第九十二章 枯れ木令嬢のお願い
急遽四年ぶりに母と暮らすことになって、最初は戸惑うのではないかと思っていたジュリアだったが、それは杞憂に終わった。
記憶を無くしていても、マーガレットはやはりマーガレットだったからだ。生真面目でシャキシャキ、ハッキリしていて、働き者。そして誰にても気さくで優しい。
シルキィーことマーガレットはすぐにプラント男爵家に馴染んだ。
彼女はただの居候という立場をちゃんと弁えつつも、お世話になっているからと、さらりと手伝いをし、さり気なくみんなをフォローし、使用人達からもすぐに頼られる存在となった。
そして特に侍女長のアニスやメイド長のケリーとはすっかり仲良くなった。
実は彼女達は二人とも、夫を早く亡くして女手一つで子供達を育て上げた苦労人だった。だから、マーガレットのことを他人事のように思えず、自分と重ねてしまったので、積極的にコミュニケーションを図ってくれたのだ。
そしてマーガレットの方も、生きることに精一杯で何の趣味もないと漏らした彼女達に、
「子育てが終わった今こそ好きなことをしましょう。趣味を持つのはいつだっていいのです。やりたいと思った時がやり時です」
と発破をかけ、孫に何か手作りの物を贈りたいという侍女長のアニスにはぬいぐるみの作り方を教え、隣国に住む息子夫婦に手紙を出したいというメイド長のケリーには、手紙の書き方講座を始めたのだった。
そんな様子を見たラーメがしきりに感嘆していた。
「さすがはジュリア様のお母様ですね。とても記憶をなくされているとは思えないくらいパーフェクトですね。しかもパワフルです」
「それはラーメ様のおかげですわ。たった一週間で母がこんなに元気になるなんて思いもしませんでした。ラーメ様の癒やしのパワーって、時間が経った怪我でも有効だったのですね。驚きました」
ジュリアは両手を組み、尊敬の眼差しでラーメを見つめながら感謝の言葉を改めて述べた。
するとラーメは恥ずかしそうにこう言った。
「私の力だけではありませんわ。マーガレット様があれほど急速に回復されたのは、私の生物を癒やす力にジュリア様の緑のエネルギーが合わさったその相乗効果ですわ。
そうでなかったら、四年前の傷跡があれほど良くなるわけありませんもの」
「そうなんですか?」
「ええ。怪我をして数日くらいまでの傷でないと。
でも、ジュリア様が注がれた精気のおかげで、マーガレット様の細胞が活発化されたからこそ、私の治癒魔法が効いたのでしょう。そしてもちろんこのプラント男爵家の庭園の植物パワーの力も加わったでしょうし」
マーガレットがプラント男爵家に来てから数日間は、ジュリアは、まるで乾いた砂地に水を与えるような感覚に襲われていた。
どんなに精気を送り込んでも、母の体には何も反応がなかったからだ。終焉が見えない気がして、ポジティブな彼女でも絶望しかけたくらいだった。
そして四日目、とうとうジュリアは力尽きて倒れそうになった。その時、マーガレットはジュリアを心配して娘の手を振り払おうとしたが、彼女は頑なに母親の手を離さなかった。
その時、ジュリアが心の中でこう強く願った。
『スパティ様、どうか私を助けて下さい。私にはもっと多くの精気が必要なのです。大切な母を緑の精気で満たしてあげたいのです。だから……」
『わかった』
スパティは即答した。
するとマーガレットに触れているジュリアの手の上に、スパティの手が重ねられた気がした。
その瞬間、パッと眩い濃い緑色の光が四方八方から飛んできて、ジュリアの手からマーガレットの体の中へと吸収されていった。そしてそのあまりの衝撃に、ジュリアとマーガレットはその場で気を失ったのだった。
そしてその後、先に目を覚ましたジュリアは隣に横たわっていた母親の姿を見て驚愕した。あんなにシワだらけだった肌が、見違えるように瑞々しくなっていたからだ。そこへノックの音と共にラーメが部屋に入って来た。
「良かったわ、ジュリア様が気付かれて。先程の閃光はもしかしてスパティ様のお力ですか?」
「はい」
