第八十八章 枯れ木令嬢と甘い菓子
リアナ=ルードルフ侯爵夫人はジュリアからの手紙を読んで、その翌日の午前中にはプラント男爵家を訪問していた。
その手紙には会って相談したいことがあると記されていたので、何事か起こったのかと飛んで来たのだ。
ジュリアは母親が亡くなって孤児になった時でさえ、助けを求めて来なかった子なのだ。
それなのに相談したいと手紙を寄越すなんて、よほどのことがあったに違いないと酷く心配になったのだ。
そしてそれは当たっていた。
マーガレットが生きているかも知れない。そう聞かされて、リアナは驚愕し、暫く口がきけなかった。
しかし、それと同時にやっぱりと思ったのだ。正直マーガレットの死を知った時、リアナはどうしてもそれを信じられなかった。
墓参りをするまで信じるものか!と頑なにそう思ったくらいだ。
しかも、あの夜会で久しぶりに逢ったジュリアから、マーガレットの遺体は見つからなかったと聞いた。
その時、もしかしたらどこかで生きているのではないかという、そんな想いを抱いたのだ。
「何故その女性に会いにいかないの?
ああ、今貴女は無闇に外へ出ては行けないのだったわね。
今回の大規模捜索についてはよくわからないのだけれど、貴女、犯人に逆恨みされているかもしれないのですって?」
リアナは顔をしかめた。するとジュリアも珍しく眉間にシワを寄せた。
「逆恨みだなんてふざけているわ。私達から憎まれて恨まれて当然のことをしたのに。
物の道理もわからない犯罪者が、政治改革だなんて笑ってしまうわ」
激しい感情を見せたジュリアに、今回の事情を知らないリアナは驚いて目を見張った。
しかし、ジュリアが怒るのはもっともなことだったろう。
国家反逆罪に問われて西の国から逃亡し、この国に逃げ込んだ『黒の精霊使い』である男とその息子は、貿易商の振りをして、これまで散々悪事をしてきたのだから。
安価で効果抜群の肥料だと騙して農家に毒薬を売り付けて、多くの農地を汚染させた。
そう。プラント男爵家の農園を駄目にしたのは彼らだった。
そして被害者達からただ当然でその汚染された土地を購入して、そこでまがい物の『黒の精霊の宝石』を密造していたのだ。
それが彼らの活動資金を作るためのものだったのか、偽の『黒の精霊の宝石』を世界中にばら撒いて、西の国の信用を貶めることが目的だったのかはわからないが。
どちらにしても彼らの勝手な欲望のために、どれほど多くの農家や農民達が苦しめられたと思っているのだ。
多くの農園や農場が潰れて一家離散になり、たくさんの人々が家と職場を奪われた。それによって亡くなった人だってきっといたことだろう。
そして、ただでさえ忙しい『緑の精霊使い』や『緑の手』の持ち主達は、その汚染された農地の浄化作業に駆り出されて疲弊させられたのだ。
ジュリアは今でもはっきりと覚えている。緑の草原の道を挟んで、枯れた草で覆い尽くされた灰色に広がっていた土地を。
病に倒れた母を心配しながらも、その光景はジュリアの目に焼き付いたのだった。
その後ジュリアは助けてもらったロード達への礼として、牧草地の浄化をし、そこに借金の返済期限を伸ばしてもらうための『貴婦人の涙』の花を咲かせた。
本当はプラント家の土地を全部浄化してあげたかったけれど、彼女の能力が知られたら、当主に悪用されるからとフローラに助言されて、ジュリアと母マーガレットは後ろ髪を引かれながら、二人の元を去ったのだ。
あの後のロード、つまり今のロマンドの苦労を聞かされた時、ジュリアは怒りで胸が潰れそうになった。
そして今回のウッドクライス家で繰り広げられた一連の騒動を、まだ大雑把だがロバートに聞かされたジュリアは、またもや怒りが溢れ出して、それを抑えるのが大変だった。
彼女の伯父、つまりケントの実の父親を殺害した薬を売ったのは、その『黒の精霊使い』と関わっている商会だったのだから。
そう、あの偽肥料詐欺をしていた商会だ。
そしてジュリアと彼女の母マーガレットを父ハーディスから引き離し、その後もジュリアを虐げ続けたシンディーは、その『黒の精霊使い』の孫だという。
『黒の精霊使い』は他の精霊使いと比べるとかなり長命らしく、軽く九十を超えているくせに未だに悪さをしているらしい。
『あの男達はロマンド様と私にとって憎むのが当然の相手だ。それなのに実の孫娘とひ孫を捕らえられた逆恨み? ふざけないで!
