第八十七章 枯れ木令嬢と衝撃的な話
フローラからの相談とは何だったのかと尋ねたジュリアに、ヴィオラ達は微笑苦を浮かべた。
それを見たジュリアとラーメはハッとした。人様からの相談事を無闇に話せる訳がない。
配慮のない発言をしてしまったとジュリアは後悔しながら、それでも平静を装ってヴィオラに言った。
「それでは今日のレッスンはここまでに致しましょう」
「ありがとうございました」
ラーメは一礼すると居間から退出して行った。
その後でジュリアは気不味そうな顔をして三人に謝った。ラーメ様のいるところで不用意なことを尋ねてごめんなさいと。
今後は気を付けて下さいねと、ハイドに言われて、ジュリアはしゅんとした。
するとハイドはこう言葉を続けた。
「でもまあ、実のところラーメ様に隠すことでもなかったのですが、今後のこともありますからね」
と。相談とはジュリアのウェディングドレスの進捗状況のことだったという。
何しろ、フローラは超多忙だったので、仕上がりがいつになるか見当も付かない状態が続いていたのだが、なんとか見通しがついてきたらしい。というのも、腕のいい職人が新たに入ってきたからだという。
ところが、肝心の二人の結婚式がいつ頃になるのかが分からないと、計画を立てにくいので、おおよそでいいからその予定を知りたいと。その時期によってジュリアの体型も変わってくるだろうから。
そう。今のところジュリアの体型はまだかなり細いのだ。そこで、今少しでも元の体系に戻るように努めているところなので、結婚式がいつごろになるかで、サイズが全く変わってしまうのだ。
もちろんロマンドとハーディスの任務が終了して一段落してからだとしても、せめて半年後なのか一年後なのか、それともそれより後になるのか……
「あの……私の希望としては、可能な限り早い方が嬉しいです。この前は延期したいなどと馬鹿なことを言ってしまいましたが。
結婚してからでもお父様とは逢えますものね」
ジュリアは顔を赤くしながら小さな声で言った。
ロマンドへの熱い想いに気が付いて以来、ジュリアは素直にその感情を現すようになったのだが、まだまだ恥ずかしさが抜けないのだ。
年齢や見かけによらず、淡泊な性格だと思っていたジュリアの変わりように、当初は一同驚いた。
しかし、今ではその恥じらう姿が可愛くて、みんな目尻を下げて眺めるようになっていた。
「それでは旦那様にそのようにお伝えしておきます。まあ、関わっているお仕事が機密事項でしょうから、いつとはっきりはおっしゃれないでしょうが、きっとお喜びになりますよ」
ハイドがこう言うと、ロバートも頷いた。
「ええ。益々パワーアップして事件を解決しようとなさるでしょうとも」
それを聞いたジュリアはまた恥ずかしそうに下を向いた。
そして何かを思い出したように顔を上げてヴィオラを見た。
「先程、フローラ様のところに腕のいい職人が新たに入ったと言っていたけれど、それはシルキィーさんのことですか?」
「そうです。シルキィーさんは刺繍だけではなく洋裁の腕も一流だったそうです」
「まあ! 私の母と同じね。私の母も刺繍だけでなく洋裁も得意だったのよ。
母が生きている頃は、私の着る服は全て母の手作りで、しかも必ずそのどこか一箇所に刺繍が刺されてあったの。
お花とか動物とか鳥とかね。
それはもう素晴らしかったの。だからみんなに羨ましがられたわ。
ただシルキィーさんと母の違いは、私の母は人から頼まれても私にしか服を作らなかったことかしら。
洋裁を覚えたのは家族のためたからといって、人様から頼まれてもみんなお断りしていたから。
まあ、よその人の服を作りたくないというより、忙しくなって私の服を作る暇がなくなるのが嫌だったみたいだけれど。
まあ、私の母の話はともかく、そんな腕のいい職人さんが入ってフローラ様も喜ばれているのなら良かったですね。
それにシルキィーさんが認められたら、他の地元の方も採用してもらえるかもしれませんものね。または委託されるとか」
ジュリアは見知らぬ人々のために喜んでいた。
そんな彼女を見てみんな微笑ましく思った。そしてそんな彼女に益々幸せになって欲しいと思った。
苦しくて辛い日々を過ごしてきたにも関わらず、人の幸せを祈ることのできるこのご令嬢に。
