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第八十五章 枯れ木令嬢と枯れ木夫人

第八十五章 枯れ木令嬢と枯れ木夫人

 

「お仕事を中断させてごめんなさいね。でも、これは貴女にとっても私にとってもとても大切なことなの。だから私の話を聞いて欲しいの」

 

 フローラの真剣な眼差しにシルキィーも頷いた。

 

「私にはとても大切な友人がいたの。共に過ごした時間は短かったけれど、とても濃密な時間だったわ。そして今の私があるのはその友のおかげなの。

 

 マーガレットという名のその友人と出会ったのは、夫を流行り病で亡くして、息子と夫の実家の農園に戻って働かせてもらっていた時だったわ。

 彼女は訳があって娘と二人で家を出て、あちらこちらを彷徨っている時に病気になって、牧場近くに倒れていたの。

 乗っていた馬車から無理矢理に降ろされておいてけぼりになったのよ。そして娘さんの、

 

『助けて!』

 

 という叫び声に息子が気が付いたの。

私達はすぐに住んでいた小屋に彼女達を運んだわ。

 運良くマーガレットさんは流行り病なんかではなく、長旅の疲れが溜まっていただけだったみたいで、すぐに良くなったの。

 私達は年齢も近かったし、すぐに仲が良くなったわ。

 

 マーガレットさんも私同様に平民だったけれど、元々大きな農園の娘さんだったみたいだし、王都の専門学校を卒業して侯爵家の侍女をしていたくらいだから、上品で教養の高い女性だった。

 貴族のご婦人となんら遜色がないくらいにね。

 

 彼女は物知りだったし、何でもできたわ。ダンスも料理も片付けも手芸も。

 そしてその中でも特に素晴らしいかったのは、刺繍と服を作ることだった。

 私は彼女から服のデザインの描き方と刺繍を習ったの。

 本当は彼女からもっと色々教わりたかったし、語り合いたかったけれど、事情があってマーガレットさん母娘は農園を出て行ったわ。

 

 そしてその後、色々あって息子が夫の兄の養子になって、王都の王立学園に入ることになったの。

 その時私は一大決心をして、息子と一緒に王都に出て、働きながら洋裁を学ぶことに決めたの。そしてその結果こうして店まで持てるようになったのよ。

 

 つまり今私がこうして好きな洋裁と刺繍をして暮らせていられるのは、その友人のおかげなの」

 

 フローラの話にシルキィーは真剣に耳を傾けていた。そしてこう言った。

 

「マダムもご苦労なさったのですね。息子さんはもう学園を卒業なさったのですか?」

 

「ええ。おかげさまで。それに卒業前に当主の座を継いで、傾いていた農園を立て直した 自慢の息子なの」

 

「それは凄いですね。素晴らしい息子さんをお持ちで羨ましいです」

 

「ありがとう。そしてその息子には婚約しているご令嬢がいるのですが、そのご令嬢が本当に素晴らしい方で、息子には勿体ないくらいなの」

 

「まあ」

 

「でも、そのご令嬢は幼い頃からとても苦労されてきたの。だから息子と私はこれから彼女を思う存分幸せにしてあげたいと思っているのよ」

 

 最初は息子の自慢話なのかと思って聞いていたシルキィーは、ここに来て話の流れが変わったような気がして怪訝そうな顔をした。

 

「苦労ですか?」

 

「ええ。そのご令嬢ってね、私の大切な友人マーガレットさんの娘さんなの」


「えっ?」

 

 予想外の展開だったらしく、シルキィーさんは思わず声を上げた。

 

「息子は十歳の時にマーガレットさんの娘のジュリア様に逢った時に恋に堕ちて、ずっと彼女を探し続けていたの。最終的には九年間もよ。

 凄いでしょ? その執念。

 でも本当は三年前に一度ようやくジュリア様を見つけることができていたのよ。でもその直後に実の父親に急遽引き取られてしまって、また行方が分からなくなってしまったの」


「まあ。それではジュリア様はマーガレットさんと一緒にご主人の元に帰られたのですか?」


「いいえ。その時彼女は孤児になっていたの」


「孤児? まさかマーガレットさんは……」

 

「マーガレットさん母子は、王都の北西部の町の大農園で住み込みで働いていたそうなの。

 でも、仕事で更に西にある町へ向かっていた時に事故に遭遇したらしいわ。

 険しい山道を通っていた時に馬車ごと崖下に落ちたと聞いたわ。

 その馬車自体は途中の岩に引っ掛かって止まったみたいなんだけど、マーガレットさんだけ、外れた馬車の扉ごと落下してしまったらしいの。

 そしてそこの谷はとても深くて底まで下りるのは不可能だったらしくて、助けには行けなかったみたい。

 だから亡骸は未だに見つかっていないの。

 そしてその事故が起きたのが約四年前の秋だったの」

 

