第八章 枯れ木令嬢とネックレス
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ジュリアは驚いて声も出せずに固まった。
すると、側にいたマダムがわざとらしい咳をコホンと一つしたので、ロマンドはようやく我に返って彼女の身体を離した。
「すみません。あまりの貴女の可愛らしさに・・・」
「花男爵様、お気持ちはわかりますが、これからはお気を付けて下さいませ。
いくら婚約されたといっても、伯爵様のお怒りを買ったら簡単に破棄されてしまいますよ」
「ご忠告感謝します。気を引き締めます」
『花男爵』って、男爵様の渾名かしら? ずいぶんお親しくなさっているのね。まるで親子か伯母甥の関係みたいだわ、とジュリアは可笑しくなった。
そしてこう思った。
『あの父が今更私のことで怒ったり、婚約を破棄したりしないと思うわ。だって男爵様は父の大切な商売相手なんだもの』
そう。自分が父親にとって、そして男爵にとって、いかに大切な存在なのかを彼女は全く理解していなかったのだった。
店を出ると二人は外で待機していた護衛達と共に馬車に乗り込んだ。
すると、ロバートも目を細めてジュリアのドレス姿を褒めてくれた。とてもお似合いですよ、と。
それから、彼はこう言葉を続けた。
「このドレスですと、ちょうどあのゴールドのネックレスが似合いそうですね。
次回そのドレスをお召になる時は是非身に着けて見せて下さいね」
「やっぱり君もそう思うか? 私もそう思ったんだ」
ロマンドも嬉しそうにそう言ったが、ジュリアは二人の会話の意味がよく理解出来ずにキョトンとしいた。
そして何も言葉を返さない彼女を不審に思ったロバートがこう疑問を投げかけた。
「ジュリア様、もしかして私がお届けしましたネックレスを受け取られていないのですか?」
「ネックレスですか? いいえ。私は存じません。あの、それはいつのことでしょうか?」
「水曜日です。あの日は午後に用事がありまして、午前中のまだ早い時間に伯爵邸に伺いました。
しかし、ジュリア様はまだお帰りになっていなかったので、執事にお花と共にゴールドのネックレスをお預けしたのですが」
ジュリアは両手で口を覆い、大きく目を見開いた。まただ、と彼女は思った。
ウッドクライス伯爵家の者達は、彼女とは違って裕福で何でも持っている筈だ。
それなのに、僅かな物しか持っていないジュリアから、少しでも価値があると思われる物を必ず奪って行く。
そう。たまに父が帰省するたびに贈られる品は、父がいなくなるとすぐに取り上げられた。
どんなに隠しても屋敷の者総出で家中探されて。
手間をかけさせるなと何度叩かれたかわからない。その必死さは異常だった。
それは嫉妬なのではないかとジュリアは思っていた。自分だけが父親に似ていたから。
そして自分だけが父親から優しい目を向けられていたから。
だから、まさか父以外からの贈り物まで奪われるとは思ってもみなかった。
あの人達はただ強欲だったのだとジュリアは理解した。
「申し訳ありません。あの日は朝市からの帰りが遅くなってしまって留守をしてしまいました。
執事も忙しくてつい忘れてしまったのでしょう。
お礼も言えず、大変失礼なことをしてしまいました。どうかお許し下さい」
平謝りするジュリアをロマンドとロバートは困惑顔で見つめた。
「ネックレスをお渡ししてから四日も経っているのですよ。執事が貴女に渡し忘れたということはまず考えられません。
そんな無能な執事なら普通クビになりますよ」
ロバートが冷えた口調でこう言った。
ロマンドも腕を組んで少し考えてからこう口を開いた。
「このようなことはよくあるのですか? 貴女の物が盗まれたり奪われたりという……」
今更取り繕っても無駄だと思ったジュリアは頷いた。
「私は元々平民ですが、その私が見てもウッドクライス家はお恥ずかしいことですが、一般常識に欠けるというか、品性がない人達ばかりだと思います。
外聞だけは一応装えるようですが」
「伯爵様はなんと?」
「父はほとんど家におりませんから。それに元々父は、学院の寮に入ってからはあの屋敷には住んでいなかったようです。
伯父が結婚するまでは祖父が住んでいたようですが、今いる使用人達は執事とルフィエさん以外、父と祖父が出ていった後で義母(義理の伯母)が雇った者達のようです。
ですから、父はそれほど彼らとは親密ではないようなんです」
つまりジュリア嬢はあの伯爵邸の中で、二年近く四面楚歌状態だったということか。
何をしていたんですか、伯爵! 護衛だけでなく、せめて優秀な侍女くらい付けてあげてくださいよ!
ロマンドは心の中で叫んだが、ロバートも同様なことをしていた。
「男爵様、父からの贈り物はともかく、男爵様から頂いた物まで奪われるのは許せません。必ず取り戻してみせます」
ジュリアは覚悟を決めたようにこう言った。
自分のために男爵が選んでくれた贈り物を、あんな者達に奪われてなるものかと彼女は思った。
自分以外の女性が男爵様のネックレスを首にかけるのかと思うと、何故が無性に腹立たしく感じたのだ。
ところがロマンドはこう言った。
「いいえ。あのネックレスのことは放っておきましょう。
貴女には別のアクセサリーを改めてお贈りしますから、もう気になさらないで下さい」
「そんな訳にはまいりません」
ジュリアが初めて強気な言葉でこう言ったことに、ロマンドは少し目を開いたが、すぐにいたずらな目になってこう言った。
「もちろん、このようなことをこのまま許すつもりはありませんよ。
ですが、彼らを罰する為にも証拠が必要ですからね。
そのためにも今は彼らを泳がせる必要があります。
あれはちょっと特殊なネックレスでしてね……
まあ、それはともかく、恐らくは伯爵様も既に手を打たれていると思いますよ」
「父がですか?」
「ええ。
私が貴女の置かれている実情を手紙でお知らせしたら、それはもう驚いていらっしゃいましたから。
そして大層腹を立てていらっしゃいましたよ」
ロマンドの言葉にジュリアは不思議そうな顔をして首を傾げた。
父親が自分のことで怒っている?
そもそも父は引き取った娘の状況を今まで認識していなかったのか?
確かにいつも他国へ行っていて、この二年間に屋敷に戻ってきたのはたった三回だけで、滞在中もろくに話せなかったけれど……
「伯爵様は文章では思ったことをスラスラと表せるのに、実際にお話しになるのがとても苦手な方なんです。
説明不足というか言葉足らずなところがお有りなんですよ。
伯爵は何通も貴女に手紙を送り、返事をもらっていたことで、すっかり安心されていたようなのです」
「手紙ですか?
私は一度も父から手紙を貰ったことはありませんし、もちろん返事を出したこともありません。
だって、父の居場所がわからなかったんですもの」
ジュリアは目を丸くした。
父が手紙をくれた? 私に? 私のことを忘れていた訳ではなかったということ?
私を放置するなら何故引き取ったのか、とずっと腹立たしく思っていたのだが。
「きっと執事や家族の方々が勝手に手紙を開封して、適当に返事を返していたのでしょうね」
「酷い・・・」
父のことなど今ではすっかり諦めていたが、引き取られたばかりの頃は、一日千秋の思いで父からの便りを待っていたのだ。
しかしそれは無惨にもあの屋敷の者達によって無いものとされていたのだ。
そして父の本当の思いを知ることも出来ず、父への思いを捨ててしまったことを、ジュリアは悲しくて堪らなかった。
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