「やはりそうですか。それにしても、スパティ様のお力って本当に凄いですね。マーガレット様をここまで回復させるなんて。これなら治癒魔法も効くかもしれませんね」
と、ラーメはニッコリと笑った。
そしてその結果、マーガレットの顔の左側の引き攣りは気にならない程小さくなっていた。そう。四年前の彼女とそう変わりなくなっていたのだった。
「お母様……」
ジュリアが思わず呟くと、その声が聞こえたか、マーガレットは目を開けた。
そしてその鮮やかな緑色の瞳でジュリアを見ると、勢いよく上半身を起こして娘の両肩にしがみついた
「ジュリアさん、大丈夫? 体は何ともない?」
「はい。お母様は?」
「えっ、私?」
マーガレットは、ようやく自分も気を失っていたことに気付いたらしく、慌てて体を動かしながらこう言った。
「何ともないわ。というより、むしろ何故かとても体が軽くて調子がいいし、気分がいいわ」
そしてラーメから手鏡を手渡されたマーガレットは、それを覗いて吃驚したのだった。
そしてマーガレットがプラント男爵家に滞在するようになってから二週間が経った頃、ニか月半ぶりにロマンドが男爵家に帰ってきて、ようやくマーガレットとの再会を果たした。
ロマンドはマーガレットの顔にまだ少し残る傷痕を見て少し辛そうな顔をしたが、それでも久し振りに逢えて嬉しそうにしていた。彼女が亡くなっていたと聞いた時には酷く悲しい思いをしたので。
あの酷い状態の母親をロマンドに見せずに良かったと、ジュリアはホッとした。そしてやはり父ハーディスに知らせなくて正解だったと。
こんなに回復した母の姿にさえ、昔を知る者には辛いのだから、母を愛している父ならどれほどだろう。そして自分をまた責めたに違いない。
それにしても、
「僕を見ても何を思い出しませんか?」
とロマンドがマーガレットに向かってこう言った時、シリアスなシーンだったのに、ジュリアは思わず吹き出してしまった。そんな彼女に二人は顔を見合わせてキョトンとした。
すると笑いを抑え切れずに何も言えないジュリアの代わりに、執事のハイドはヤレヤレといった感じで、二人にこう説明したのだった。
「旦那様、旦那様はご自覚がないようですが、幼少期と今では旦那様はまるで別人のように変わっておられます。
それは単に子供が大人になったというレベルの話ではありません。
それ故に、たとえマーガレット様が記憶を失っていなかったとしても、旦那様をご覧になって、かつてのロード様を思い出すことは絶対にありえなかったでしょう」
「「えっ?」」
「そんなにロマンド様は昔と違っているの?」
信じられないというように、マーガレットが尋ねると、ジュリアはようやくこう言った。
「今のロマンド様はとてもお綺麗でその上恰好が良いのですが、昔のロードは綺麗というよりも、とってもかわいらしくて愛らしかったのです。
ぽっちゃりして、ソバカスいっぱいで、瞳がつぶらで。私はそんなロードが大好きだったのです。
そしてお母様もロードのことがとても気に入っていて、あんな息子が欲しいっていつも言っていたのです」
それを聞いたロマンドは昔の自分に嫉妬した。そして、今の自分の容姿はジュリアの好みではないのかも知れないと、少し凹んだのだった。
しかし、彼は彼女の次の言葉ですぐに復活することができた。
「昔、私達はお母様にダンスを教わったのよ。子供に対して何故そこまで厳しくするの?と疑問に思えるほど、完璧なダンスを。
でもね、二月半前の王城の夜会で、ロマンド様と私はとても素晴らしいダンスを踊ったの。
そりゃあお父様やジャイドパパと踊ったのももちろん楽しかったけれど、やっぱりロマンド様と踊れたことが嬉しくてたまらなかったわ。
体に染み込んだ事ってそう簡単には消えないって分かって。私の彼への思いと同じなのだなって」
「貴女はロマンド様が大好きなのね。あなたがずっと思い続けていた方と婚約できて本当に良かったわ」
マーガレットは心からこう言った。記憶は戻っていなかったが、ジュリアのことを愛おしいと思う感情はとうに蘇っていたのだった。
読んで下さってありがとうございました!