「・・・・・」

 

 フローラのこの言葉に、シルキィーさんの右側の目が限界まで大きく見開いたのだった。

 

 ✽

 

 そしてその日の午後、プラント男爵家にフローラの使用人がやって来て、密かに執事のハイド=クロスリードに手紙を手渡した。そして返事を持って帰りたいので、すぐに読んで欲しいと告げられた。

 

 何事だと驚いたハイドはその手紙を読んで絶句した。しかしすぐに我に返り、その使いに耳打ちした。

 

「ジュリア様の警備を整えてから、ロバートとヴィオラを連れてそちらに向かいます。ですから少々時間が掛かりますとフローラ様にはお伝え下さい」

 

 使用人は頷くと、直ぐ様取って返した。

 ハイドは侍女長のアニスを執事の執務室に呼び出し、フローラからの手紙を見せた。すると彼女も驚愕していた。

 

「もし、その方が本当にジュリア様のお母様でしたら、こんなに喜ばしいことはありません。

 ですが、今伯爵家は大変なことになっておりますから、伯爵様はすぐには対処できませんよね? もちろん旦那様達も」

 

「その通りだ。しかし、旦那様はともかく、ロバートやルフィエ殿は直接国とは関係ない。本来手伝う義務などないのだ。

 すぐに戻って来てもらう。悪いが君に直接二人を迎えに行って欲しい。手紙だと齟齬が生じる恐れがある」

 

 ハイドの言葉にアニスは頷いた。そしてその足で屋敷を出て行った。

 そしてハイドは今度はメイド長のケリーを呼び出してこう指示した。

 

「フローラ様のところで、少々揉め事があったので相談したいと使いの者が来た。ロバートやヴィオラが戻ってきたら彼らを連れて行ってみようと思う。

 しかし旦那様やジュリア様には問題の詳細が分かるまで余計な心配は掛けたくないので、内密にしていて欲しい。他の使用人達にもだ。

 ジュリア様の護衛にはルフィエ殿に帰ってきてもらうが、あの男は融通がきかん。何かあったらアニスと共に上手くやって欲しい」

 

「承知しました」

 

 ただならないものを感じたケリーは、厳しい顔で頷いたのだった。

 

 

 ✽

 

 

 そしてその日の夕方。

 マダム・フローラの洋裁店の客室で、シルキィーと顔を合わせたハイドとロバートは、優秀な執事と秘書であるが故に決して顔には表わさなかったが、正直驚愕していた。

 

 未だに宮廷一の美男子と評判の高いウッドクライス伯爵がかつて溺愛していた女性……

 さぞかし華やいだ絶世の美女かと勝手に想像を膨らませていたのだが、目の前にいる女性はかなり痩せこけていて、ずいぶんと年配に見えたからだ。

 それに頭部から顔の左側にかけて残っている痛々しい傷跡に胸が痛んだ。

 

 最初は、まさかこの女性がジュリアの母ではあるまい。いくら彼女が父親似だとはいえ、全く似ていないではないかと二人は思った。

 ところが事情を全く知らないヴィオラとシルキィーが、会話をしながらお茶を飲んでいる様子を眺めているうちに、間違いなくこの女性はジュリアの母親に違いないと確信した。

 

 まずその鈴を転がすような可憐なその声が、ジュリアにそっくりだったのだ。どんなに姿形が似ていなくても、母娘とか姉妹は声がよく似ることが多いと聞く。

 しかも方言の一切ないその話し方や、お茶を飲むそのマナーやスマートなその仕草までジュリアとそっくりだったのだ。

 

 四年前に事故で亡くなったと聞いていたマーガレットが生きていたのだ。

 それを知ったらジュリアはどんなに喜ぶことだろう。

 母の亡骸を見つけられなかったと自分を責めていた姿を思い出して、ロバートは嬉しくなった。

 しかし、後悔の念で打ち(ひし)がれていた伯爵を思い浮かべて、少し複雑な思いもした。

 

 妻が生きていたことを知れば当然彼も喜ぶには違いないが、今の妻の姿を目にしたら、罪悪感が更に強くなるのではないかと。

 それは枯れ木令嬢化したジュリアを目にした時同様に。

 

 ジュリアはともかく、伯爵には直ぐには逢わせない方がいいのかも知れない。傷跡はともかく、枯れ木婦人ではなくなってからの方が……そんなことを考えてしまったロバートだった。


 読んで下さっでありがとうございました!

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