あまりの身勝手で理不尽な発想に吐き気を催すわ』
ここのところ収まっていた激情が、リアナの言葉で再び甦ってきた。
しかし、ジュリアは大きく深呼吸をして心を落ち着かせた。
彼女は何も『黒の精霊使い』の逆恨みによる復讐を恐れて、母と思われる女性に会いに行かなかった訳では無い。
その理由をきちんとリアナに伝えなければいけなかったと思い出したのだ。
「リアナママ、母マーガレットによく似たその方は、シルキィーさんというお名前だそうです。
彼女は偽名を使っているわけではなく、記憶を失っていたので、助けて下さった村長さんに付けてもらったのだそうです」
「記憶喪失ですって!」
ジュリアから告げられた真実に、リアナは驚愕した。マーガレットが生きていたかもと聞かされた時よりも驚いたかも知れない。
なるほど、それですぐに確かめに行かなかったのか。
記憶が全くない人に、私は貴女の娘ですと告げてすぐに信じて貰えるはずがない。
「わかりました。それではジュリアにしてきた方法を、そのシルキィーさんという方にも試してみましょう」
ジュリアやヴィオラ、そして執事のハイドから詳しい話を聞いたリアナはこう言った。
「記憶はないのでしょうが、身に付けたものまでなくした訳ではないのでしょう? 行儀作法や話し方や文字、そして刺繍や洋裁の技術も。
それなら私がシルキィーさんにお友達になってもらって、さり気なく様子を伺ってみるわ。
そして、私の大切な友人とシルキィーさんの共通点を指摘してみるわ。
その結果類似点が多いとその方に気付いてもらえれば、たとえ記憶が戻らなくても、自分がマーガレットであること納得してもらえるのではないかしら?」
リアナの提案に、その場にいた全員が頷いたので、彼女はこう言った。
「それではお茶会を開きましょう」
と。
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ジュリアはその二日後、急遽催されることになったルードルフ侯爵婦人によるお茶会に参加をした。
当然お茶会に招待されるのは初めてのことだった。もちろん、農場で働いていた頃は、毎日十時と十五時に休憩がてらにお茶を飲んではいたが。
農業は重労働であるために、途中で休憩をとり、飲食物を口にしないと身が持たないのだ。
ルードルフ侯爵家のサロンに準備されていた珍しい菓子を見て、ジュリアは、
「貴族って、ろくに体を動かさないのだから、こんな甘い物なんていらないんじゃないの?」
などと不謹慎なことを思ってしまった。しかしその後で夜会のことを思い出して、すぐに考えを改めた。
「何故貴族のご令嬢やご夫人達にとってダンスが必要不可欠なのかその理由がわかったわ。
こんな美味しいものばかり食べていたら、ダンスでも踊っていないと太ってしまうもの。
でも本来は何一つ力仕事なんてしないのだから、こんな甘いもを摂取する必要なんてないのにね。
それにしても、私はあの屋敷では食べ物もろくに与えられなかったのに重労働をさせられ、その挙げ句に、淑女教育の一環としてダンスの練習までさせられたのよ。私がガリガリに痩せてしまうのも道理よね。
こんな枯れ木のままでは、いくらマダム・フローラに素敵なウェディングドレスを作ってもらっても、とても似合いそうにないわ。やっぱりもっとふっくらしないと」
ジュリアは思わず自分の腕と胸を交互に見ながら、そんなことを口の中で呟いた。そして出された紅茶を飲む前に、一番栄養価の高そうな菓子を選んでそれに手を伸ばした。
実はいくら親しいとはいえ、ジュリアがルードルフ侯爵家にお邪魔するのは初めてだ。
しかも母かも知れない女性と対面するのだ。そしてもう一人の初対面の女性と。
その緊張感のためか、やたらと余計なことに思考を飛ばすジュリアだった。
読んで下さっでありがとうございました!