「ジュリア様。そのシルキィーさんからお手紙を預かってきました」
ヴィオラから手紙を渡されて、ジュリアは驚いた顔をした。
「私に?」
「はい。紹介状を書いて頂いたお礼だそうです」
「まあ。ヴィオラさんと違って私はたいしたことはしていないのに、態々お礼のお手紙だなんて却って申し訳ないわ。
でも、嬉しいわ。後で読ませて頂くわね」
ジュリアはニコニコしながらこう言った。しかし微笑を浮かべたハイドからこうお願いをされてしまった。
「是非どんなお手紙なのか教えて頂けませんか? 私どもも気になるので」
「えっ? 分かったわ」
思いがけないお願いに一瞬驚いたジュリアだったが、素直に頷いて手紙を開封した。
そして微笑みながら手紙を黙読し始めたジュリアだったが、読み続けていくうちに、顔色が変わっていった。
次第に戸惑い、驚き、困惑顔へと変化していったのだ。
フルフルと震え出したジュリアの肩に優しく手をかけながら、ヴィオラが尋ねた。
「どうなさったのですか?」
「この手紙文の文字がね、何故かとても懐かしい感じがして」
「どなたかの文字に似ている気がするのですか?」
「ええ。亡くなった母に。
見てみて。とてもしっかりした読みやすい字でしょ。まるで教本のような。
『文字は必要事項を正確に伝えるたるためのものだから、相手に読みやすく正確に伝えるように書かなければなりません』
それが母の口癖だったわ。
やはり侍女という仕事柄のせいだったのか、母の書く文字と文章は、こう言ってはなんだけれど、味も素っ気もなかったの。
だから、そんな色気もない業務連絡のような手紙を貰って、お父様は嬉しかったのかしらと、物心つくようになってから思ったものよ」
「確かにあまり女性らしくない文字ですね。文章も飾り気がなくさっぱりしているというか。失礼なことを申してしまいますが」
手紙を覗いたヴィオラもそう言った。すると、ジュリアは顔を強張らせながらこう呟いた。
「不思議だわ。母と同じような感性の持ち主がいるなんて。
それに、薔薇の刺繍が上手で、洋裁ができるなんて、この世にそんなに似た女性がいるものなのかしら?」
「いらっしゃらないでしょうね」
ヴィオラの言葉にジュリアは喫驚した。目を開き、激しく動揺する胸に手を当てて、震える声でこう尋ねた。
「シルキィーさんは、私の母なの?」
するとヴィオラは首を横に振った。
「それは分かりません。実はシルキィーさんには四年前までの記憶が無いそうです。
川岸で発見された時には既に記憶がなかったそうです。
おそらく崖などの高い場所から落ちて、川に流され岸に打ち上げられるまでの間に、頭を打ったのでしょう。シルキィーさんの頭部から顔の左側に大きな傷跡がありますから」
「四年前?」
それを聞いたジュリアは思わず胸の前に置いていた両手で口を押さえた。
母親が生きているかもしれないという夢のような話は狂喜乱舞したいところだ。
しかしそれと同時に、母親だと思われる女性には記憶がないという真実を聞かされて、ジュリアは頭がパニック状態に陥ったのだった。
すると、耳元でスパティの声がした。
『ごめんね、じゅりあ。
あのとき、じゅりあままのこと、だれかにきいとけば、よかった。
でも、あのころ、なかまとも、あまりおはなし、できなった。
じゅりあしんぱいで、さがしにもいけなかった』
内気なスパティは見知らぬ人と話すことが苦手だ。それがたとえ同じ緑の精だったとしても。
それが最近ようやくパートナーのパキランや精霊王フィラムとの距離が近くなったことで、少しずつ改善されてきたところだ。
しかも、黄色の精霊が身近にいるせいで、各段に語彙能力があがった。
ラーメの黄色の精霊メメントは非常に明るく饒舌で、やたらとスパティに話しかけてくるからだ。
人間の心の機微に疎いはずのスパティのこの言葉に、ジュリアは嬉しくなった。
母が亡くなったと聞かされて絶望しかけた時だって、スパティが傍にいてくれたから、なんとか立ち上がることができたんだわと。
『謝らないで。スパティ様は少しも悪くなんてないわ。却って感謝しているのよ。四年前も今も傍にいてくれて』
ジュリアはそうスパティに言ったのだった。
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