派に成人していて、今では陛下でなくても、彼の代わりを務められるってことに気付いていなかったのだからね」
クックッとロマンドは笑った。
代わりとはロマンドの親友、つまりスチュアート=グリーンウッド王太子のことだろうと、ジュリアは察した。
学生時代の彼は頭でっかちのヘタレ王太子だったという。しかしエバーロッテと婚約した際に、ようやく覚悟ができたらしい。夜会の時に友人となったエバーロッテとジュリアは、まめに手紙の交換をしていて、彼女から婚約者の話を聞いていた。
「それでね、今回のことはさすがにもう見逃せない、と皆が一致団したらしいよ。国の存亡に関わる深刻な問題だからね。
それでとうとう今日の御前会議で、満場一致で現国王を退陣させることに決定したんだよ。
まあ例の事件が解決するまでは正式には発表されないが、これからは単なる飾りものだ」
ジュリアはロマンドからその話を聞いて、思わずにこう呟いた。
「クーデター?」
と。
読んで下さってありがとうございました。
話はようやく最後までできたので、見直し作業が済み次第投稿します。
最後まで読んで頂けると嬉しいです!




